埼玉のカントリーウオークグループの、「特別例会」と称する1泊のカントリーウオー
ク、この秋は甲府盆地の東側、ブドウ畑とモモ畑の間を歩こうと、10月25日~26日
に実施された。集合はJR中央本線の勝沼ぶどう郷駅である。
2014年10月25日(土)
勝沼ぶどう郷の駅前からは、色づくブドウ畑の向こうに、甲府盆地を囲む奥秩父や南ア
ルプス北部、御坂山塊などの山並みが望まれる。


2本の電車で到着した13人は10時50分に出発した。
線路沿いの遊歩道を北へ、桜並木の下に、昭和43年(1968)の複線化までスイッ
チバック方式だった当時の、旧勝沼駅ホームが残されていた。


北西に下って「勝沼ぶどうの丘」の台地の北側を回る。周辺のぶどう畑にはブドウの実
の残るところもあり、葉は良い色に色づく。

積み残した粒の残るブドウ畑もあり、いただいて口に入れると熟しているので甘い。
車道を赤坂バス停横で横断し、小佐手集落に入る。ハンカチくらいの白布を外で洗う家
があった。

ブドウの実に被せたあったビニール片で、きれいにして再利用するのだという。
かやぶき屋根をトタンで覆った民家が2軒並び、周辺の民家の庭先には熟したザクロが
あちこちに実る。その一軒のご主人が出ていたので声をかけたら、幾つか採ってくれた。

子どもの頃食べたのは少し甘酸っぱかったように思うが、よく熟したこのザクロは、ず
っと甘いように感じられた。
ブドウ畑の傍らに、丸い石を並べた甲州独特の道祖神が祭られていて、この後も交差点
際や神社など何か所も見られた。


集落の中ほどにあった伏木神社で小休止する。鳥居の横に「伏木神社の七本スギ」と呼
ぶ背の高いスギのご神木が立っている。7本あったものの1本のようだ。


さらに進むとカリンの実る家も目につき、ブドウ畑の中には、かなりの古木もある。


集落西端の三差路際に「蠶影山」と刻まれた大きな石碑があり、そばの民家は養蚕農家
のような屋根。

南側の家の方に聞くと、やはり以前は養蚕をしていたという。現在のこの周辺は、全部
がブドウ畑に変わっていた。
次の小集落、横落の周辺もブドウ畑が続き、よい彩りの実がたわわのブドウ畑もある。

国道411号を子安橋北詰交差点で横断し、そばのディリーストアで弁当の無い人は調
達をする。

子安橋の南から田草川左岸沿いの道を少し進み、ブドウ畑の間を南下して、等々力集落
の万福寺に12時42分に入る。

甲斐国百八番霊場第16番札所で、境内西南の六角堂↑や山門は新しく、大本堂はコン
クリート造り。本堂前の石段周辺で昼食をした。


山門のそばには「山梨の巨樹・名木100選」のエノキの古木が太い幹と大きな枝振り
を見せ、東側には大イチョウが枝を広げる。

山門際に「馬蹄石」と呼ぶ大石が置かれ、そばに寛政年間(1789~1801)頃建
立したとされ、「野晒(のざらし)紀行」の際に甲斐で呼んだという「行駒の麦に慰むや
どりかな」の芭蕉句碑がある。

県内で3番目に古い句碑ということもあり、文字は判読しにくい。
13時30分、参道を南に出て、十字路を折り返すように西北に向かう。そばに「一古
園」と呼ぶぶどう園があり、観光バスが来て賑わっている。

その先にも幾つかのぶどう園があった。
綿塚集落の東端に、集落の産土神(うすすながみ)の大石神社がある。本殿下の巨石が
ご神体で、万福寺にあった馬蹄石とともに、この地の黒駒伝説と深い関わりがあるという。

拝殿は天保2年(1831)の建立とされているようだ。
綿塚集落の中心には、前面が柱だけの開放的な飯縄神社があった。


傍らのクヌギの大木の枝振りは、ほかでは見られぬ見事なもの。ほかの集落にもあった
が、この集落にも実の色づいた柿の木が多い。
集落を西に抜けて石橋川沿いに出て、左岸の農道を進む。

サクランボ畑もあり、ブドウ畑に代わって桃畑が増える。気温が上がり汗ばんでくる。
遮るものがなく、北側の山並みなどの展望がよい。

川沿いを2㎞ほど進んだ重川橋近くに、川を背にして「蠶神」などの古い石碑が並んで
いた。

県道222号の重川橋を渡り、橋の手前で合流した重川右岸を少しで、大野集落に入る。

集落の中ほどに丸い石ひとつだけの道祖神が祭られ、集落を西に抜けて釜無川の桑戸橋
近くまで進むと、御坂山塊の上に富士山の上部だけが姿を現した。


橋を渡ったところで記念撮影をする。橋が市境で、甲州市から笛吹市に入る。

桑戸集落の中ほどの仏念寺に、明治35年(1902)にこの地に生まれ、瀬戸内海の
長島愛生園で救ライ活動に生涯を捧げた小川正子の墓と歌碑があると記されていたが、法
事中だったので寄らずに通過する。

