あるきメデス

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2024年新春 所沢七福神巡り(前半・1~4番)(埼玉・所沢)

2024-01-11 22:28:44 | 所沢だより
 2024年1月6日(土)

 好天で暖かくなるという予想なので、昨年新春に続き地元所沢の七福神巡りに行くこと
にした。加齢に伴う体力や脚力の低下から、昨年同様に2日間に分けて巡ることにする。


 西武池袋線の西所沢駅から上り電車で所沢駅へ、10時40分に東口をスタートした。


 南東に延びる市道を少し進んで、西武バス所沢営業所前を過ぎる。



 6差路になっている北秋津交差点の北側にある八雲神社にまず参拝。境内に樹木は無く、
社殿も小ぶり。
 
 
 東村山方面に延びる旧所沢街道のすぐ右、細い車道を南に進んで台地下に下った辺りに
茶畑が広がり、近くには製茶所もある。


     
          茶畑の南西端↑とそばの交差点際↓に小さい石像が。
          


  南西に少し先、民家の庭先でヒカンザクラだろうか小さい花が咲き出していた。
     

 その先の三差路を左折して南東へ、次の三差路際、広い民家の屋敷前に「百番拝霊塔」
が4基並んでいる。

 四国、板東、秩父の百番の観音霊場を巡拝した記念に建立したもので、この屋敷の先祖
の方々が巡拝したらしい。
      

 近くには夏ミカンだろうか、大きな実の柑橘が実る。


 県道4号・所沢街道を横断して少し直進すれば、所沢七福神第一番・恵比寿天の真言宗
豊山派持明院(じみょういん)である。

 持明院は平安時代創建と伝えられ、「その昔、悪さを重ねていた柳瀬川の河かっぱ童が、
和尚様に説教されて詫び証文を書いた」という伝説が残っているとか。


   石積みの門を入ると左手に6地蔵堂があり、そばに新しい二宮金次郎像も。
     

 境内の南側、竹林背後の下を流れる柳瀬川が都県境になっている。

 
     
 七福神第一番 恵比寿神は本堂の手前に鎮座し、その前にゆかりのヱビスビールが並ぶ。
          


     本堂はコンクリート造りで、その前には弘法大師像が。
     

 西側には、宝形屋根のお堂や新しい三界萬霊塔、五輪塔がある。


 背後の墓地下には西武新宿線が走り、その向こうに国際航空専門学校が見下ろせる。


     
 県道4号・所沢街道まで戻り、緩やかに上る県道を所沢中心街方向へ少しで、西武新宿線
を越えた。陸橋からの南側の東村山駅方面


 陸橋を渡り終えたところで細道を下り、久米境交差点を横断して西へ。うなぎ料理で知
られる日本料理の店、野老(ところ)の先が、七福神の第二番・大黒天の長久寺である。

 長久寺は、鎌倉時代に開山したという所沢では唯一の時宗の寺。春先にはソメイヨシノ
が、秋にはドウダンツツジがきれいだという。

 山門前には青銅の仁王像が構えている


     大黒天は、山門を入ってすぐ右手に祭られていた。
     

 そばに、旗本中根氏の墓の説明パネルがあり、この寺には今まで数回来ているが初めて
気付いた。

 だが、境内を一巡後に本堂背後の墓地に回ったが見つからなかった。

 大黒天に参拝後、正面の本堂にも参拝する。


     
 
 本堂の右手前には時宗の開祖、一遍上人像がある。

 背後の大きなドウダンツツジが、秋にきれいに色づくようだ。
 
     こちらのお堂の右手に立つカシは、所沢市の保存樹木
     


     境内左手には、六地蔵堂や薬師堂↓も。
     

 最後に、本堂右手前に祭られた境内社、豊川稲荷神社に参拝した。

 
 その右手、東側には西向きの鐘楼が。


 豊川稲荷に参拝して南側道路際下り、長久寺を出た。


 来た道を戻り、日本料理店「野老」前を過ぎる。

 ちなみに「野老(ところ)」は、所沢の名の起源になったとろろ芋のような植物のこと。

 すぐ近くのコンビニ、セブンイレブン横を右折して南へ、柳瀬川に架かる勢揃橋(せい
ぞろいばし)を渡る。

 鎌倉時代末期、新田義貞らが鎌倉幕府を倒さんと挙兵した際、上州(群馬県)から鎌倉
を目指して鎌倉街道を南下して所沢周辺で幕府軍と激突した際、ここで数万人の兵を勢揃
いさせたことから名付けられたという。

