先週は3日間外出して不在だったりして、新年前半のレポートがさらに遅れてしまいま
したが、少しずつ追いかけてアップしますので、日にちのずれはご容赦ください。
========================================
2023年1月9日(月・祝)
所沢市内で初もうでする人の多い神社といえば、市内中心部の所沢神明社と南西部の北
野にある北野天神社。3が日以後も参拝者の列が長く延びて寒い境内で待ち時間もかかる
が、もう9日ならばと北野天神社の参拝に行くことにする。
自宅から歩いて、国道463号バイパスの大六天交差点から県道179号・所沢青梅線
に入る。
少し先から北側を平行する市道沿いに進んで、小手指(こてさし)小の北側近くまで進
むと、民家の前にある畑の紅梅がかなり花を見せている。
小手指小の北側、「みどりの学校ファーム」と呼ぶ畑の道路沿いに、綿の実がたくさん
残っていた。
さらに西進して小手指中の北側を通過し、南北に走る市道を南へ少し上がり、西側参道
入口に10時30分近くに着いた。
北野天神は、景行天皇の頃に日本武尊が東征の折、この地に2神を祭ったのが始まりで、
武蔵国の延喜式内社5座のひとつに数えられているという由緒ある神社。
長徳元(995)年に菅原道真5世の孫 修成が武蔵守となり、この地に京都の北野天神
を祭り、以後は北野天神と称せられるようになったとか。
武家の信仰も厚く、源頼家、頼朝、足利尊氏、前田利家などにより社殿が造営されたよ
うで、現在の本殿は安永年間(1770年代)の建築、拝殿と幣殿は平成6(1994)
年に改築したという。
境内南東側、神楽殿の前では、10人の剣士による剣舞の奉納が始まろうとしていた。
正月に北野天神には何度か参拝に来ているが、剣舞の奉納を見るのは初めて。そもそも
ほかでも剣舞の演技は見た記憶が無い。
その剣舞を観覧するように、拝殿方向を向いて南側には氏子の澤田家秘蔵品という「三
十二間筋兜」と「黒漆革包胸二枚具足」と呼ぶ、元禄15(1702)年頃造られた加賀
甲冑が飾られていた。
10人の剣士は、段数の少ない人から順次、剣舞の演技を奉納した。
途中で、いったん剣舞を見るのを中断して拝殿に参拝し、今年の願いを何点か祈願する。
拝殿前の絵馬掛けには、新年に新たに奉納した絵馬がたくさん架かる。
再び剣舞の演技場のそばに回ると、後半の剣士の演舞が続いている。
さらに途中で、そばの社務所に回り、新しい御札を分けていただく。
いただいた御札入れに「板東北野天神社」と記されていたので、標記も同様にした。
剣舞の演技は高段者になり、素人目で見ても技が違い、動きが鋭いことが分かる。
10人の演舞が終わり、剣士一同は整列して拝殿に拝礼し終了した。
拝殿前の手水舎横に奉納された生花の中、ロウバイが少しだけ咲き出す。
西参道側には、氏子会有志が令和の幕開けを祝して令和元(2019)年5月1日に奉
納したという、稲わらで造った神馬(しんめ)が立っていた。
神馬の横には「北野地名由来之碑」が立ち、横に並んで前田利家公が天正18(1588)
年に献栽したという大納言松の古木が立っている。
南側正面参道へ向かう左手に、かなり傾いた桜の古木がある。
日本武尊が東征の折にお手植えした尊桜(みことざくら)と呼ぶ桜の、4度目のひこば
えの木のようだ。
参拝を終えたので、南側参道から退社することにする。参道の両側には竹で組んだ「竹
回廊」と呼ぶ塀のようなものの間を進む。
新年を迎えるにあたり、氏子有志の方々により新調したようで、竹は新しい。
その左手横には力石が5個置かれている。徳川末期から明治初期まで、江戸を中心に関
東各地で力を試したり、あるいは記念として奉納されたもののよう。
竹回廊の先を右左折して2つの鳥居と2度の石段を下り、正面参道から11時25分頃
神社を出た。
南側を走る県道所沢青梅線にはバス停があるが、この時間帯のバスは無い。
北野天神前交差点を右折して北へと坂を上がり、往路を戻ることにした。
北側の小手指中横の民家のロウバイも、花が咲き出していた。
(天気 快晴、距離 7㎞、地図 なし、歩行地 所沢市)
