2018年2月17日(日)
好天ながら真冬並みの寒波が再来したが、昨年12月で終了した続カタツムリ歩行の同
窓会の案内メールが、事務局のDさんから届いたので参加した。
集合はJR武蔵野線の新三郷駅。おなじみのメンバーが20人ほど集まる。もらった地
図のエリアは駅の東側、自分で用意した地図と合わせて10時にスタートした。
線路沿いを北西に少しで、田んぼの中を北に延びる道に入る。向かい風が冷たく、マフ
ラーが外せない。十字路際の民家にユズとキンカンがたくさん実っていた。
送電線の手前の道を右折してすぐに半田稲荷神社があった。以前の例会でも来た記憶が
あり、今日は消防団の人たちが集会の準備中。
拝殿の右手背後の屋根掛けの小屋に、青面金剛塔など5基の石塔が並び、そのひとつに
は寛政4(1792)年11月と刻まれていた。
もとの通りに戻ってさらに北へ、古紙のリサイクルをする三郷クリーンセンターの倉庫
横を通過する。近くの農家の納屋だろうか、かなり年代物の和風木造建築物である。
次の県道52号との交差点が三郷市と吉川市の市境、交差点を渡ると、田んぼの向こう
に隣の吉川美南駅周辺のマンション群が望まれる。
県道を北に500m足らずの交差点際にも、小さな中曽根稲荷神社があり、道路際には
はしごが直立した火の見が残っていた。
狭い境内には古いお地蔵さんが8基並び、右端のには延享3(1746)年と彫られて
いた。
神社の前のマンホールデザイン
民家の点在する中曽根の集落内を東へ、掲示板には4月1日開催の「吉川なまずの里マ
ラソン」のポスターが掲示されている。
広い構内の北葛飾変電所の背後、北側を進んで大場川右岸沿いに出た。現在は渇水期か
と思われたが流量は豊富で、ところどころにカルガモが泳いでいる。
南側の橋を渡って三輪野江二丁目に入り、すぐ先を北に折り返す。集落の北側で東にカ
ーブした先にも、狭い境内に小さな社殿の兵庫稲荷神社があった。
社殿左手に形の違う6基の石塔が並び、左手3番目は安永2(1773)年の造立と確
認できた。
田んぼの中を南に真っ直ぐに伸びる用水沿いに進み、堰(せき)のところで左折する。
堰の上の土手にはカルガモが羽を休めていた。
近くには小さな土管を橋げたに利用した田んぼへの細い橋があり、南側にはケヤキの屋
敷林が立ち並ぶ民家が望まれる。
用水はすぐ先で西側から来た大場川に合流し、その左岸沿いを次の県道52号の橋まで
進む。橋で県道に入り南西に少しで田んぼの中に記された標高2.6mの三角点を探した
ら、農道の途中にしっかりと残されていた。
すぐ西側に見えたお寺に、田のあぜ道を南側から回って墓地側から入った。
寺は萬音寺で、境内西側に小さな大師堂と水子地蔵に挟まれて三郷七福神・彦成(ひこ
なり)めぐりの寿老人が立っている。
ちなみに三郷七福神は、彦成めぐりのほか、八木郷・戸ヶ崎めぐりと早稲田めぐりとい
う三つの七福神めぐりが設定されている。
正午が近づいたので新三郷駅に向かって戻ることにした。田んぼの中の道を南西から南
東へと駅に向かったが、少し行き過ぎて早稲田中近くまで進んでしまい、さらに南西に向
かって線路沿いに出て、駅の上を車道で超える。
南側の彦成四丁目に立ち並ぶみさと団地の公園内を抜け、集合住宅群の一角にあるゴー
ルの南集会所には12時17分に着く。皆さんはすでに集会所のテーブルで昼食中だった。
食事を終えてミーティングとなり、今後この集まりをどうするかについて打ち合わせた。
その結果、今までのような会報は無しにして、担当者は分担で年4回開催しようというこ
とになり、4月、9月、11月と来年3月の第3日曜日に開催することと、各々の担当者
を決め、私は来年3月の担当を引き受けた。
担当者は遅くとも2週間前までに集合場所を決めてDさんに連絡するとともに、地図を
用意(25枚程度)すること、会費は100円としてその使途は担当者に任せるなども決
めた。
14時頃にミーティングを終え、JR新三郷駅14時29分発上り電車で帰路につく。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 流山、歩行地 三郷市、吉川市、歩数
12,500)
なお、朝の受付時に事務局のDさんから「続カタツムリ歩行50回記録」の冊子をいた
だく。
内容は、「続カタツムリ歩行50回に寄せて」という20人からの投稿と、年別の歩行
記録、それに毎回配布の会報「続カタツムリ歩行便り」50回分が収録されている。
全頁カラーの思い出に残る冊子で、事務局のDさんならではの力作に改めて感謝したい。
