2019年4月18日(木)
== 中通島・頭ヶ島の天主堂を巡り有川港から高速船で長崎港を経て帰路へ ==
新上五島町(しんかみごとうちょう)の南部、町で最大の島・中通島(なかどおりじま)
の北部高台にある2日目の宿、カンパーナホテルで6時に起床した。
外を眺めると好天である。
7時から朝食後、玄関を出て周辺の山並みやそばの路傍に咲くヤエザクラなどを眺める。
ホテルに隣接して上五島特産の椿油研究試作施設・椿夢工場があり、建物の前に「文学
博士 潁原退蔵顕彰碑」が立ち、「麦笛や子を待つ母の夕支度」の句などが刻まれていた。
潁原退蔵(えばらたいぞう)はこの地の生まれ、日本の国文学者で元京都大学教授、長
崎県初の文学博士。俳諧の研究を中心とした実証的学を確立し、特に芭蕉や蕪村の研究論
文など多く第一人者だったという。
8時42分にバスでホテルを出た。今日もドライバーは山下さん、ガイドはオダさん。
南進して10分足らずの8時51分に青砂ヶ浦(あおさがうら)天主堂に着いた。
西側に奈摩(なま)湾を見下ろす位置にあり、設計施工は長崎県下に数多くの教会を残
したここ上五島出身の建築家・鉄川與助(てつかわよすけ)により、明治43(1910)
年に竣工したとか。
外観、内部とも均整のとれた構造で細部の意匠も優れ、日本人設計者により建設された
レンガ造り教会堂の初期のもので、この後県内の離島中心に多数建築されたレンガ造り教
会堂の構造、意匠の起点となったという。
現在の建物は3代目で、2010年に献堂100周年を迎えており、国指定重要文化財
である。
9時から堂内も拝観したが撮影禁止なので、「建築家 鉄川與助」のリーフレットから
紹介する。
9時18分に教会堂前駐車場を出た。奈摩湾に沿って南下して湾の西側へ。鉄川與助が
初めて設計施工したという冷水(ひやみず)教会前を通過する。
間もなく、湾の北西端に近い「矢堅目(やがため)の駅」に9時30分に着いた。
まずは、「矢堅目の塩 かん水場」に入る。ここでは、五島近海の海水100%を原料
にして、蒸発法などで十分な時間と手間をかけて海水から水分を除くことにより塩分を濃
縮し、一切の添加物や加工剤を加えずに海水中の塩類を結晶化させた海水塩を作っており、
その製造行程の説明を受ける。
その後、隣の「矢堅目の駅」と呼ぶ直売場に入り、「矢堅目の塩」などの商品を求めた。
北側に延びる岬の先端には三角形の奇岩があり、「矢堅目の夕景」で知られる人気の夕
景スポットだという。10時ちょうどに矢堅目の駅を出た。
奈摩湾沿いに南下して戻り、島中央部を東北に広がる海沿いに回り、レンガ造りの山門
のある元海寺前を通過する。
この山門も鉄川與助の作で、元海寺は鉄川家の菩提寺のよう。
有川港沿いを東進して、有川地区北岸沿いの県道62号を次第に高みへと上がる。
有川地区の東北端まで進んで頭ヶ島(かしらがしま)大橋を渡り、小さな島、頭ヶ島に
向かう。橋からは北西に、昨日泊まったホテル↓周辺も望まれた。
島に入り次第に高度を上げると、北側眼下にはこれから行く頭ヶ島天主堂のある白浜集
落が見下ろせ、さらに北方の島なども望まれる。
10時50分に、上五島空港のターミナルビルを活用したインフォメーションセンター
に着いた。
上五島空港は1981年に開港したが、海上空港と山岳空港の特徴を備えた日本有数の
着陸の難しい空港として知られ、気象条件に左右されやすいこともあり開港当初から就航
率が少なく、その後、長崎港と中通島を結ぶ高速連絡船の就航もあり、2006年に定期
便が廃止されて休港状態が続いているという。
インフォメーションセンターは、2015年に頭ヶ島天主堂の世界遺産登録を見据えて
設けられ、頭ヶ島天主堂など祈りの島頭ヶ島を紹介する古い写真やパネル、資料などが展
示されていた。
天主堂のある白浜集落へは、入場者数と車両数を制限するため今年4月1日からシャト
ルバスに乗り換えることになったとのこと。
11時発のシャトルバスに乗って北へ下り、5分ほどで白浜集落の駐車場に着いた。
頭ヶ島天主堂を含む頭ヶ島の集落は、2018年7月に世界文化遺産「長崎と天草地方
の潜伏キリシタン関連遺産」に登録されている。
現在の頭ヶ島天主堂は、鉄川與助の設計施工で明治43(1910)年に着工し、乏し
い建設資金のため近傍の砂岩を利用して大正8(1919)年に完成したもので、国指定
重要文化財である。
