あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

城山(津久井城跡)に上る(神奈川)

2008-02-18 23:47:10 | 地図
 2008年2月16日(土)



 「地図を歩く会」の今年初の例会で、神奈川県の
水道の水源のひとつ、津久井湖のそばにある城山
(津久井城跡)に出かけた。

 集合は、JR横浜線橋本駅に10時半。sameさん
も来るのではないかと少し待ったが、見えないので
三ヶ木行きのバスに乗る。

 津久井湖の堰堤(えんてい)や観光センター前を
過ぎ、少し先のクラブ前バス停で降りた。

 11時15分にスタートし、南に向かう。左手(東)
に、これから上る城山がよく見える。


 峠に向かっての上り坂となる。西方に大菩薩嶺方
面の山並みが見えてきて、道路際に立ち止まって
数分、山座同定(山の形を見て山の名を確認する)
をする。

 峠のカーブ点に諏訪神社があり、傍らに馬頭観音
が8体並び、地蔵さんだろうか、根古屋村と記され
た石仏もあった。


 境内は、神奈川県名木百選に選定された大杉など、
うっそうとした森に覆われている。

 南面の根古屋集落に入り、少し下ると左手に、県
立津久井湖城山公園の入口があった。

 津久井城跡である城山(375m)一帯が公園に
なっているもので、その山ろくにパークセンターと
いう施設があった。

 城山の歴史や自然、人びとと城山の関わりなどを
理解できる施設で、写真やパネル、津久井特産の
組ひもづくりの機械などが展示されていた。


 この建物の前から、残雪の残る丹沢山塊が望ま
れ、蛭ヶ岳と塔ヶ岳の間に馬の雪型が見えたので、
センター内の展示はそっちのけで、しばらくは雪型
のある山などの山座同定をする。

 館内も一巡、12時を過ぎたのでここで昼食をしよ
うかという話も出たが、少し上に展望広場があると
いうので、そこまで上がることにした。

 車椅子でも上がれるという、鉄製の柵つきの傾斜
の緩い遊歩道を遠回りして上がる。


 途中まで上がると雪型はよく見えるが、逆光にな
り雲も増えてきた。


 展望広場にあった木のベンチで、山並みを眺めな
がら昼食をする。

 ゆっくりと周辺の山の山座同定もして出発し、山頂
を目指す。

 直登に変わった登山路をゆっくりと上がり、男坂と
女坂の分岐に出た。
 
 あと0.5㎞の標識があったが、馬の雪型を十分に
見たので、もう満足だという皆さんは、山頂の展望は
よくないとの話もあり、下ることになった。

 私はせっかくだから上ることにして、ここで記念撮
影をして分かれた。


 四国遍路の遍路道を思い出す落ち葉が一杯の道
を上がると、峠に出た。右は飯縄神社へ、左の稜線
を上がれば山頂である。

 木の間越しに北面や東面の展望が得られるように
なり、日陰には雪も残っている。

 太鼓曲輪(たいこくるわ)を経て、少しの上りで城山
山頂の本丸跡に着いた。

 津久井城は戦国時代の築城と考えられ、16世紀
には小田原北条市の家臣、内藤氏が城を治めてい
たという。

 根古屋式山城と呼ばれる津久井城は、ふもとの
根古屋に城主、家臣が居住し、いざ戦になったら
山の上で最終防御をする形態の城で、城山全体が
城として機能していたとのこと。

 天正18年(1590)に、豊臣秀吉の小田原城攻
めに伴い落城し、江戸時代初頭に廃城になったと
か。

 最高点には、文化13年(1816)に建立された
「築井古城記」という石碑が立っていた。


 展望は得られないと聞いてきたが、木の間越しに
雲の増えた丹沢山塊も望まれ、雪型も確認できた。



北から西側眼下には津久井湖が見下ろせ、本丸
下からは、東はるかに都心方面が望まれる。

 (写真上部の緑の帯の上に、かすかに見える)