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好天ながら真冬並みの寒波が再来したが、昨年12月で終了した続カタツムリ歩行の同
窓会の案内メールが、事務局のDさんから届いたので参加した。
集合はJR武蔵野線の新三郷駅。おなじみのメンバーが20人ほど集まる。もらった地
図のエリアは駅の東側、自分で用意した地図と合わせて10時にスタートした。
線路沿いを北西に少しで、田んぼの中を北に延びる道に入る。向かい風が冷たく、マフ
ラーが外せない。十字路際の民家にユズとキンカンがたくさん実っていた。
送電線の手前の道を右折してすぐに半田稲荷神社があった。以前の例会でも来た記憶が
あり、今日は消防団の人たちが集会の準備中。
拝殿の右手背後の屋根掛けの小屋に、青面金剛塔など5基の石塔が並び、そのひとつに
は寛政4(1792)年11月と刻まれていた。
もとの通りに戻ってさらに北へ、古紙のリサイクルをする三郷クリーンセンターの倉庫
横を通過する。近くの農家の納屋だろうか、かなり年代物の和風木造建築物である。
次の県道52号との交差点が三郷市と吉川市の市境、交差点を渡ると、田んぼの向こう
に隣の吉川美南駅周辺のマンション群が望まれる。
県道を北に500m足らずの交差点際にも、小さな中曽根稲荷神社があり、道路際には
はしごが直立した火の見が残っていた。
狭い境内には古いお地蔵さんが8基並び、右端のには延享3(1746)年と彫られて
いた。
神社の前のマンホールデザイン
民家の点在する中曽根の集落内を東へ、掲示板には4月1日開催の「吉川なまずの里マ
ラソン」のポスターが掲示されている。
広い構内の北葛飾変電所の背後、北側を進んで大場川右岸沿いに出た。現在は渇水期か
と思われたが流量は豊富で、ところどころにカルガモが泳いでいる。
南側の橋を渡って三輪野江二丁目に入り、すぐ先を北に折り返す。集落の北側で東にカ
ーブした先にも、狭い境内に小さな社殿の兵庫稲荷神社があった。
社殿左手に形の違う6基の石塔が並び、左手3番目は安永2(1773)年の造立と確
認できた。
田んぼの中を南に真っ直ぐに伸びる用水沿いに進み、堰(せき)のところで左折する。
堰の上の土手にはカルガモが羽を休めていた。
近くには小さな土管を橋げたに利用した田んぼへの細い橋があり、南側にはケヤキの屋
敷林が立ち並ぶ民家が望まれる。
用水はすぐ先で西側から来た大場川に合流し、その左岸沿いを次の県道52号の橋まで
進む。橋で県道に入り南西に少しで田んぼの中に記された標高2.6mの三角点を探した
ら、農道の途中にしっかりと残されていた。
すぐ西側に見えたお寺に、田のあぜ道を南側から回って墓地側から入った。
寺は萬音寺で、境内西側に小さな大師堂と水子地蔵に挟まれて三郷七福神・彦成(ひこ
なり)めぐりの寿老人が立っている。
ちなみに三郷七福神は、彦成めぐりのほか、八木郷・戸ヶ崎めぐりと早稲田めぐりとい
う三つの七福神めぐりが設定されている。
正午が近づいたので新三郷駅に向かって戻ることにした。田んぼの中の道を南西から南
東へと駅に向かったが、少し行き過ぎて早稲田中近くまで進んでしまい、さらに南西に向
かって線路沿いに出て、駅の上を車道で超える。
南側の彦成四丁目に立ち並ぶみさと団地の公園内を抜け、集合住宅群の一角にあるゴー
ルの南集会所には12時17分に着く。皆さんはすでに集会所のテーブルで昼食中だった。
食事を終えてミーティングとなり、今後この集まりをどうするかについて打ち合わせた。
その結果、今までのような会報は無しにして、担当者は分担で年4回開催しようというこ
とになり、4月、9月、11月と来年3月の第3日曜日に開催することと、各々の担当者
を決め、私は来年3月の担当を引き受けた。
担当者は遅くとも2週間前までに集合場所を決めてDさんに連絡するとともに、地図を
用意(25枚程度)すること、会費は100円としてその使途は担当者に任せるなども決
めた。
14時頃にミーティングを終え、JR新三郷駅14時29分発上り電車で帰路につく。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 流山、歩行地 三郷市、吉川市、歩数
12,500)
なお、朝の受付時に事務局のDさんから「続カタツムリ歩行50回記録」の冊子をいた
だく。
内容は、「続カタツムリ歩行50回に寄せて」という20人からの投稿と、年別の歩行
記録、それに毎回配布の会報「続カタツムリ歩行便り」50回分が収録されている。
全頁カラーの思い出に残る冊子で、事務局のDさんならではの力作に改めて感謝したい。
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