2020年8月28日(金)
今日は、西武池袋線と新宿線の練馬区内の5駅限定で発売された「記念乗車券 あり
がとう!としまえん」を購入のため、池袋線の石神井(しゃくじい)公園駅に行く。
9時半を過ぎたので売り切れを心配したがまだ残っていたので購入し、久しぶりに都内
に来たのだがら、何度も訪れてはいるが都立石神井公園周辺を回ることにして、9時47
分に南口をスタートした。
駅の東側から南へ、拡幅して広くなった道路を緩やかに下り稲荷神社に入る。
コンクリート造りの拝殿の前に、「ねりまの名木」に指定されたシラカシが立っている。
シラカシとしては区内でも最大級の大きさのようで、樹高18m、幹回り3.8mという。
神社前のY字路を南西に少しで都立石神井公園の東端へ。
西へ向かって細長い石神井池(ボート池)が伸びているが東岸はカヤなどが視界を遮り、
その一角にパンパスグラス(シロガネヨシ)やフヨウが咲いていた。
南岸を少しで、カヤなどの向こうにボート乗り場にスワンボートなどが望まれる。
南岸沿いの北向き斜面には伸び伸びと枝を伸ばした樹林が続いている。
池を眺めながら西へと南岸縁の遊歩道進む。
ラクウショウとメタセコイアの立ち並ぶ辺りを過ぎると、池の中ほどに中の島がある。
島に入るには二つの橋があるが、この橋は石神井支所近くに私の最初の職場があった
1950年代前半から変わらぬ姿を見せている。
中の島の南側には野外ステージがあり、昨夜のNHKBS「ぶらり日本鉄道旅」の西武
池袋線沿線を紹介する旅の最後近くに登場していた。下の写真は8月29日(土)朝の再
放送から。
池にはあちこちでカモが泳ぎ、西端近くまで進むとコンクリート製の彫刻が立っている。
この辺りで池を離れて南側斜面上に見えた稲荷諏訪合神社に向かって上がり、新型コロ
ナウイルスに感染しないよう、さらに早期の終息を祈願する。
そばの練馬区立「石神井公園ふるさと文化館」も何度か訪れているが入館し、2階の常
設展示室と区民の作品展示コーナーなどを一巡して観覧した(企画展示以外は入館無料)。
30分ほど観覧して東側入口から出た。
東側には区立「池淵(いけぶち)史跡公園」がある。公園は、練馬区登録史跡「池淵遺
跡」を埋め戻して保存整備したもの。遺跡では旧石器時代の石器ブロックや、縄文・弥生
時代の竪穴住居跡↓、中世の溝の跡などが発見されたという。
公園内で目につくのが練馬区指定文化財の「旧内田家住宅」で、中村3丁目にあったか
やぶき住宅が遺跡復元されていて、住宅に入って内部も観覧できる。
園路沿いには、区内の各所にあった庚申塔や馬頭観音など江戸時代の石造物が何基か配
置されていた。
史跡公園を一巡後、ふるさと文化館内を抜けて西側の都道444号線側に出る。文化館
の建物の西北側にあった彫刻。
都道を横断して古い民家の間などを回り、西南側にある道場寺(どうじょうじ)へ。以
前は開いていたた山門は、新型コロナウイルスの影響か閉じていたので右手から入る。
道場寺は、文中元(1372)年に石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が
建立したもので、輝時は自分の土地を寺に寄付して豊島氏の菩提寺としたと伝えられてい
るよう。武蔵野三十三観音霊場の第2番霊場である。
山門の左手に立つ三重塔内には、人間国宝の香取正彦作の金剛薬師如来が置かれ、台座
にはスリランカから拝受した仏舎利が納められているという。
境内にはモミジやアカマツなどが多く、豊富な緑陰が暑い日差しを遮ってくれている。
門前の通りは交通量が多いが、歩道は南側の石神井小側のみ。車に注意しながら西に少
し進むと武蔵野三十三観音霊場第3番霊場の三宝寺(さんぽうじ)である。
三宝寺は、応永元(1394)年に創建され、石神井城主豊島氏からの帰依(きえ)を
受けていたとか。豊島氏滅亡後は徳川家康などの保護を受けて発展したという。
どっしりした山門は御成門で、寛永2(1625)年と正保元(1644)年に徳川家
光が狩猟の際に当山が休憩所となったことから、この山門を御成門と称するようになった
とか。
現在の御成門は文政10(1827)年の完成、2度の火災にも難を逃れ当山第1の古
建築であるとともに、当地方でまれに見る優れた山門として練馬区登録有形文化財になっ
ている。
山門を入り左手のお堂は大黒堂と千体地蔵堂。上階の大黒堂は何度か見ていたが、左手
階段を下った下に千体地蔵堂があるのは知らなかった。
パネルを見て初めて知り、千体地蔵堂に入る。堂内左手中央に比較的新しい地蔵尊が祭
られ、背後には極彩色の極楽図と地獄図らしいのが描かれている。
小さな千体地蔵尊はその両側に祭られていた。
大黒堂前には「ねりまの名木」に選定された樹高17m、幹回り2.5mのアカマツと、
樹高10m、幹回り1.5mのサルスベリが立っている。
正面の本堂に参拝後、左手階段を上がって多宝塔にも参拝する。階段のそばには、天明
元(1781)年造立という高い台座の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が目につく。
階段下から多宝塔周辺に点在する「四国八十八か所お砂踏霊場」の間を進み、本堂の左
手背後に回ると弘法大師を祭る大師堂がある。
御成門に近い鐘楼堂のそばには、フヨウやアジサイ、ハナトラノオなどが咲いていた。
境内東南側にある長屋門は、もとは勝海舟邸の屋敷門だったようで、新しい「海舟書屋」
の掲額があった。
(続く)
