あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

アートウオークセラピーで三浦市初声町を歩く(神奈川)

2012-10-03 17:24:00 | カントリーウオーク
 2012年9月30日(日)

 台風17号が接近していたが、山浦敬子さん企画「アートウオークセラピー」と呼ぶ
ウオーキングの、今年の3回目に参加した。

 集合は京浜急行久里浜線の終点、三崎口駅。参加者は、やまさん、敬子さんご夫婦の
ほかは、カタツムリ歩行の事務局のDさんと私のみ。ほかの人は、台風の影響で午後は
雨模様との予報で敬遠したのだろうか…。10時3分にスタートした。


 国道134号を少しで、ヒガンバナの咲く神奈川県農業技術センターの北に回り、平
行する農道を進む。周辺は三浦特産の大根畑が広がり、まだ若葉の大根の上に白いビニ
ールネットを被せた畑が多い。


 北に、アンテナ塔の並ぶ三浦半島最高峰の大楠山を眺め、西方に真っ直ぐに伸びる農
道に回る。


 700mほどで右折して、標高30m前後の畑作地帯の台地から、黒崎集落に下ると
牛舎があり、子牛が外に出ていた。


 近くの三差路を西に向かい、実相寺へ。本堂背後に竹林が広がり、本堂前にソテツの
古木が茂る。


 境内には穏やかな顔立ちの新しいお地蔵さんが立ち、りっぱなフジ棚の下に東屋が設
けられていた。


 本堂内には、徳川八代将軍吉宗の母堂の祈願に霊験を現したという七面天女が祭られ
ているとか。説明板のそばの隣家のヘチマが、大きな花をたくさん見せていた。


 次の十字路際の物置のような建物の前に、大きな球形のものが置いてある。船のおも
りにでも使われたものだろうか…。


 左に回り込み、三浦七福神の大黒天を祭る延寿寺に入る。

 日蓮聖人門弟の一人、日範上人により延慶3(1310)年の建立。本堂前に、枯れ
た上人お手植えの松が、屋根を掛けて保存されている。


 境内には、たくさんの気根を垂らした樹齢約300年というイチョウの古木や、樹齢
約600年のナギがあり、いずれも三浦市保存樹木で「かまくらと三浦半島の古木・名
木50選」に選定されていた。

 寺の南から、再び大根畑などの広がる台地へ。全体が埋め込まれた標高27.4mの
三角点を過ぎ、畑が尽きたところから、しの竹の生い茂る窪地を下り、黒崎海岸に出た。



 洗濯板のような岩礁が広がり、砂浜にはスカシユリや紫色の花が咲いている。



 気持ちよい天然の芝生地に足を広げてしばし休憩し、三浦半島とは思えぬ隔絶された
静かな海岸線の展望を楽しんだ。



 大規模な岩畳の上を北に回り込んで黒崎の鼻と呼ぶ岬を回り、水際に下ったりして初
声(はつせ)町入江集落から流れ込む小さい湾側に回った。



 湾の向こうの建物や暖帯林などを眺めながら、干潮で歩ける岩畳の上を入り江の奥に
向かう。草地にはやはりスカシユリが咲き、ススキも穂を見せ始めている。


 湾が終わり細い流れに沿った草地は、さくがあり入れない。斜面林下の住宅際の道を
進むと、開発事業の看板があり、さくをした広い一帯に150棟以上の宅地と、11棟
の共同住宅やホテルを建てる計画が示されていた。

 海抜数mの海に面したこの一帯、大地震の際の津波被害は無いのかと心配であり、貴
重な草地が消えることが惜しまれる。

 黒崎集落に戻り、谷戸集落の北側で国道134号を横断して東北に向かう。初声小学
校のそばに、この付近の湿地を開拓して入江新田をつくったこと、その新田の西の矢作
(やはぎ)とは、鎌倉の武将和田義盛が矢をつくっていたことに由来することなどが記
されていた。

 初声小学校の白壁に、船を形取ったレリーフが描かれている。

 明治14年(1881)9月、嵐のため三戸沖で遭難したイギリス船ウェリントン号
の乗組員を、地元の人々が命がけで助けた象徴として、その時代の船をあらわしたもの
だという。


 学校に接して東側に若宮神社があり、大きなこま犬の台座には、ほかでは見ない絵が
描かれていた。


 若宮神社の背後に回り、広々とした畑の間の農道を北方の和田の里方向に向かう。畑
の多くはまだ若い大根で、その上をやはり白いビニール布で覆っている。


 地図上は水田のところも、ほとんどは畑に転換されているが、一部だけ実りの時期を
迎えた田んぼが残っていた。


 北端まで進んで急傾斜の石段を上がり、白旗神社の拝殿前で休憩する。

 境内はうっそうとした常緑広葉樹に覆われ、その間から南側の畑作地帯が望まれる。


 この神社の由来は、鎌倉幕府の別当、和田義盛が北条討伐の兵を挙げたが破れて一族
全部自刃したが、義盛の善政をしのび、弘長3年(1263)に和田の郷氏が社殿を祭
ったのだという。


 石段を下って西に向かう旧道に、古い庚申塔がたくさん並ぶ。国道に出てすぐ北の大
泉寺へ。境内のりっぱなソテツが、三浦半島の暖かさを感じさせる。庫裡(くり)の前
の松などの植え込みも、落ち着いたたたずまいを見せる。


 国道を渡って西に少しで八幡神社の小さな社殿があり、傍らに「和田義盛旧里碑」が
立っていた。

 和田義盛は、鎌倉幕府創建の功労者三浦大介の孫。頼朝挙兵で大いに活躍して最高職
の侍所の別当に任じられ、頼朝、頼家、実朝三代にわたり忠誠を尽くした。

 しかし退潮の源氏に代わり天下を狙う北条氏の策謀に乗り「建保の乱」を起こすも同
族三浦氏の寝返りで北条氏に滅ぼされたという。


 ここで記念撮影をして、近くの和田バス停に13時50分に着いた。間もなくの横須
賀駅行きのバスで帰路につく。

 横須賀市内は青空が見えていたが次第に台風17号の黒雲が増え、西所沢駅に降りた
ら、本降りになっていた。

(天気 晴、参加 4人、距離  ㎞、地図(1/2.5万) 浦賀、秋谷、歩行地
 三浦市、歩数 11,500)



アウトドア ブログランキングへ


にほんブログ村 アウトドアブログ 散歩・ウォーキングへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする