2014年10月11日(土)
昨日、10月10日は昭和39年(1964)の東京オリンピック開会式からちょうど
50年の記念すべき日で、メディアでは50年前のことが種々報道されていました。
私も当日は、東京国立競技場でのオリンピック開会式を見ることができました。
開会式の入場券は往復はがきで申し込むことになっていて、私も家族5人の名前で申し
込んだところ、幸運にその1枚が当選して入場することができたのです。
開会式の公式プログラム表紙
当日撮った写真が5枚残っていましたので、ご覧いただくこととします。
最初は選手入場に先立つブラスバンドの入場。
私の席は、バックスタンド中段のやや第2コーナー寄りでした。次々に各国の選手が入
場してきます。
最後は、開催国の日本選手団の入場。
メインスタンド前に並ぶ選手の列。全選手の入場を終えた頃かもしれません。
1か月前の9月10日に69歳で亡くなられた最終ランナー、坂井義則さんが聖火台に
点火した後の燃える聖火。右後ろにふり返って撮ったものです。
当日のことを記録した短い日誌を読み直してみたら、以下のように書いてありました。
10月10日(土) 快晴 朝15℃ 夜 23℃
オリンピック開会式の日、前日までの雨上がり、うそのように雲一つない快晴。2時間
年休で正午ごろ国立競技場に入る。緑の芝生に赤のアンツーカー、14時ギリシヤを先頭
に94ヶ国入場行進。赤青黄茶さまざまの服装で大小選手団の美しい色の行進。白と赤の
日本選手団が最後に入り、開会宣言などののち聖火入場は坂井義則君。小野選手の宣誓な
ど2時間にわたる音と光の華麗なパレードを終わる。世界を一つに結んで若さあふれる集
い、忘れられぬひとときだった。
その後、10月18日に同じ国立競技場で行われた陸上競技を観覧しました。この日は
あいにく冷たい雨の日でした。当日のプログラム表紙。
大会期間中発売された東京都交通局の記念乗車券(都電用)も残っていました。
以下は、大会後に刊行されたアサヒグラフと毎日グラフの表紙。
さて、6年後の2度目の東京オリンピックも観戦することができるでしょうか……
(一部10月13日に追記)
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昨日、10月10日は昭和39年(1964)の東京オリンピック開会式からちょうど
50年の記念すべき日で、メディアでは50年前のことが種々報道されていました。
私も当日は、東京国立競技場でのオリンピック開会式を見ることができました。
開会式の入場券は往復はがきで申し込むことになっていて、私も家族5人の名前で申し
込んだところ、幸運にその1枚が当選して入場することができたのです。
開会式の公式プログラム表紙
当日撮った写真が5枚残っていましたので、ご覧いただくこととします。
最初は選手入場に先立つブラスバンドの入場。
私の席は、バックスタンド中段のやや第2コーナー寄りでした。次々に各国の選手が入
場してきます。
最後は、開催国の日本選手団の入場。
メインスタンド前に並ぶ選手の列。全選手の入場を終えた頃かもしれません。
1か月前の9月10日に69歳で亡くなられた最終ランナー、坂井義則さんが聖火台に
点火した後の燃える聖火。右後ろにふり返って撮ったものです。
当日のことを記録した短い日誌を読み直してみたら、以下のように書いてありました。
10月10日(土) 快晴 朝15℃ 夜 23℃
オリンピック開会式の日、前日までの雨上がり、うそのように雲一つない快晴。2時間
年休で正午ごろ国立競技場に入る。緑の芝生に赤のアンツーカー、14時ギリシヤを先頭
に94ヶ国入場行進。赤青黄茶さまざまの服装で大小選手団の美しい色の行進。白と赤の
日本選手団が最後に入り、開会宣言などののち聖火入場は坂井義則君。小野選手の宣誓な
ど2時間にわたる音と光の華麗なパレードを終わる。世界を一つに結んで若さあふれる集
い、忘れられぬひとときだった。
その後、10月18日に同じ国立競技場で行われた陸上競技を観覧しました。この日は
あいにく冷たい雨の日でした。当日のプログラム表紙。
大会期間中発売された東京都交通局の記念乗車券(都電用)も残っていました。
以下は、大会後に刊行されたアサヒグラフと毎日グラフの表紙。
さて、6年後の2度目の東京オリンピックも観戦することができるでしょうか……
(一部10月13日に追記)
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