2015年2月11日(祝・水)
埼玉のカントリーウオークグループの22年目の記念日である、第220回例会に参加
した。
最高気温は12℃の予報で、この時期としては暖かい日和に恵まれた。わがグループは
遅れて到着のTさんを待ち、10時30分にJR宇都宮線の東大宮駅東口を出た。
== 芝川と見沼代用水を渡り盆栽村へ ==
線路に平行する通りを南下し、県道5号・第二産業道路の下を抜ける。県道に平行する
道路を少しで八雲神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/cb/5fff03d672d279ac80c4dde979f282e4.jpg)
路傍の盛土の上に御嶽社が祭られ、その下には初めて見る「堅窂地神」と刻まれた文化
8年(1811)造立の石碑が立つ。
敷地は広いが社殿は小さく、傍らの桜の古木の下に、市の民俗文化財「砂の万灯」の説
明板がある。境内南西端には、市の天然記念物で「砂の大ケヤキ」と呼ばれる樹高30m、
樹齢600年と推定されるケヤキの大木が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/86/9e9fbb5586218016cf34f5950356c455.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/d5/67a8965aa94ef91eba27fcaa5384bbdc.jpg)
東大宮一丁目の住宅地を抜けて、芝川の左岸堤防に出る。この辺りの河川敷は広く、周
辺にはたくさんの家庭菜園が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/fe/7ada1227d02daea1364ab536898d688a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/bd/3c7f0f453517071aada19dd81b9f8a09.jpg)
芝川の見沼橋を渡り、りっぱな校舎の土呂(とろ)中の南へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a6/ea2549ad12821198208bc923b33cc2db.jpg)
見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)の橋を渡り、土呂町二丁目の住宅地を
南下すると、次の三差路際に大きな長屋門が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/3a/34366b6b458cfd497bc18ec874abdd9e.jpg)
土呂村の名主を務めた小島(おじま)家で、長屋門の右側には、弘化2年(1845)
に高野長英が「蛮社の獄」から逃走して逃亡中にかくまったという6畳間があるとか。
長屋門の左側には、明治時代に剣道の発展に尽くして剣聖と言われた、高野佐三郎の道
場、明信館の分館が置かれていたという。
南側の見沼公園には、わらべ歌の歌詞と所作を記したベンチが幾つか並ぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/8e/8470a90d85336edb2a6d7f2fe2dbc4b9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c6/a5ab273c886675461186c63f45ccdc2f.jpg)
それに続く森には神明社と八雲神社が祭られ、神明社の背後には、大石の「土呂土地区
画整理完成記念碑」が目につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/25/1564c8b09b282a419d9fe9cfdcd4daf4.jpg)
神明社の由緒によれば、境内東側は江戸中期まで見沼が広がっていて、この地「土呂」
は「瀞(とろ)」と同じ意味で、静かに水をたたえる場所を示す語だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fd/8f7af94028cd38823dc0e6c8fd8d3b98.jpg)
それまで気付かなかったが、鳥居の横に並ぶ庚申塔など三つの石塔を見て、この神社は、
昨年9月21日に東武野田線の大宮公園駅スタートの「続カタツムリ歩行」のゴールだっ
たと思い出す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/6d/419bb44dcc1a46d9968b7017122f1b69.jpg)
見沼代用水西縁沿いを少しで、市民の森・グリーンセンターに入る。建物の近くの大き
なマンサクがいっぱいの花を見せ、その先のロウバイにもまだ花が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/75/0ec32edca36a91e0d0790f913c407ff1.jpg)
JR土呂駅に延びる広い道路を横断し、さらに代用水沿いを進む。右手には建設中の東
大宮総合病院の大きな建物が目につき、高齢化に伴う患者の急増に対処するためかとうか
がえる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/9e/db56c4f2ca0878beba136655467de8ca.jpg)
見沼代用水が東武野田線の線路に接したところで用水を離れ、土呂町に入る。周辺は区
画整理中で新しい道路ができはじめており、工事中の東大宮総合病院の西側にも大きな長
屋門が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f4/03d034b73d5e48e5d78cd32de3fe8e59.jpg)
その西側にポツンとあるのが「土呂の地蔵堂」。一説では、江戸時代の土呂村領主旗本
の初鹿野(はじかの)氏の墓守堂(はかもりどう)として建てたものともいわれているが、
「新編武藏風土記稿」には「村民の持(もち)」と記されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/ca/d62725b0fc10c1b200ccae0ca97f7677.jpg)
ちなみに、初代初鹿野氏は甲斐国武田氏の家臣だったが主家滅亡後、徳川家康に仕えて
土呂村領主となったとか。初鹿野という名は、JR中央本線甲斐大和駅の旧駅名だったこ
とを思いだし、出身地があの辺りだったのかと知れる。
車の途切れるのを待って県道35号・産業道路を横断して、大宮盆栽村とも呼ばれる盆
栽町に入る。昼食地の「盆栽四季の家」には12時6分に着いた。朝の用事を済ませてか
ら駆けつけたKTさんも、同じ頃到着する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/11/e3c7cc55230ad1a99b6f87b204ba3973.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/57/b0ad8e76ae678849fca88d54dc9ab0f6.jpg)
== 大宮公園を抜けてさいたま新都心へ ==
昼食後、近くで公開している盆栽園・蔓青園(まんせいえん)に入り、松やケヤキ、梅
など見事に仕立てたたくさんの盆栽を眺める(園内は撮影禁止・外から撮る)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/f4/ab2ea79d747b06f7d4253115cda992cd.jpg)
ミーティングと記念撮影を済ませ、13時8分に盆栽四季の家を後にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3e/94b008a8c0769f31f81e996e0b60cb79.jpg)
2本西の「かえで通り」に回り、さいたま市立漫画会館で30分の観覧時間をとる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/14/406a18e964d8d16b07b4499301c3273b.jpg)
漫画会館は、旧大宮市が生んだ日本の近代漫画の創始者、北澤楽天(1876~1955)
の業績を記念するとともに、漫画文化の発展を図るため、楽天の邸宅跡に建設されたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c0/bc4fbf92d5f8aeb5f1262d72024558d1.jpg)
楽天は福沢諭吉に認められ、諭吉の発刊した新聞、時事新報紙上で、国際政治から子ど
も向けまで広範囲の漫画を掲載し、「漫画」という言葉も楽天が使い始めたものだという。
展示室を回り、楽天の生涯や作品のほか、4日後の15日まで開催中の「さいたま市民
漫画展2014」の入賞・佳作作品展のほほえましい作品の数々や、楽天が住んでいた当
時から残るという日本庭園などを観賞する(入館料無料、館内は撮影禁止)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/25/8297c90c620276253fcabfc4469382d9.jpg)
漫画会館前の住宅に、背の低くてずんぐりした変わった姿の馬がいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ab/017bc17e79a2d3066d38e36704f284c1.jpg)
近くの植竹稲荷神社は境内が広いが社殿は小さく、鳥居際のスダジイの高木だけが目に
ついた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/27/7e4e588d4684423b3674c5dddd9e0b8c.jpg)
東武野田線大宮公園駅の南側を回り、産業道路を横断して寿能町(じゅのうちよう)二
丁目へ。日本山妙法寺の狛犬はライオンのような顔立ち。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/31/bc2a6215c9df99d94332edaff78fcbcb.jpg)
その先の寿能公園は、敵対していた北条氏の備えのために、岩槻城の支城として永禄3
年(1560)頃築かれたといわれる寿能城跡。
岩槻の太田資正(おおたすけまさ)の子、潮田出羽守資忠(うしおだでわのかみすけた
だ)の居城と言われ、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原城攻めの際に、豊臣勢
の攻撃で落城したとか。物見櫓(ものみやぐら)の跡とも呼ばれる塚の上に、潮田出羽守
資忠の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a1/81a694188024167529f796575e059b03.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/17/c5c5bc3b429978e48d7824a6a06f0cd5.jpg)
再び見沼代用水沿いの遊歩道を進む。用水の水量は、先ほどより豊富になっているよう
に見えた。水車小屋のところで見沼代用水を離れ、歩道橋で産業道路の上を越えて大宮公
園に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/38/5fc7be5cd2d2d70e2e0d9285db0fda9f.jpg)
大宮競輪場と県営球場の横を通過し、球場と大宮アルディージャのホームグランド、
NACK5(なつくふぁいぶ)スタジアムの間を進むと、「蛇松(鷹止の松)跡」の説明
板があり、寛永年中(1624~44)に徳川家光がこの地で鷹狩りを行った際のことが
記されていた。
西に抜けたところにあった頑丈そうな保護建物の中に、第2代埼玉県令(知事)白根多
助頌徳碑があるが、碑が浸食されていて碑文は判読し難い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/dd/1a27e0a526518c2b2f686c7b145e03f5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/d7/c94fdb26a7c7f1c0c9913d107c908871.jpg)
