あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

雨の東松山市北部をカントリーウオーク(埼玉)

2015-11-09 17:59:57 | カントリーウオーク
 2015年11月8日(日)

 小雨の降り止まぬ1日だったが、埼玉県のカントリーウオークグループの第228回例
会に参加した。

 集合地は、先週も日本スリーデーマーチで3日間通った東武東上線の東松山駅。

 10時20分発熊谷駅行きバスに乗り、10時35分に水穴(みずあな)バス停で下り
た。

 == 和田吉野川近くの寺院と観音堂を巡る ==


 バスの走る国道407号から東側の五反林集落へ。雨でやや霞む田んぼ沿いを北東に進
んで、光福寺の山門を入る。


 本堂左手にあるコンクリート造りの収蔵庫に、宝篋印塔(ほうきよういんとう)と板石
塔婆(いたいしとうば)が保存されていた。


 宝篋印塔は高さ2.1m、元享3年(1323)の造立で、鎌倉時代の宝篋印塔の特徴
をよく伝えるものとして国の有形文化財である。

 板石塔婆は高さ1.52m、嘉元4年(1306)の造立で、阿弥陀三尊などが線刻さ
れていて、鎌倉時代の仏像彫刻のある板石塔婆として優秀なものとか。県の有形文化財で
ある。

 収蔵庫正面のガラス窓に盗難防止の金網があり、撮影はしにくかったので、ネットから
の「じゃらん」の画像を借りる。右が宝篋印塔で左が板石塔婆。
    

 一人で見ているうちに、皆さんは寺を出て見えなくなっていた。境内のマユミの実がた
くさん色づく。
    

 門前の道路を左に回り込むと、十字路際に赤布をまとったお地蔵堂さんが立っていた。
       

 田んぼに沿って進み、和田吉野川の右岸堤防を見ながら西北西に向きを変える。


      
 中岡集落沿いの斜面林と田んぼの間を進んで上岡集落に入り、国道に面して建つ馬頭観
音堂に行く。

 馬頭観音堂は妙安寺の境内にあって上岡観音と呼ばれは、馬頭観音としては関東地方随
一の霊場と言われており、毎年2月19日の例大祭には絵馬市が立つなど、馬の守り観音
として信仰を集めているとか。

        
 拝殿には奉納されたたくさんの馬の像が並び、鬼瓦にも馬の像が見られる。
   

      
 境内に馬の姿の馬頭観世音銅像が立ち、大正3年(1914)に建立された現在の観音
堂の東棟を支えていたという大きな鬼瓦が、平成19年(2007)に葺(ふ)き替えら
れて安置されていた。


 そばの上岡交差点で国道を横断し、新屋敷集落南部を西南へ。民家の前の畑に、たくさ
んのキクが色とりどりに咲き競う。



 集落を抜けて、田んぼの間や数羽のカモの泳ぐ潅漑用のため池のほとりを進む。



 りっぱな桜並木に沿ってV字状に折り返し、昼食地の農林公園コミュニティセンターに
11時50分に入った。


 濡れた雨具を玄関回りに干して、広い畳敷きの部屋を借りて昼食をする。雨の日の昼食
場所としては申し分の無い場所で、食後もゆっくりとくつろぐことができた。
 

 == 川越ゴルフ場東側の山里を回る ==

 雨は本降りではないがまだ止まない。13時に出発し、東に少しでV字状に折り返して
谷地田に沿って進む。

      
 最奥まで行かずに南に回り、川越ゴルフ場の東側の側道に入り、色づき始めた林間の緩
やかな斜面を上がる。


 ゴルフ場入口に通じる車道に出た。すぐ先の土の道への入口際に、お地蔵さんなど4基
の古い石像がお堂に祭られていた。
    


 たわわに実るミカンの木の横や雨に霞むため池のほとりを進み、再びゴルフ場沿いの道
路に上がる。


 大きく伸びたゴルフ場のヒマラヤスギ沿いから左折し、長中集落最奥の民家の間の緩斜
面を東側の谷地田沿いへと下る。民家の庭には、いっぱい実を付けたピラカンサが無造作
に延びていた。
    