外観は表面が粗い切石を積んだルスティカという手法で力強く男性的、内観は折り上げ
天井に花柄をあしらった優しい雰囲気の女性的な空間で、外観と対照的な造りのよう。
頭ヶ島の集落は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するにあたり、どのような場所
を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちのひとつとか。
19世紀に外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、病人の療養地として
人が近づかなかった頭ヶ島を移住の適地として選び、仏教徒の開拓指導者のもとで信仰を
カモフラージュしつつ移住してひそかに共同体を維持し、解禁後はカトリックに復帰し、
禁教期における指導者の屋敷近くのこの地に教会堂を建てたことにより、彼らの潜伏は終
わりを迎えたという。
天主堂の周囲を一周して五島キリシタン復活信仰顕彰之碑↑、キリシタン拷問五六石之
塔、フレル師同伴信徒殉教者記念之塔、マリア像、壁石に刻まれた漢数字などを見た。
その後堂内に入り、折り上げ天井やツバキの花柄の装飾、祭壇などを拝観した(撮影禁
止なので、現地でもらったリーフレットの写真で紹介する)。
拝観を終えて戻る道沿いのツツジが満開である。
東北側には、昨年9月オープンしたという「島のふれあい館」がある。集落の空き家の
古民家を改修して昭和30年代の島の生活様式を再現したもので、内部の間取りや家具、
文化遺産関連の紹介パネルなどを観覧した。
さらに下った港のそばにはキリシタン墓地があり、十字架の墓石がたくさん立ち並んで
いた。
11時38分発のシャトルバスでインフォメーションセンターに戻る。
再びツアー用バスに乗り、11時45分にインフォメーションセンターを後にした。
新緑の山並みや北側の海などを眺めながら往路を西南西に進んで有川港まで戻り、港の
そばの割烹扇寿(せんじゅ)に12時10分に入り、海鮮丼と五島地獄炊きうどんの昼食
をする。
〈続く〉
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== 中通島・頭ヶ島の天主堂を巡り有川港から高速船で長崎港を経て帰路へ ==
新上五島町(しんかみごとうちょう)の南部、町で最大の島・中通島(なかどおりじま)
の北部高台にある2日目の宿、カンパーナホテルで6時に起床した。
外を眺めると好天である。
7時から朝食後、玄関を出て周辺の山並みやそばの路傍に咲くヤエザクラなどを眺める。
ホテルに隣接して上五島特産の椿油研究試作施設・椿夢工場があり、建物の前に「文学
博士 潁原退蔵顕彰碑」が立ち、「麦笛や子を待つ母の夕支度」の句などが刻まれていた。
潁原退蔵(えばらたいぞう)はこの地の生まれ、日本の国文学者で元京都大学教授、長
崎県初の文学博士。俳諧の研究を中心とした実証的学を確立し、特に芭蕉や蕪村の研究論
文など多く第一人者だったという。
8時42分にバスでホテルを出た。今日もドライバーは山下さん、ガイドはオダさん。
南進して10分足らずの8時51分に青砂ヶ浦(あおさがうら)天主堂に着いた。
西側に奈摩(なま)湾を見下ろす位置にあり、設計施工は長崎県下に数多くの教会を残
したここ上五島出身の建築家・鉄川與助(てつかわよすけ)により、明治43(1910)
年に竣工したとか。
外観、内部とも均整のとれた構造で細部の意匠も優れ、日本人設計者により建設された
レンガ造り教会堂の初期のもので、この後県内の離島中心に多数建築されたレンガ造り教
会堂の構造、意匠の起点となったという。
現在の建物は3代目で、2010年に献堂100周年を迎えており、国指定重要文化財
である。
9時から堂内も拝観したが撮影禁止なので、「建築家 鉄川與助」のリーフレットから
紹介する。
9時18分に教会堂前駐車場を出た。奈摩湾に沿って南下して湾の西側へ。鉄川與助が
初めて設計施工したという冷水(ひやみず)教会前を通過する。
間もなく、湾の北西端に近い「矢堅目(やがため)の駅」に9時30分に着いた。
まずは、「矢堅目の塩 かん水場」に入る。ここでは、五島近海の海水100%を原料
にして、蒸発法などで十分な時間と手間をかけて海水から水分を除くことにより塩分を濃
縮し、一切の添加物や加工剤を加えずに海水中の塩類を結晶化させた海水塩を作っており、