赤松林の中を進んで、先週に続き武藏一宮、氷川神社に参拝する。建国記念の日のため
か、拝殿には参拝者の列ができていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/56/700621162532a97119b7a1ad4def0d01.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/2a/7ecd54e36941010c2b2e403dd953cca7.jpg)
参道を南へ、二の鳥居まで進み、交差点の南東側にある結婚式場、清水園の1階ロビー
に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/78/66e8a4ba94cf1d6c4794607c0007a251.jpg)
ここには、昭和9年(1934)に描かれた大宮の絵地図があり、この清水園が公園だ
ったことが知れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/23/283e81925fa7738cd7fe0fabb2529c30.jpg)
二の鳥居の一つ北側の通りに戻り、西進して中山道際にある東光寺へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8e/dac9ed47c8974c319a69c1a23dad7fe6.jpg)
本堂背後の広い墓地の一角に北沢楽天の墓地があり、新しい北沢楽天像や、楽天が描い
た100の絵を並べた「北沢楽天百絵摩尼車(まにぐるま)」など、ユニークな石造物が
並んでいた。
本堂はどっしりしたコンクリート造り。南側には、りっぱな仁王門を再建中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/1d/8bddc55ea73cafd5991b623b18bfa415.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c4/5556efdb685ffc75aad3c9a4cc3213f5.jpg)
東光寺の東側から南に延びる通りを南下し、大宮区役所横などを通過して氷川神社参道
の南端付近に入り、ゴールのJRさいたま新都心駅下に16時12分に着く。
(参加 17人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、浦和、歩行地
さいたま市見沼区、北区、大宮区、歩数 15,900)
アウトドア ブログランキングへ
![にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ](http://outdoor.blogmura.com/walking/img/walking88_31.gif)
にほんブログ村
埼玉のカントリーウオークグループの22年目の記念日である、第220回例会に参加
した。
最高気温は12℃の予報で、この時期としては暖かい日和に恵まれた。わがグループは
遅れて到着のTさんを待ち、10時30分にJR宇都宮線の東大宮駅東口を出た。
== 芝川と見沼代用水を渡り盆栽村へ ==
線路に平行する通りを南下し、県道5号・第二産業道路の下を抜ける。県道に平行する
道路を少しで八雲神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/cb/5fff03d672d279ac80c4dde979f282e4.jpg)
路傍の盛土の上に御嶽社が祭られ、その下には初めて見る「堅窂地神」と刻まれた文化
8年(1811)造立の石碑が立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/e8/2bd4d613f814209516eee3f4485b4a59.jpg)
敷地は広いが社殿は小さく、傍らの桜の古木の下に、市の民俗文化財「砂の万灯」の説
明板がある。境内南西端には、市の天然記念物で「砂の大ケヤキ」と呼ばれる樹高30m、
樹齢600年と推定されるケヤキの大木が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/86/9e9fbb5586218016cf34f5950356c455.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/d5/67a8965aa94ef91eba27fcaa5384bbdc.jpg)
東大宮一丁目の住宅地を抜けて、芝川の左岸堤防に出る。この辺りの河川敷は広く、周
辺にはたくさんの家庭菜園が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/fe/7ada1227d02daea1364ab536898d688a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/bd/3c7f0f453517071aada19dd81b9f8a09.jpg)
芝川の見沼橋を渡り、りっぱな校舎の土呂(とろ)中の南へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a6/ea2549ad12821198208bc923b33cc2db.jpg)
見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)の橋を渡り、土呂町二丁目の住宅地を
南下すると、次の三差路際に大きな長屋門が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/3a/34366b6b458cfd497bc18ec874abdd9e.jpg)
土呂村の名主を務めた小島(おじま)家で、長屋門の右側には、弘化2年(1845)
に高野長英が「蛮社の獄」から逃走して逃亡中にかくまったという6畳間があるとか。
長屋門の左側には、明治時代に剣道の発展に尽くして剣聖と言われた、高野佐三郎の道
場、明信館の分館が置かれていたという。