 咲き残るエンゼルトランペットの先に穏やかな山里の展望が広がり、田んぼの北側には
民家の大きな母屋や土蔵、豊富な屋敷林などが望まれる。





 この辺りに多い潅漑用のため池の中で、今日一番大きな八反沼の横から南側を回り込み、
オランダ風建物とオランダ風の風車のある大岡市民活動センターに入る。


      

 東松山市は、先週開催されたウオーキング「日本スリーデーマーチ」の開催地として、
オランダの「インターナショナルフォーデーズマーチ」の開催地ナイメーヘンと姉妹都市
提携を結んでいることから、オランダの古いレンガ造りの街並みをイメージした建物と、
オランダ風風車を建てたとか。

      
 建物の前の皇帝ダリアが咲き出し、グミのような木がたくさんの実をつけている。館内
はきれいで天井が高く、幾つかの飾り付けもあり、ゆっくりと休める。


 安価な自動販売機のコーヒーでのどを潤し、ロビー壁面の写真や近隣の催し物のリーフ
レットコーナーを見たりしてくつろぐ。東松山市出身で、今年のノーベル物理学賞を受賞
される梶田隆章さんを祝う張り紙もあった。



 20分余りの休憩後に入口で記念撮影をして、14時10分にセンターを後にした。



 大岡小南側の谷地田沿いを東へ、車道を少しで亀の甲団地の標識のある三差路から林間
を抜ける。


 越塚集落に出て、南側の県道391号をコの字状に迂回して2つの給水塔の横を進む。
堅木岡西集落の北側から東に回ると、埼玉県史跡の冑山(かぶとやま)古墳がある。

 6世紀頃の築造と考えられ、古墳の南北径約90m、高さ約11.25mの円墳で、円
墳としては県内第2の大きさという。 

 墳頂には八幡神社本殿が、墳丘東側には宝暦2年(1752)の創立と推定され、熊谷
市指定文化財の冑山神社本殿↓が祭られていた。


 バス通りの国道407号を横断して、1本東の旧道を南に少しで、広い敷地の根岸家の
長屋門がある。

 根岸家長屋門は、天保11年(1840)の屋敷絵図には描かれていたことから、江戸
後期の建築と考えられ、正面左側は剣術道場の「振武所」として使われたという。

 根岸家は熊谷次郎直実(なおざね)の末裔(まつえい)とされ、江戸時代中期に甲山村
(かぶとやまむら)と箕輪村の名主を務め、約80町歩以上を所有する豪農だったとか。

 江戸時代の名主友山(ゆうざん)は、近郷の子弟を教育する寺子屋三餘堂をつくり、北
辰一刀流の門人だった友山・友香(ともか)父子は振武所という剣術道場を開いて、近郷
の子弟に剣術を教えたという。

 また、友山の2男武香(たけか)は明治新政府のもとで地方行政に関わり、初期学制の
確立に尽力し、第2代県会議長や貴族院の多額納税議員に選出されたとか。文化活動とし
ても「新編武藏風土記稿」の刊行や古文書、古美術の収集に努め、吉見町の黒岩横穴古墳
群や吉見百穴の発掘調査に多大な貢献を果たしている。


 振武所跡は「友山友香ミュージアム」として無料公開され、根岸家の活動状況などの資
料や写真、大洪水に見舞われた時に使われた木造船などが展示されていた。
    

 長屋門の右手にある建物は、旧建物焼失後の大正2年(1913)頃から建て始めたが、
建築途中に関東大震災に見舞われたために、完成は昭和初期になったという。



 国道に戻り、こんもりとした冑山古墳↑を眺めながら近くにある今日のゴール冑山バス
停に15時21分に着いた。10分後のバスで東松山駅に向かう。。

(参加 12人、天気 雨、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 東松山、熊谷、
 歩行地 東松山市、熊谷市、歩数 17,000)





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