埼玉県ランキング
にほんブログ村
したが、少しずつ追いかけてアップしますので、日にちのずれはご容赦ください。
========================================
2023年1月9日(月・祝)
所沢市内で初もうでする人の多い神社といえば、市内中心部の所沢神明社と南西部の北
野にある北野天神社。3が日以後も参拝者の列が長く延びて寒い境内で待ち時間もかかる
が、もう9日ならばと北野天神社の参拝に行くことにする。
自宅から歩いて、国道463号バイパスの大六天交差点から県道179号・所沢青梅線
に入る。
少し先から北側を平行する市道沿いに進んで、小手指(こてさし)小の北側近くまで進
むと、民家の前にある畑の紅梅がかなり花を見せている。
小手指小の北側、「みどりの学校ファーム」と呼ぶ畑の道路沿いに、綿の実がたくさん
残っていた。
さらに西進して小手指中の北側を通過し、南北に走る市道を南へ少し上がり、西側参道
入口に10時30分近くに着いた。
北野天神は、景行天皇の頃に日本武尊が東征の折、この地に2神を祭ったのが始まりで、
武蔵国の延喜式内社5座のひとつに数えられているという由緒ある神社。
長徳元(995)年に菅原道真5世の孫 修成が武蔵守となり、この地に京都の北野天神
を祭り、以後は北野天神と称せられるようになったとか。
武家の信仰も厚く、源頼家、頼朝、足利尊氏、前田利家などにより社殿が造営されたよ
うで、現在の本殿は安永年間(1770年代)の建築、拝殿と幣殿は平成6(1994)
年に改築したという。
境内南東側、神楽殿の前では、10人の剣士による剣舞の奉納が始まろうとしていた。
正月に北野天神には何度か参拝に来ているが、剣舞の奉納を見るのは初めて。そもそも
ほかでも剣舞の演技は見た記憶が無い。
その剣舞を観覧するように、拝殿方向を向いて南側には氏子の澤田家秘蔵品という「三
十二間筋兜」と「黒漆革包胸二枚具足」と呼ぶ、元禄15(1702)年頃造られた加賀
甲冑が飾られていた。
10人の剣士は、段数の少ない人から順次、剣舞の演技を奉納した。
途中で、いったん剣舞を見るのを中断して拝殿に参拝し、今年の願いを何点か祈願する。
拝殿前の絵馬掛けには、新年に新たに奉納した絵馬がたくさん架かる。
再び剣舞の演技場のそばに回ると、後半の剣士の演舞が続いている。
さらに途中で、そばの社務所に回り、新しい御札を分けていただく。
いただいた御札入れに「板東北野天神社」と記されていたので、標記も同様にした。
剣舞の演技は高段者になり、素人目で見ても技が違い、動きが鋭いことが分かる。
10人の演舞が終わり、剣士一同は整列して拝殿に拝礼し終了した。
拝殿前の手水舎横に奉納された生花の中、ロウバイが少しだけ咲き出す。
西参道側には、氏子会有志が令和の幕開けを祝して令和元(2019)年5月1日に奉
納したという、稲わらで造った神馬(しんめ)が立っていた。
神馬の横には「北野地名由来之碑」が立ち、横に並んで前田利家公が天正18(1588)
年に献栽したという大納言松の古木が立っている。
南側正面参道へ向かう左手に、かなり傾いた桜の古木がある。
日本武尊が東征の折にお手植えした尊桜(みことざくら)と呼ぶ桜の、4度目のひこば
えの木のようだ。
参拝を終えたので、南側参道から退社することにする。参道の両側には竹で組んだ「竹
回廊」と呼ぶ塀のようなものの間を進む。
新年を迎えるにあたり、氏子有志の方々により新調したようで、竹は新しい。
その左手横には力石が5個置かれている。徳川末期から明治初期まで、江戸を中心に関
東各地で力を試したり、あるいは記念として奉納されたもののよう。
竹回廊の先を右左折して2つの鳥居と2度の石段を下り、正面参道から11時25分頃
神社を出た。
南側を走る県道所沢青梅線にはバス停があるが、この時間帯のバスは無い。
北野天神前交差点を右折して北へと坂を上がり、往路を戻ることにした。
北側の小手指中横の民家のロウバイも、花が咲き出していた。
(天気 快晴、距離 7㎞、地図 なし、歩行地 所沢市)
埼玉県ランキング
にほんブログ村