南側の見沼公園には、わらべ歌の歌詞と所作を記したベンチが幾つか並ぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/8e/8470a90d85336edb2a6d7f2fe2dbc4b9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c6/a5ab273c886675461186c63f45ccdc2f.jpg)
それに続く森には神明社と八雲神社が祭られ、神明社の背後には、大石の「土呂土地区
画整理完成記念碑」が目につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/25/1564c8b09b282a419d9fe9cfdcd4daf4.jpg)
神明社の由緒によれば、境内東側は江戸中期まで見沼が広がっていて、この地「土呂」
は「瀞(とろ)」と同じ意味で、静かに水をたたえる場所を示す語だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fd/8f7af94028cd38823dc0e6c8fd8d3b98.jpg)
それまで気付かなかったが、鳥居の横に並ぶ庚申塔など三つの石塔を見て、この神社は、
昨年9月21日に東武野田線の大宮公園駅スタートの「続カタツムリ歩行」のゴールだっ
たと思い出す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/6d/419bb44dcc1a46d9968b7017122f1b69.jpg)
見沼代用水西縁沿いを少しで、市民の森・グリーンセンターに入る。建物の近くの大き
なマンサクがいっぱいの花を見せ、その先のロウバイにもまだ花が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/75/0ec32edca36a91e0d0790f913c407ff1.jpg)
JR土呂駅に延びる広い道路を横断し、さらに代用水沿いを進む。右手には建設中の東
大宮総合病院の大きな建物が目につき、高齢化に伴う患者の急増に対処するためかとうか
がえる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/9e/db56c4f2ca0878beba136655467de8ca.jpg)
見沼代用水が東武野田線の線路に接したところで用水を離れ、土呂町に入る。周辺は区
画整理中で新しい道路ができはじめており、工事中の東大宮総合病院の西側にも大きな長
屋門が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f4/03d034b73d5e48e5d78cd32de3fe8e59.jpg)
その西側にポツンとあるのが「土呂の地蔵堂」。一説では、江戸時代の土呂村領主旗本
の初鹿野(はじかの)氏の墓守堂(はかもりどう)として建てたものともいわれているが、
「新編武藏風土記稿」には「村民の持(もち)」と記されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/ca/d62725b0fc10c1b200ccae0ca97f7677.jpg)
ちなみに、初代初鹿野氏は甲斐国武田氏の家臣だったが主家滅亡後、徳川家康に仕えて
土呂村領主となったとか。初鹿野という名は、JR中央本線甲斐大和駅の旧駅名だったこ
とを思いだし、出身地があの辺りだったのかと知れる。
車の途切れるのを待って県道35号・産業道路を横断して、大宮盆栽村とも呼ばれる盆
栽町に入る。昼食地の「盆栽四季の家」には12時6分に着いた。朝の用事を済ませてか
ら駆けつけたKTさんも、同じ頃到着する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/11/e3c7cc55230ad1a99b6f87b204ba3973.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/57/b0ad8e76ae678849fca88d54dc9ab0f6.jpg)
== 大宮公園を抜けてさいたま新都心へ ==
昼食後、近くで公開している盆栽園・蔓青園(まんせいえん)に入り、松やケヤキ、梅
など見事に仕立てたたくさんの盆栽を眺める(園内は撮影禁止・外から撮る)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/f4/ab2ea79d747b06f7d4253115cda992cd.jpg)
ミーティングと記念撮影を済ませ、13時8分に盆栽四季の家を後にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3e/94b008a8c0769f31f81e996e0b60cb79.jpg)
2本西の「かえで通り」に回り、さいたま市立漫画会館で30分の観覧時間をとる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/14/406a18e964d8d16b07b4499301c3273b.jpg)
漫画会館は、旧大宮市が生んだ日本の近代漫画の創始者、北澤楽天(1876~1955)
の業績を記念するとともに、漫画文化の発展を図るため、楽天の邸宅跡に建設されたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c0/bc4fbf92d5f8aeb5f1262d72024558d1.jpg)
楽天は福沢諭吉に認められ、諭吉の発刊した新聞、時事新報紙上で、国際政治から子ど
も向けまで広範囲の漫画を掲載し、「漫画」という言葉も楽天が使い始めたものだという。
展示室を回り、楽天の生涯や作品のほか、4日後の15日まで開催中の「さいたま市民
漫画展2014」の入賞・佳作作品展のほほえましい作品の数々や、楽天が住んでいた当
時から残るという日本庭園などを観賞する(入館料無料、館内は撮影禁止)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/25/8297c90c620276253fcabfc4469382d9.jpg)
漫画会館前の住宅に、背の低くてずんぐりした変わった姿の馬がいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ab/017bc17e79a2d3066d38e36704f284c1.jpg)