 北面には、かなりの残雪があった。

 峠まで戻り、東側にある小さな社の飯縄神社に
上がる。

 北面に向かってよく踏み固められた道を下る。
残雪が凍って滑りやすいところや、くさり場もあり、
注意して下る。

 どんどん下り、江戸時代末期の伊豆・韮山の代
官、江川太郎左衛門が植林し、「江川ひのき」と呼
ぶ樹齢120年を越えるヒノキの樹林を抜ける。


 津久井湖畔に下ったところは、桜が多い「花の
苑地」。14時半過ぎに下った。

 津久井湖観光センターに入り、地元産品などの
販売コーナーをのぞく。

 ここからバスもあるが、まだ早いので、もう少し
歩くことにした。

 津久井湖堰堤(えんてい)の先にある城山ダム
展望台に上がって、湖や堰堤を展望する。

 バス道路の国道413号を橋本方向に向かう。
川尻で旧道に回ったら、りっぱなかやぶきの民家
が残っていた。

 近くの大正禅寺は、山門の彫刻がみごと。本堂
も趣ある造り。境内の庭木もよく整えられていた。

 原宿で左折して北へ、県道506号に入る。

 相原十字路で町田街道に出て東に進む。丸山の
諏訪神社には、しめ縄の巻かれたご神木の、太い
ケヤキとイチョウが目につく。

 その先は住宅地の間の細道を抜け、16時27分
にJR横浜線相原駅に着いた。

(天気 快晴後晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万)
 上溝、八王子)、歩行地 相模原市(旧津久井町
 を含む)、町田市)

【注1】sameさんは車で現地に行かれ、私たちより
ひと足早めに歩かれたようです。下記ブログを参照。
http://same.cocolog-nifty.com/otanosimi/2008/02/post_51db.html 

【注2】丹沢の馬の雪型については、現在書店で
販売中の雑誌『新ハイキング』3月号、134頁に、
5年前の3月に撮った写真つきで紹介されている。
  
 

 

 

 

 

  

 
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小田原の石垣山一夜城歴史公園へ

2007-04-21 23:12:27 | 地図
 再び25℃近くまで気温の上がった今日、再発足した「地図を歩く
会」の第2回例会で、神奈川県小田原市の石垣山一夜城歴史公園
を訪ねました。



 集合は、JR東海道本線早川駅へ11時だったのですが、私は、
途中乗換駅、府中本町駅で予定の南武線に乗れず、1電車遅れて
しまい、11時9分に到着、すでに皆さんは出発後でした。

 駅を出て、小田原方向に少し戻り、東海道本線と東海道新幹線の
ガードをくぐって、南に上がる急斜面にとりつきました。

 新幹線の近くに、曹洞宗の古刹、海蔵寺があることが、持参した
ガイドブックに記されていたので、寄るつもりでしたが、標識が無く、
入口も分からず、ミカン畑に進んでしまったのであきらめました。

 ミカン畑を貫く農道際には、暖かい日差しを受けてタンポポがたく
さん花を見せていました。


 ミカン畑の間の急斜面が続くので、どんどん高度が上がります。


 柿の若葉が、軟らかな新緑を見せていました。
 少し上がって振り返ると、小田原の町並みが現れました。


 ツツジの向こうには、大山や丹沢の山並みも望まれますが、丹沢
の山頂付近は雲で見えません。


 右からの車道に合し、少し上がると国史跡・石垣山一夜城歴史
公園の入口です。

 太い杉木立やスダジイなどの間を上がって、二の丸跡に出ました。
広い芝生地になっていて、歴史探訪やグループできた人などが、昼
食をしていました。

 わがグループの皆さんは見えません。どうやら海蔵寺に寄って
いる間に、私が先に上がってしまったのかも知れません。

 二の丸から、上の本丸跡への斜面にはシャガがたくさん咲いて
いました。本丸跡に上がると、さらに一面シャガのお花畑です。

 石垣山は、東国では最初の総石垣の城で、一夜にした築かれた
というので「一夜城」の名がありますが、実際には約80日は費やし
たと考えられるようです。

 ここに本陣を構えた秀吉が100余日をかけ、東に見下ろせる北条
氏の小田原城攻めをして、天下統一の総仕上げをしたところです。

 本丸跡の東側にある展望台からは、小田原城や小田原の町並み、
そして江ノ島から三浦半島方面に伸びる海岸線がよく見えました。


 二の丸跡に戻り、芝草の真ん中にシートを広げ、昼食にしました。
食べ終える頃、皆さんが上がってきて合流しました。

 昼食を済ませ、もう1度皆さんと本丸跡に上がり、南側に下って
公園の上り口に戻りました。


 帰路は、小田急線入生田(いりゅうだ)駅に向かいます。車道を
少し南に進み、工事中の広域農道に入ります。

 道路際にスダジイの古木が残っていました。かつて神奈川県の
低地ではスダジイのような常緑広葉樹を主体の林が広がっていた
ようです。古代人には、スダジイの実は貴重な食料でした。