その製造行程の説明を受ける。
その後、隣の「矢堅目の駅」と呼ぶ直売場に入り、「矢堅目の塩」などの商品を求めた。
北側に延びる岬の先端には三角形の奇岩があり、「矢堅目の夕景」で知られる人気の夕
景スポットだという。10時ちょうどに矢堅目の駅を出た。
奈摩湾沿いに南下して戻り、島中央部を東北に広がる海沿いに回り、レンガ造りの山門
のある元海寺前を通過する。
この山門も鉄川與助の作で、元海寺は鉄川家の菩提寺のよう。
有川港沿いを東進して、有川地区北岸沿いの県道62号を次第に高みへと上がる。
有川地区の東北端まで進んで頭ヶ島(かしらがしま)大橋を渡り、小さな島、頭ヶ島に
向かう。橋からは北西に、昨日泊まったホテル↓周辺も望まれた。
島に入り次第に高度を上げると、北側眼下にはこれから行く頭ヶ島天主堂のある白浜集
落が見下ろせ、さらに北方の島なども望まれる。
10時50分に、上五島空港のターミナルビルを活用したインフォメーションセンター
に着いた。
上五島空港は1981年に開港したが、海上空港と山岳空港の特徴を備えた日本有数の
着陸の難しい空港として知られ、気象条件に左右されやすいこともあり開港当初から就航
率が少なく、その後、長崎港と中通島を結ぶ高速連絡船の就航もあり、2006年に定期
便が廃止されて休港状態が続いているという。
インフォメーションセンターは、2015年に頭ヶ島天主堂の世界遺産登録を見据えて
設けられ、頭ヶ島天主堂など祈りの島頭ヶ島を紹介する古い写真やパネル、資料などが展
示されていた。
天主堂のある白浜集落へは、入場者数と車両数を制限するため今年4月1日からシャト
ルバスに乗り換えることになったとのこと。
11時発のシャトルバスに乗って北へ下り、5分ほどで白浜集落の駐車場に着いた。
頭ヶ島天主堂を含む頭ヶ島の集落は、2018年7月に世界文化遺産「長崎と天草地方
の潜伏キリシタン関連遺産」に登録されている。
現在の頭ヶ島天主堂は、鉄川與助の設計施工で明治43(1910)年に着工し、乏し
い建設資金のため近傍の砂岩を利用して大正8(1919)年に完成したもので、国指定
重要文化財である。
外観は表面が粗い切石を積んだルスティカという手法で力強く男性的、内観は折り上げ
天井に花柄をあしらった優しい雰囲気の女性的な空間で、外観と対照的な造りのよう。
頭ヶ島の集落は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するにあたり、どのような場所
を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちのひとつとか。
19世紀に外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、病人の療養地として
人が近づかなかった頭ヶ島を移住の適地として選び、仏教徒の開拓指導者のもとで信仰を
カモフラージュしつつ移住してひそかに共同体を維持し、解禁後はカトリックに復帰し、
禁教期における指導者の屋敷近くのこの地に教会堂を建てたことにより、彼らの潜伏は終
わりを迎えたという。
天主堂の周囲を一周して五島キリシタン復活信仰顕彰之碑↑、キリシタン拷問五六石之
塔、フレル師同伴信徒殉教者記念之塔、マリア像、壁石に刻まれた漢数字などを見た。
その後堂内に入り、折り上げ天井やツバキの花柄の装飾、祭壇などを拝観した(撮影禁
止なので、現地でもらったリーフレットの写真で紹介する)。
拝観を終えて戻る道沿いのツツジが満開である。
東北側には、昨年9月オープンしたという「島のふれあい館」がある。集落の空き家の
古民家を改修して昭和30年代の島の生活様式を再現したもので、内部の間取りや家具、
文化遺産関連の紹介パネルなどを観覧した。
さらに下った港のそばにはキリシタン墓地があり、十字架の墓石がたくさん立ち並んで
いた。
11時38分発のシャトルバスでインフォメーションセンターに戻る。
再びツアー用バスに乗り、11時45分にインフォメーションセンターを後にした。
新緑の山並みや北側の海などを眺めながら往路を西南西に進んで有川港まで戻り、港の
そばの割烹扇寿(せんじゅ)に12時10分に入り、海鮮丼と五島地獄炊きうどんの昼食
をする。
〈続く〉
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