隣接する一行寺の本堂左手前には、「一行寺のカヤ」と呼ぶ樹高15m、目通り3.3m
のカヤの古木があり、毎年秋には県下最大の大きな実をつけるという。

町の天然記念物になっていて、後から境内に入ったメンバーは、帰ってきたご住職から
説明を受けた。
ここまで来れば今日のゴールは近い。少し陽の傾いた15時35分に、勝沼ぶどう郷駅
から四つ目、無人の春日居町駅に着いた。

駅の南側に、10年くらい前からという足湯があった。

下り電車まで30分以上ある。KさんとNさん、それに私は足湯に浸かり、わずかに顔
を見せる富士山を眺めながら足の疲れをとる。

16時8分発下り電車に乗り、次の駅石和温泉駅で降りた。この駅前にも足湯がある。

迎えに来た宿のマイクロバスに乗り、県道を30分ほど南東へ。16時40分に笛吹市
下黒駒の「季節のお宿ひみね」に入った。

リピーターの多い評判の民宿のようで、この日も私たち13名のほかに、ゲートボール
グループなど5組21名の宿泊者の予約表が玄関に掲示されていた。
18時半からの夕食は、ほかの宿泊者ともに大広間で。ヤマメの唐揚げ、馬刺しや鍋物、
茶碗蒸しなど盛りだくさんで、みな美味しい。デザートには、地元特産のブドウが添えら
れていた。

食後に玄関横の掲示を見たら、私も参加予定だったが風邪で来られなかった、2009
年4月にやまさんほか3人が「国際ウオーキングトレイル実踏」の際に宿泊したお礼に、
やまさんから送られた、当日歩いたコース地図と写真が貼ってあるのに気付く。


宿のご主人と奥様に話すと大変喜ばれ、ほかにも宿泊者からの色紙や写真などがたくさ
ん貼ってあり、この宿の人気の一端が知れる。
(参加 13人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 塩山、歩行地 甲州
市、笛吹市、歩数 18,000、累積標高差 上り約20m、下り約210m)
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ク、この秋は甲府盆地の東側、ブドウ畑とモモ畑の間を歩こうと、10月25日~26日
に実施された。集合はJR中央本線の勝沼ぶどう郷駅である。
2014年10月25日(土)
勝沼ぶどう郷の駅前からは、色づくブドウ畑の向こうに、甲府盆地を囲む奥秩父や南ア
ルプス北部、御坂山塊などの山並みが望まれる。


2本の電車で到着した13人は10時50分に出発した。
線路沿いの遊歩道を北へ、桜並木の下に、昭和43年(1968)の複線化までスイッ
チバック方式だった当時の、旧勝沼駅ホームが残されていた。


北西に下って「勝沼ぶどうの丘」の台地の北側を回る。周辺のぶどう畑にはブドウの実
の残るところもあり、葉は良い色に色づく。

積み残した粒の残るブドウ畑もあり、いただいて口に入れると熟しているので甘い。
車道を赤坂バス停横で横断し、小佐手集落に入る。ハンカチくらいの白布を外で洗う家
があった。

ブドウの実に被せたあったビニール片で、きれいにして再利用するのだという。
かやぶき屋根をトタンで覆った民家が2軒並び、周辺の民家の庭先には熟したザクロが
あちこちに実る。その一軒のご主人が出ていたので声をかけたら、幾つか採ってくれた。

子どもの頃食べたのは少し甘酸っぱかったように思うが、よく熟したこのザクロは、ず
っと甘いように感じられた。
ブドウ畑の傍らに、丸い石を並べた甲州独特の道祖神が祭られていて、この後も交差点
際や神社など何か所も見られた。


集落の中ほどにあった伏木神社で小休止する。鳥居の横に「伏木神社の七本スギ」と呼
ぶ背の高いスギのご神木が立っている。7本あったものの1本のようだ。


さらに進むとカリンの実る家も目につき、ブドウ畑の中には、かなりの古木もある。


集落西端の三差路際に「蠶影山」と刻まれた大きな石碑があり、そばの民家は養蚕農家
のような屋根。

南側の家の方に聞くと、やはり以前は養蚕をしていたという。現在のこの周辺は、全部
がブドウ畑に変わっていた。
次の小集落、横落の周辺もブドウ畑が続き、よい彩りの実がたわわのブドウ畑もある。