 工事中なので車の心配はなく、安心して歩けます。正面に、雲を
被った箱根の二子山が見えてきました。


 北側の斜面は、針葉樹の間に新緑のやわらかな彩りがちりばめ
られています。


 その先で、拡幅中の道路が切れ、旧道沿いとなり、下の杉林を
切り開いて、拡幅工事が続けられています。

 旧道の斜面にホウチャクソウが花を見せています。


 マムシグサやゼンマイなども伸びていました。

 ヘヤピン状に折返して下って行くと、急斜面に茶畑がありました。
1番茶の収穫も間もなく出来そうです。


 その下には、石積みの急斜面にミカン畑が続いています。

 梅畑の梅の実が、かなりふくらんできています。小田原は、梅の
特産地でもあります。

 独特の積み方で丹念に摘んだ石垣に植えてあるのは、シキミの
ようです。


 箱根の芦ノ湖を源とする早川まで下り、国道1号に出て、15時
ころ、小田急線入生田駅に着きました。

(天気 晴、距離 5.5km、地図(1/2.5万) 小田原南部、箱根、
 歩行地 小田原市) 




 

   

 


 

 

 
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「四国遍路ひとり歩き同行二人」[地図編]新版発行

2007-02-13 19:04:29 | 地図
 歩いて四国遍路をする人にとって、必携ともいうべき図書
(地図)、へんろみち保存協力会編の「四国遍路ひとり歩き
同行二人」[地図編]の新版が発行されました。



 ご覧のように、新版の表紙には、磁石のマークがついて
います。

 昨年4月に第7版が出て1年もしませんが、その後の修正
箇所が多数あり、第8版(改訂増補)が、2月1日に発行に
なりました。

 私が今週末から始める、後半の43番明石寺~44番大宝
寺間の内子駅以降だけでも、7版と対照してみたら13頁、
全体では21頁ほどの改訂箇所があります。詳細にチェック
すると、それ以上にあるかもしれません。

 うしろにある宿泊施設一覧表も、今年1月現在になっていて、
松山市内他、何か所かの廃止施設の削除と、新しい施設の
追加が行われています。

 これから、歩いての四国遍路をされる方は、新版の地図を
使用されるのがよいかと思います。

 東京近郊の方は、東京駅八重洲口の八重洲ブックセンター
(B1F)に、すでに入荷していますので、入手できます。

 通販で購入希望の方は、「掬水へんろ館」の下記コーナー
に入手方法が記されています。
http://www.kushima.com/henro/hozonkai/books.htm

 地図編のみの価格は、7版同様2,500円です。
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ロンドンの地図専門店「スタンフォード」

2006-06-27 22:58:48 | 地図
 昨年、コッツウオルド・ウェイのウオーキングを終えてロンドンに戻った
翌日の6月13日(月)、フリータイムになったので、ロンドン市内を1日
歩き回ったが、その時訪ねた地図専門店「スタンフォード」の模様を紹介
する。


 地図専門店「スタンフォード」は、ロンドン市内の中心部、地下鉄の交差
するLeicester Square駅のすぐ東にある。ちょうど大英博物館とウェストミン
スター寺院の中間に位置する。


 階段の踊り場に、地域別の配置が記されている。


 もちろん、英国の2万5千分の1地図は全国が揃っている。
 

 こちらは、英国の5万分の1地図のコーナー。


 ヨーロッパのコーナーに回ってみる。美しい色彩で知られるスイスの2万
5千分の1地図。スイス国内全部揃っていると思われる。行けるかどうか
分からぬが「ZERMATT(ツェルマット)」を購入した(£7.95=約1700円)。


 上はフランス、下はドイツとベネルクス諸国のコーナー


 スカンジナビア諸国のものである。


 こちらは米国のコーナー。


 もちろん東アジアのエリアには、日本のコーナーがあり、さすがに地形図は
置いてないが、かなりの数が並んでいる。




 コッツウオルド ウエイの2万5千分の1CDーROMがあり、欲しかった
が80ポンド(約1万6千円)するので買うのはあきらめた。



 1時間ほどじっくり見たが、特に英国や西欧の地図が欲しい人は必訪の
場所だ。ウオーキング、山登り、トレッキング、観光などに必要な地図を、
これだけ豊富に取り揃えた店は日本にはない。
 