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今日は、西武池袋線と新宿線の練馬区内の5駅限定で発売された「記念乗車券 あり
がとう!としまえん」を購入のため、池袋線の石神井(しゃくじい)公園駅に行く。
9時半を過ぎたので売り切れを心配したがまだ残っていたので購入し、久しぶりに都内
に来たのだがら、何度も訪れてはいるが都立石神井公園周辺を回ることにして、9時47
分に南口をスタートした。
駅の東側から南へ、拡幅して広くなった道路を緩やかに下り稲荷神社に入る。
コンクリート造りの拝殿の前に、「ねりまの名木」に指定されたシラカシが立っている。
シラカシとしては区内でも最大級の大きさのようで、樹高18m、幹回り3.8mという。
神社前のY字路を南西に少しで都立石神井公園の東端へ。
西へ向かって細長い石神井池(ボート池)が伸びているが東岸はカヤなどが視界を遮り、
その一角にパンパスグラス(シロガネヨシ)やフヨウが咲いていた。
南岸を少しで、カヤなどの向こうにボート乗り場にスワンボートなどが望まれる。
南岸沿いの北向き斜面には伸び伸びと枝を伸ばした樹林が続いている。
池を眺めながら西へと南岸縁の遊歩道進む。
ラクウショウとメタセコイアの立ち並ぶ辺りを過ぎると、池の中ほどに中の島がある。
島に入るには二つの橋があるが、この橋は石神井支所近くに私の最初の職場があった
1950年代前半から変わらぬ姿を見せている。
中の島の南側には野外ステージがあり、昨夜のNHKBS「ぶらり日本鉄道旅」の西武
池袋線沿線を紹介する旅の最後近くに登場していた。下の写真は8月29日(土)朝の再
放送から。
池にはあちこちでカモが泳ぎ、西端近くまで進むとコンクリート製の彫刻が立っている。
この辺りで池を離れて南側斜面上に見えた稲荷諏訪合神社に向かって上がり、新型コロ
ナウイルスに感染しないよう、さらに早期の終息を祈願する。
そばの練馬区立「石神井公園ふるさと文化館」も何度か訪れているが入館し、2階の常
設展示室と区民の作品展示コーナーなどを一巡して観覧した(企画展示以外は入館無料)。
30分ほど観覧して東側入口から出た。
東側には区立「池淵(いけぶち)史跡公園」がある。公園は、練馬区登録史跡「池淵遺
跡」を埋め戻して保存整備したもの。遺跡では旧石器時代の石器ブロックや、縄文・弥生
時代の竪穴住居跡↓、中世の溝の跡などが発見されたという。
公園内で目につくのが練馬区指定文化財の「旧内田家住宅」で、中村3丁目にあったか
やぶき住宅が遺跡復元されていて、住宅に入って内部も観覧できる。
園路沿いには、区内の各所にあった庚申塔や馬頭観音など江戸時代の石造物が何基か配
置されていた。
史跡公園を一巡後、ふるさと文化館内を抜けて西側の都道444号線側に出る。文化館
の建物の西北側にあった彫刻。
都道を横断して古い民家の間などを回り、西南側にある道場寺(どうじょうじ)へ。以
前は開いていたた山門は、新型コロナウイルスの影響か閉じていたので右手から入る。
道場寺は、文中元(1372)年に石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が
建立したもので、輝時は自分の土地を寺に寄付して豊島氏の菩提寺としたと伝えられてい
るよう。武蔵野三十三観音霊場の第2番霊場である。
山門の左手に立つ三重塔内には、人間国宝の香取正彦作の金剛薬師如来が置かれ、台座
にはスリランカから拝受した仏舎利が納められているという。
境内にはモミジやアカマツなどが多く、豊富な緑陰が暑い日差しを遮ってくれている。
門前の通りは交通量が多いが、歩道は南側の石神井小側のみ。車に注意しながら西に少
し進むと武蔵野三十三観音霊場第3番霊場の三宝寺(さんぽうじ)である。
三宝寺は、応永元(1394)年に創建され、石神井城主豊島氏からの帰依(きえ)を
受けていたとか。豊島氏滅亡後は徳川家康などの保護を受けて発展したという。
どっしりした山門は御成門で、寛永2(1625)年と正保元(1644)年に徳川家
光が狩猟の際に当山が休憩所となったことから、この山門を御成門と称するようになった
とか。
現在の御成門は文政10(1827)年の完成、2度の火災にも難を逃れ当山第1の古
建築であるとともに、当地方でまれに見る優れた山門として練馬区登録有形文化財になっ
ている。
山門を入り左手のお堂は大黒堂と千体地蔵堂。上階の大黒堂は何度か見ていたが、左手
階段を下った下に千体地蔵堂があるのは知らなかった。
パネルを見て初めて知り、千体地蔵堂に入る。堂内左手中央に比較的新しい地蔵尊が祭
られ、背後には極彩色の極楽図と地獄図らしいのが描かれている。
小さな千体地蔵尊はその両側に祭られていた。
大黒堂前には「ねりまの名木」に選定された樹高17m、幹回り2.5mのアカマツと、
樹高10m、幹回り1.5mのサルスベリが立っている。
正面の本堂に参拝後、左手階段を上がって多宝塔にも参拝する。階段のそばには、天明
元(1781)年造立という高い台座の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が目につく。
階段下から多宝塔周辺に点在する「四国八十八か所お砂踏霊場」の間を進み、本堂の左
手背後に回ると弘法大師を祭る大師堂がある。
御成門に近い鐘楼堂のそばには、フヨウやアジサイ、ハナトラノオなどが咲いていた。
境内東南側にある長屋門は、もとは勝海舟邸の屋敷門だったようで、新しい「海舟書屋」
の掲額があった。
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