国道411号を子安橋北詰交差点で横断し、そばのディリーストアで弁当の無い人は調
達をする。

子安橋の南から田草川左岸沿いの道を少し進み、ブドウ畑の間を南下して、等々力集落
の万福寺に12時42分に入る。

甲斐国百八番霊場第16番札所で、境内西南の六角堂↑や山門は新しく、大本堂はコン
クリート造り。本堂前の石段周辺で昼食をした。


山門のそばには「山梨の巨樹・名木100選」のエノキの古木が太い幹と大きな枝振り
を見せ、東側には大イチョウが枝を広げる。

山門際に「馬蹄石」と呼ぶ大石が置かれ、そばに寛政年間(1789~1801)頃建
立したとされ、「野晒(のざらし)紀行」の際に甲斐で呼んだという「行駒の麦に慰むや
どりかな」の芭蕉句碑がある。

県内で3番目に古い句碑ということもあり、文字は判読しにくい。
13時30分、参道を南に出て、十字路を折り返すように西北に向かう。そばに「一古
園」と呼ぶぶどう園があり、観光バスが来て賑わっている。

その先にも幾つかのぶどう園があった。
綿塚集落の東端に、集落の産土神(うすすながみ)の大石神社がある。本殿下の巨石が
ご神体で、万福寺にあった馬蹄石とともに、この地の黒駒伝説と深い関わりがあるという。

拝殿は天保2年(1831)の建立とされているようだ。
綿塚集落の中心には、前面が柱だけの開放的な飯縄神社があった。


傍らのクヌギの大木の枝振りは、ほかでは見られぬ見事なもの。ほかの集落にもあった
が、この集落にも実の色づいた柿の木が多い。
集落を西に抜けて石橋川沿いに出て、左岸の農道を進む。

サクランボ畑もあり、ブドウ畑に代わって桃畑が増える。気温が上がり汗ばんでくる。
遮るものがなく、北側の山並みなどの展望がよい。

川沿いを2㎞ほど進んだ重川橋近くに、川を背にして「蠶神」などの古い石碑が並んで
いた。

県道222号の重川橋を渡り、橋の手前で合流した重川右岸を少しで、大野集落に入る。

集落の中ほどに丸い石ひとつだけの道祖神が祭られ、集落を西に抜けて釜無川の桑戸橋
近くまで進むと、御坂山塊の上に富士山の上部だけが姿を現した。


橋を渡ったところで記念撮影をする。橋が市境で、甲州市から笛吹市に入る。

桑戸集落の中ほどの仏念寺に、明治35年(1902)にこの地に生まれ、瀬戸内海の
長島愛生園で救ライ活動に生涯を捧げた小川正子の墓と歌碑があると記されていたが、法
事中だったので寄らずに通過する。

隣接する一行寺の本堂左手前には、「一行寺のカヤ」と呼ぶ樹高15m、目通り3.3m
のカヤの古木があり、毎年秋には県下最大の大きな実をつけるという。

町の天然記念物になっていて、後から境内に入ったメンバーは、帰ってきたご住職から
説明を受けた。
ここまで来れば今日のゴールは近い。少し陽の傾いた15時35分に、勝沼ぶどう郷駅
から四つ目、無人の春日居町駅に着いた。

駅の南側に、10年くらい前からという足湯があった。

下り電車まで30分以上ある。KさんとNさん、それに私は足湯に浸かり、わずかに顔
を見せる富士山を眺めながら足の疲れをとる。

16時8分発下り電車に乗り、次の駅石和温泉駅で降りた。この駅前にも足湯がある。

迎えに来た宿のマイクロバスに乗り、県道を30分ほど南東へ。16時40分に笛吹市
下黒駒の「季節のお宿ひみね」に入った。

リピーターの多い評判の民宿のようで、この日も私たち13名のほかに、ゲートボール
グループなど5組21名の宿泊者の予約表が玄関に掲示されていた。
18時半からの夕食は、ほかの宿泊者ともに大広間で。ヤマメの唐揚げ、馬刺しや鍋物、
茶碗蒸しなど盛りだくさんで、みな美味しい。デザートには、地元特産のブドウが添えら
れていた。

食後に玄関横の掲示を見たら、私も参加予定だったが風邪で来られなかった、2009
年4月にやまさんほか3人が「国際ウオーキングトレイル実踏」の際に宿泊したお礼に、
やまさんから送られた、当日歩いたコース地図と写真が貼ってあるのに気付く。


宿のご主人と奥様に話すと大変喜ばれ、ほかにも宿泊者からの色紙や写真などがたくさ
ん貼ってあり、この宿の人気の一端が知れる。
(参加 13人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 塩山、歩行地 甲州
市、笛吹市、歩数 18,000、累積標高差 上り約20m、下り約210m)


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