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「地図と測量のフェスティバル」

2006-06-04 23:31:55 | 地図
 きょう6月4日は「虫歯予防の日」で知られていますが、きのう6月3日が
「測量の日」だったというのはご存じでしたか。

 測量法が昭和24年(1949)6月3日に公布されたことから、平成元年
(1989)に決まったものです。

 測量の日にちなみ、毎年6月第1日曜日に、茨城県つくば市の国土地理院で、
『地図と測量のフェスティバル』が開かれますが、今年は今日、6月4日です。

 地図愛好者の会の例会で、私もこの催しに参加して来ました。

 つくば市に向かうため、昨年夏に開通した「つくばエキスプレス」に初めて乗り
ましたが、時速120kmくらいかと思われる快速電車は、北千住から34分で
終点つくば駅に到着します。高架の区間が多いので、かなりのスピード感でした。


 つくば駅からは無料の送迎バスで10分足らずで国土地理院です。12時を
過ぎていたので、まず食堂に直行しました。

 ところが食堂はいっぱいの人、注文したカレーライスはすぐに出来たのですが、
スプーンが足りません。はしでカレーライスを食べましたが、最後のご飯を
すくうのには、やはりスプーンの方が扱いやすいですね。

 腹ごしらえをしてフェスティバル会場へ。野外の芝生地でいろいろな展示をして
いました。


 測量用航空機「くにかぜ号」が公開され、中に入って見られます。軽飛行機です
が、地球を約5周する22万3千kmも飛行しているようです。


 新旧いろいろな三角点や水準点が幾つも並んでいます。




 近くには実際に使われている最新の測量点・電子基準点もあります。


 少し先に、高さ30mくらいあろうかという塔が見えます。塔の下に行って
みたら「筑波基準点」標石が埋め込まれていました。地理院の人に聞いたら、
地形図に記載されている標高25.7mの1等三角点だということでした。


 さらに先では、巨大なパラボラアンテナが回転しています。直径32mも
あり、VLBIアンテナと呼ばれるものです。


 ほかに野外では、地図の見方を学ぶオリエンテーリング大会、紙飛行機を飛ば
して飛距離を最新の測量器械でミリ単位まで計測するとか、歩幅で距離を測る
歩測大会なども開催されていました。

 構内にある博物館「地図と測量の科学館」でも、様々なイベントをしています。

 見本の日本地図を見ながら日本列島を一筆(ひとふで)書きすると、コンピュー
タが採点してくれます。子どもたちに混じってSさん、Tさん、Uさん(写真)も挑戦
しました。採点結果はどうだったんでしょうか。


 2階の展示場では、「地図で知るふるさとつくば」というテーマで、江戸時代の
つくばの古地図がたくさん展示されていました。

 2時間近く見てイベント会場を出ました。帰りの送迎バスに乗る皆さんと別れ、
私は一人で市内をもう少し歩いてみることにしました。〈続く〉

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赤坂界隈の散策

2006-03-25 23:07:26 | 地図
 パリーク開幕の今日、インボイス西武ドーム球場への乗換駅、西武鉄道西所沢駅の
ホームは、荒川静香選手の始球式を見に行く?大勢の人で、あふれていました。

 私は、反対の池袋行き電車に乗り、地図愛好グループの野外例会で、赤坂見附周辺
を散策してきました。

 今日の地図は、尾張屋清七版赤坂絵図と国土地理院発行の1万分の1地図です。

 まず、一ツ木通りの西斜面を上がって威徳寺に行きました。赤坂不動で知られ、
不動尊は社殿の前に鎮座していました。

 背後に抜けると旧赤坂小跡、ここは、大岡越前守の屋敷があったところです。

 旧厚木街道の牛鳴坂から青山通りの北側の豊川稲荷に回ります。色鮮やかな桜が
かなり咲いていました。
 
 豊川稲荷は、もとは大岡越前守の屋敷にあったのを、明治時代にこの地に移設した
そうです。

 私は、2月24日にも寄ったのですが、本殿にあった新宿末広亭が昭和32年
(1957)に奉納した掲額や、大岡越前守の御廟など、気づかなかったものもあり
ました。

 青山通りを西に進むと、高橋是清記念公園があります。高橋は、日本金融界の重鎮で、
首相、蔵相を務め、昭和11年(1936)の2・26事件の日、自宅のあったこの地で暗殺
されたのです。公園の隅に、高橋是清像がありました。