近くの植竹稲荷神社は境内が広いが社殿は小さく、鳥居際のスダジイの高木だけが目に
ついた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/27/7e4e588d4684423b3674c5dddd9e0b8c.jpg)
東武野田線大宮公園駅の南側を回り、産業道路を横断して寿能町(じゅのうちよう)二
丁目へ。日本山妙法寺の狛犬はライオンのような顔立ち。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/31/bc2a6215c9df99d94332edaff78fcbcb.jpg)
その先の寿能公園は、敵対していた北条氏の備えのために、岩槻城の支城として永禄3
年(1560)頃築かれたといわれる寿能城跡。
岩槻の太田資正(おおたすけまさ)の子、潮田出羽守資忠(うしおだでわのかみすけた
だ)の居城と言われ、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原城攻めの際に、豊臣勢
の攻撃で落城したとか。物見櫓(ものみやぐら)の跡とも呼ばれる塚の上に、潮田出羽守
資忠の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a1/81a694188024167529f796575e059b03.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/17/c5c5bc3b429978e48d7824a6a06f0cd5.jpg)
再び見沼代用水沿いの遊歩道を進む。用水の水量は、先ほどより豊富になっているよう
に見えた。水車小屋のところで見沼代用水を離れ、歩道橋で産業道路の上を越えて大宮公
園に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/38/5fc7be5cd2d2d70e2e0d9285db0fda9f.jpg)
大宮競輪場と県営球場の横を通過し、球場と大宮アルディージャのホームグランド、
NACK5(なつくふぁいぶ)スタジアムの間を進むと、「蛇松(鷹止の松)跡」の説明
板があり、寛永年中(1624~44)に徳川家光がこの地で鷹狩りを行った際のことが
記されていた。
西に抜けたところにあった頑丈そうな保護建物の中に、第2代埼玉県令(知事)白根多
助頌徳碑があるが、碑が浸食されていて碑文は判読し難い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/dd/1a27e0a526518c2b2f686c7b145e03f5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/d7/c94fdb26a7c7f1c0c9913d107c908871.jpg)
赤松林の中を進んで、先週に続き武藏一宮、氷川神社に参拝する。建国記念の日のため
か、拝殿には参拝者の列ができていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/56/700621162532a97119b7a1ad4def0d01.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/2a/7ecd54e36941010c2b2e403dd953cca7.jpg)
参道を南へ、二の鳥居まで進み、交差点の南東側にある結婚式場、清水園の1階ロビー
に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/78/66e8a4ba94cf1d6c4794607c0007a251.jpg)
ここには、昭和9年(1934)に描かれた大宮の絵地図があり、この清水園が公園だ
ったことが知れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/23/283e81925fa7738cd7fe0fabb2529c30.jpg)
二の鳥居の一つ北側の通りに戻り、西進して中山道際にある東光寺へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8e/dac9ed47c8974c319a69c1a23dad7fe6.jpg)
本堂背後の広い墓地の一角に北沢楽天の墓地があり、新しい北沢楽天像や、楽天が描い
た100の絵を並べた「北沢楽天百絵摩尼車(まにぐるま)」など、ユニークな石造物が
並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/eb/bccbb7a747bcf18f5ce98c834804c0a4.jpg)
本堂はどっしりしたコンクリート造り。南側には、りっぱな仁王門を再建中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/1d/8bddc55ea73cafd5991b623b18bfa415.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c4/5556efdb685ffc75aad3c9a4cc3213f5.jpg)
東光寺の東側から南に延びる通りを南下し、大宮区役所横などを通過して氷川神社参道
の南端付近に入り、ゴールのJRさいたま新都心駅下に16時12分に着く。
(参加 17人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、浦和、歩行地
さいたま市見沼区、北区、大宮区、歩数 15,900)
![](http://blog.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_2000_1.gif)
![にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ](http://outdoor.blogmura.com/walking/img/walking88_31.gif)
にほんブログ村