あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

奥武蔵の山懐、毛呂山町周辺をカントリーウオーク(埼玉)

2013-10-15 18:25:20 | カントリーウオーク

 前回アップした「ところざわ祭り」と日にちが前後しますが、その1日前のウオーキン
グレポートです。

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 2013年10月12日(土)

 東京では、気象庁が記録を取り始めて以来最も遅い真夏日となったこの日、カントリー
ウオークグループの第207回例会に参加した。県内でもところにより30℃を超す暑さ
という予報である。

 集合は西武池袋線の武蔵横手駅。10時3分にスタートした。


 == 林間を北向地蔵から鎌北湖へ ==

 
 県道299号を少し戻り、「五常の滝」の標識に従い北への細い林道へ。山下集落を抜
ける辺りに、スダチやユズなどの無人販売かごが置かれていた。


 集落を抜ける頃から杉を主とする針葉樹林下になり、五条の滝からの流れの右岸沿いを
緩やかに上がって行く。日射しが遮られて暑さが和らぎ、せせらぎの瀬音が気持ちよい。


 杉の木に巻き付けられた滝への標識に従い、車道から左岸への土の道へ。すぐに一本橋
があるが腐りかけているので、横の石を飛んで対岸に回る。


 5分足らずで五常の滝の直下に着いた。垂直に近い岩の斜面から滝が落下している。水
量はそう多くはないが落差は12mあり、結構見栄えがする。


 右岸の斜面に小さいお堂があり、五常の滝不動尊が祭られている。その横から林道に戻
った。


 すぐ先のY字路から左の土山集落への道に入るのだが、ここで小休止する。途中で追い
抜いた、ノルディックウオークのグループが着いたので出発した。

 さらに杉やヒノキの林間を進む。これは何の実だろうか…。幾つか見つかった。


 集落の上部からは斜度が緩んで右に回り込み、車道や奥武蔵自然歩道が横切る峠に着く。


 北向地蔵堂があり標高は377m、武蔵横手駅から約260m上がってきたことになる。

 地蔵堂には3体のお地蔵さんが祭られ、その横に「佛心」と書かれた小さい鐘が下がっ
ている。

 天明6年(1786)に流行した悪疫を防ごうと、野州(栃木県)岩舟地蔵尊から分身
を譲り受け、北の岩舟地蔵に向いて立っているので北向地蔵の名で親しまれているという。

 地蔵堂の横で小休止し、鎌北湖への下り道へ。こちらも針葉樹に覆われ、傾斜も緩くて
歩きやすい。


 上空に送電線が近づいた辺りで、樹林が切れて東側の展望が開けるが、暑さでやや霞ん
でいる。舗装した林道を横切り、さらに杉などの樹林下を進み、12時20分に鎌北湖の
東南岸に下った。



 湖面には大きなヘラブナらしい群落が回遊するのが見られ、湖岸の大きなクサギがいっ
ぱい実を付けている。


 湖畔のあちこちにはかなりの釣り人が糸を垂れ、時々大きなのを釣り上げる。


 湖に少し突き出た、モミジと歌碑のそばに腰を下ろして昼食にした。





 == 秋色の里道を新しき村へ ==


 湖岸の東側、犬魂碑↓が祭られ隣に釣具店の建物のある広場でミーティングをして、
13時3分に出発する。


 ちなみに鎌北湖は、昭和10年(1935)に完成したかんがい用の溜池で、当時は山
根溜池と呼ばれ、有効水面積3.8㏊、計画貯水量は30万立方mという。

 このことを記した説明板の横から鎌北湖東岸の堰堤(えんてい)を下ると、「一級河川
大谷木川起点」碑が立っていた。


 眼下の流れをのぞくと、こちらにもヘラブナらしい姿が見える。


 大谷木川沿いも杉を主とした樹林下で、斜度もわずかでせせらぎを聞きながら快適に進
める。


 字も読めないこけ生した石碑が並ぶ一角を過ぎると、林を抜けて田園地帯に出た。

 谷地田に、まだはさ掛けが残り、近くの畑の柿が色づいている。


 脱穀のためにはさから稲束を外している田んぼもあり、わずかな大谷木の民家がその向
こうに望まれ、ニッポンの秋を感じるのどかな農村風景が広がる。


 だが今日は、気温が上がって30℃近いだろうか…。この暑さだけが残念なところだ。


 炭焼き釜や色づき始めたユズの木、アケビの実る畑などの横を進む。


 柿畑の中にたくさんコスモスが咲いていた。ここでもう一度記念撮影をする。



 間もなく毛呂山町(もろやままち)総合運動公園に着き、暑さを避けてフジ棚に覆われ
た東屋で休憩する。


 5年前の例会で記念撮影をしたゴジラ像の頭を撫で、公園を離れた。


 サッカー練習中のグランドを南から見下ろし、奥武蔵の山並みをふり返りながら公園の
東に出た。


 近くに、いまが見頃なコスモス畑が何か所かあり、それらの間にはソバ畑の白い花も望
まれる。


 車道を離れて南側の旧道や林間の細道を抜け、県道30号を横断して葛貫集落へ。造成
工事中の横から県道バイパス下を抜けて、JR八高線(はちこうせん)の踏切を越える。

 すぐ先が、昭和14年(1939)に武者小路実篤と同志が理想郷を目指して宮崎県か
ら移転してきた、「新しき村」である。


 近年は村内生活者が減り、あわせて高齢化が進んで農業収入の低迷もあり、村の運営は
厳しくなっているようで、人気(ひとけ)も無く活気が感じられない。


 村の中ほどにある売店では、ここで生産された卵や米、シイタケ、干しナスなどをわず
かながら販売していた。


 日射しを避けてそばの東屋で休憩する。隣は新しき村美術館だが、入館者は見られない。

 村の東側の林を抜けて、まだ黄金色の稲穂が広がる谷地田に出た。刈り入れ中の田んぼ
もある。


 戸建て住宅の並ぶ北側の毛呂山団地に上がり、武蔵野霊園の東を回り、ゴールの東武越
生(おごせ)線の武州長瀬駅に15時25分に着いた。

 帰路の途中、16時近い東武東上線川越市駅の気温は30℃に近かった。

(参加 11人、天気 快晴後晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 飯能、越生、
 歩行地 日高市、毛呂山町、坂戸市、累積標高差 上り約410m、下り約460m、
 歩数 21,700)




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コメント (2)
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