 ドイツ文化会館前を通過し、斜度の良く分かる薬研坂の中間を横切り、円通寺に
寄りました。境内の大部分は大きなビルに占有され、入口の横に時を告げたという
時の鐘の鐘楼がありました。

 赤坂パークビル前を通過し、一ツ木公園に入りました。高台にあり、西と南側に
かなり落ち込んでいます。公園のソメイヨシノが2~3分咲きでした。

 公園に接する隣の下水道局の壁面に、拡大したこの辺りの絵図があり、主な旧跡の
説明も記されていました。

 そばの三分坂を下った右手は、江戸時代の大関・雷電為右衛門の墓のある報土寺
です。寺の築地塀は、坂に合わせて造られており、坂の傾斜がよくわかります。

 店の隅に勝海舟邸跡の標柱の立つ三差路を曲がって氷川坂を上がり、赤坂6丁目の
氷川神社に入りました。

 樹木の多い境内に鎮座する社殿は、享保15年(1730)、8代将軍吉宗が建立したもの。
石の鳥居の台座には、地図ファンには必見の明治初期の水準点が刻印されていました。

 うっそうとした境内には太いクスノキやイチョウなどがありますが、とりわけ都天然
記念物のイチョウは、幹周約7.5m、推定樹齢400年の巨樹で、太い乳根が幾つも
下がっていました。

 境内には、包丁塚、溶岩の上に乗った狛犬、近くに住んでいた勝海舟が名付けた
四合(しあわせ)稲荷神社など、ほかにも見るべきものがありました。

 北東に進んだ旧氷川小跡は、勝海舟邸跡でもあったところで、「勝安芳邸跡」の標石
が立っていました。

 氷川小跡の氷川公園で最後の休憩をしました。もとは淺野内匠頭などの屋敷があった
ところです。

 東京メトロ赤坂駅で解散し、錫杖を持った銅造の地蔵菩薩座像のある浄土寺に寄り、
赤坂見附駅に戻りました。

 今日回った赤坂界隈は、ほんのわずかなエリアですが、江戸の歴史を残す寺が多く、
その地名の通り坂の多い町であることもよくわかり、あわせて、江戸切り絵図上の
道路がほとんどそのまま残っていることも認識できました。 

 

   
 

 

 
 


 
  

 
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地図・地名講座 地図の中の人物像 

2006-03-10 22:36:07 | 地図
 今日は寒い雨の1日でしたが、地図・地名講座の最終回に行って来ました。
 場所は、東京・渋谷の道玄坂を越えた大橋の近くです。

 道玄坂を上がっていったら、マンホールのふたに道玄坂の英文字が記されている
のに気づきました。普通のマンホールは、市区町村名が入っているのですが、ほんの
数百メートルだけの坂の名が入ったマンホールは珍しいのではないでしょうか。
 
 今日の講座のテーマは、「地図の中の人物像」です。

 国土地理院の2万5千分の1地形図には、たくさんの地名が盛り込まれていますが、
かなり知られた人物でも、調べてみると案外その地名は無いか少ないようです。
 地図上に名前を残している人は、有名人だといえるでしょうと、講師は言われました。
 
 有名人だけでなく、例えば自分の姓や旧姓と同じ地名があるかどうか、調べてみる
のも一興かと思います。国土地理院のHPでそれが検索できるようです。
 
 私は、小学生の頃、自分の姓と同じ地名が群馬県にあることを知り、いつか訪ねて
見たいと思っていました。

 10年ほど前、ウオーキングのグループで、群馬県内を歩きに行った帰りに、皆と
別れて、一人その地を訪ねてみました。

 榛名山ろくにある静かな村でしたが、そこの寺に、明治維新直前の日本を動かした
人物が眠っていることを知りました。そこで、その人のことを知りたいと資料を探したり、
小説を読んだりして、維新後まで生きていたらあるいは日本は違った方向に進んだかも
知れないと、大変興味を覚えたものです。

 その村は、道祖神の宝庫だとも分かり、その幾つかも訪ね歩きました。

 また、妻の旧姓と同じ地名が、新潟県と福島県にあることを知り、一緒に訪ねたこと
もあります。

 新潟県は、旧国鉄の駅があったところだったので、魚沼コシヒカリの色づく初秋の
廃線跡ウオークをしてきました。

 福島県は、桃やリンゴ畑の多いところで、春の連休の頃行ったところ、ピンクや白い
花が咲き乱れる果樹園のウオークを楽しむことができました。
 
 あなたの姓と同じ地名がどこにあるか調べて、訪ねてみてはいかがでしょうか。思い
がけぬ発見や感動があるかも知れませんよ…。
 
 最後に、講師の著書を紹介します。地図と、それに関わるところを訪ね歩いた興味
ある話題がたくさん盛り込まれています(本体1400円)。













 

  
 
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豊川稲荷東京別院

2006-02-24 21:55:27 | 地図
 今日は地図・地名講座の7回目、前回まで上野・不忍池に近い弥生会館が会場でしたが、今月末で閉館になるので、今回から目黒区青葉台の日本地図センターです。
 
 今日のテーマは「地図で楽しむ自然の風景」、山や川、海、植生、火山など、地形図の記号と実際の写真とを比べて見せてもらい、2万5千分の1地形図には、地形はもとより、たくさんの情報が盛り込まれていることを再認識しました。
 
 戦前の地形図は、陸軍の陸地測量部で作成していたのですが、その頃の地形図には、山や田畑などを軍隊が通過できるかどうかが分かる記号が幾つかあったことも知りました。
 
 講座を終え、国道246号を渋谷まで戻り、更に青山通りを外苑前、赤坂見附、三宅坂を経て日比谷公園まで、途中からは冷たいの中、歩きました。
 
 赤坂見附の近くに、豊川稲荷の東京別院があったので寄ってみました。お稲荷さんなので、社殿の前にあるのは狛犬ならぬ狛狐です。境内には、ほかにもたくさんのお狐さんがいましたが、私のほかに参拝客は居なかったので、化かされてはいけないと思い?長居はせずにお参りだけして出ました。
 
 


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たくさんのトンネル

2006-02-21 23:05:13 | 地図
 18日に歩いた上総亀山から久留里にかけての2万5千分の1地形図「坂畑」と「久留里」を見ていたら、実線(幅員1.5m~3m)や点線(幅員1.5未満)の道路に、たくさんのトンネルがあることを発見しました(写真の赤マーク)。
 18日の報告でも、7~8個、素堀りのトンネルを通過したことを書きましたが、同じようなトンネルがほかにもたくさんあるということになります。
 二つの地形図をざっと調べたら、「坂畑」には30,「久留里」では14くらいみつかりました。中にはなんと川のトンネルも数個あるのです。
 一昨年秋の中越地震で大被害を受けた新潟県の旧山古志村(現、長岡市)には、地元の人が掘った数百㍍のトンネルがあります。そのことを紹介した映画「掘るまいか手堀り中山隧道の記録」も制作され、私も昨年2月に鑑賞しました。
 山古志には、ほかにも何本も村民の掘ったトンネルのあることもその時知りましたが、こちら君津市内にはどうしてこんなにあるのでしょうか。
 いずれも山地ですが、歩いて回ってみたい気もします。
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地図・地名講座6

2006-02-10 18:50:39 | 地図
「旅を楽しくする地図・地名講座」というのに昨年11月から参加しているのですが、今日は第6回目の講座でした。今日のテーマは「江戸・東京散歩」です。
 太田道灌が江戸城を築き、徳川家康が1603年に江戸城に入って以来江戸は日本の実質的な首都となりました。その江戸の今昔を、明治初期や大正期の地形図と今日の地形図とを比べてみると大変興味があります。大名屋敷跡がホテルになっていたり、山手線が輪になっていなかったり、江戸の中心が日本橋界隈から銀座に移ったり、東京湾の埋め立てがどんどん進んだことなどがわかります。
 講義終了後、不忍池から不忍通りを南へ向かい、昌平橋を渡って靖国通りに出て、淡路町から駿河台下へ、さらに明大通りを御茶ノ水駅に上がり、外堀通りを通ってメトロ後楽園駅まで散歩しました。江戸の名残はないかと探してみたら、外堀通りに神田上水の掛樋跡の碑がみつかり、昔の絵図も彫り込まれていました。 
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