 だが、橋の周辺には、そのことと記したパネルなどは無い。
 
 さらに南進すると、松が丘東交差点の北東側に大きな洪水対策用調整池があり、かなり
の水面にソーラーパネルが設置されている。

 「フロートソーラー所沢」と名付けられ、市が関わる太陽光発電施設のよう。

 交差点からは、前方に狭山丘陵の再東端付近の樹林が望まれる。


 交差点の先で右カーブすると、一帯は西武グループが開発した戸建て住宅が並ぶ松が丘
住宅が続いている。


 次の交差点で左折して、すぐ先の八国山緑地下部の砂利道から住宅地を進み、東端から
折り返し、都県境を西に延びる八国山緑地の遊歩道に向かう。
     
 上り口には「狭山丘陵いきものふれ合いの里」のパネルや、都立八国山緑地のエリア図
などが。


     まずは、急斜面を上がる。
     

 少し上がり東北東をふり返ると、所沢市の中心市街地周辺の高層マンションなどが望ま
れる。 
 

 ブルーシートの一角は、所沢駅西口の旧西武鉄道車両基地跡を再開発中のエリア。今年
秋には大規模商業施設がオープンの予定。

 左端の高層ビルは、先行建設されたマンションなどの入るビル。右端には以前の西武百
貨店、現在の西武ショッピングセンターの入るWaltz(ワルツ)ビルも望まれる。

     
 八国山緑地の多くを覆う落葉広葉樹林は冬枯れの様相で、足もとには豊富な落ち葉が。


 ところどころに、この丘陵に関わるパネルがある。


     
 稜線に上がってすぐ先、右手(北側)に将軍塚があり、その前には「元弘青石塔婆行在
跡」標石と、将軍塚のパネルが。


     その北側の少しの盛土上が将軍塚で、標石も立つ。
     

 近年、ここ狭山丘陵の樹林には「ナラ枯れ」が発生しており、ほかの木に伝染する恐れ
があるので近づかないよう注意のパネルも。


 さらに八国山緑地を西進する。
 
  
 南側の一角に、「萌芽更新(ほうがこうしん)」を施した落葉広葉樹が並ぶ。

 多くの広葉樹は、幹を切ると切り株からたくさんの芽が伸びてくるが、年を経た樹木を
伐採して、このような萌芽を育てて雑木林の若返りを図るのを萌芽更新と呼んでいる。

  かつては、薪や炭に利用される細い材をたくさん生産するのに適しているため、里山管
理の手法として江戸時代から武蔵野の雑木林では多く行われていたもの。


 さらに進むと、南へ東村山市諏訪町方面への分岐があり、その南東側は樹林が切り開か
れた「おおぞら広場」がある。


 広場からは南南東に、西武新宿線 東村山駅西口の高層ビルが望まれる。
  

 広場の東側にはトイレもあり、広場を囲む2カ所の木も「ナラ枯れ」が発生し、触れな
いように囲ってある。
     

 狭山丘陵の稜線上を走る都県境の遊歩道をさらに進む。 



 南側の緩やかな斜面下に「ほっこり広場」を見下ろしながら進み、右手に見えた階段の
2つ目で稜線を離れて松が丘住宅の中を貫く遊歩道に向かって下る。


 住宅地の中心部を東西に走る市道の松が丘中央交差点を右折し、すぐ先の松が丘中央公
園際へ。


 公園の東側を北に進み、次の通りの北側にある久米八幡市民緑地際を東に回り込むと、
所沢七福神第三番、福禄寿の佛眼寺門前に出る。

 平安時代初期に開かれたと伝えられ、明治維新までは北側背後にある鳩峰八幡神社の
別当(神社を管理するために置かれた寺)を務めていたという。

 
 数段の石段を上がると左側に6地蔵堂が祭られ、右側にはマンリョウが咲く。


 
     正面の本堂の前、左手には慈母観音像と弘法大師像が。
     

           
       右手、黄金色の一願観音のそばに、所沢七福神の福禄寿が立っている。
     

 夏ミカンの実る東側の山門から佛眼寺を出た。

 
 北側を東西に延びる台地に向かって上がると、細い十字路際には携帯用アンテナ塔が5
本立ち、十字路を左折して進めば、正月早々のだるま市で知られる水天宮境内へ。


 東向きの社殿は周囲を樹木に覆われ、その間を木漏れ日が差し込む。


 拝殿には、いつ来ても奉納されている、小さいだるまが10体ほど並ぶ。


 北側の数段の階段を上がり、豊富な鎮守の森に覆われた鳩峰八幡神社境内へ。

 当社は、延喜21(921)年に京都・石清水八幡宮を分祀したと伝わる古社。

 覆屋に覆われた本殿は、見世棚造り呼ばれる一間社流れ造りという室町初期の建築で、
埼玉県指定文化財。内部には、修理した慶長13(1608)年の棟札が残るとか。
 
 境内中央部に、新田義貞が鎌倉討伐の際の元弘3(1333)年5月に戦勝祈願に立
ち寄った際に兜を掛けたと伝わる「新田義貞兜掛松史跡」碑が。
                

          傍らには、何代目かになる松の若木が植えられていた。
                    
 
 拝殿への参拝を終え、東側の正面鳥居に向かって緩やかに下る。ヒノキ科樹木が中心の
境内の豊富な樹林は、市の保存樹林である。

 正面鳥居を出て、北側への樹林の間を下る細道へ。

 右側一帯は豊富な樹林に囲まれた富士幼稚園。


 樹林帯の下部に出ると、正面に西武池袋線西所沢駅周辺の中層マンション群が見えた。


 荒幡の住宅地を抜けて、県道バイパスの山王橋(西)交差点を横断する。


 さらに北進した突き当たりが、所沢七福神の第四番、弁財天の永源寺である。

 永源寺は、室町時代の応永年間(1394~1428)の創建、天文年間(1532~
55)に復興され、のち徳川家康から30石の領地を授けられたという。

 山門を入り右手に、市指定文化財の大石重信甫塔の説明パネルが。この寺も何度か来て
いるが初めて見つけた。


 まずは正面の本堂に参拝する。


 本堂背後の墓地を少し上がると「武蔵国守護代 大石重信之墓」の標石があり、すぐに見
つかった。
     

 本堂前の西南側には、今は枯れ枝だが大きなムクロジュがあり、正月の羽根つきの羽に
使われる実がたくさん残る。


 七福神の弁天様は、門前を出て道路を挟んだ西南側、弁天池中の島の弁天堂に祭られて
いる。

 
 その辺りからふり返る本堂周辺


 今日の巡拝はここまで、西所沢駅に向かって西進して台地上へ。茶畑の向こうに西武池
袋線の線路が平行する。


 西所沢駅東側の踏切を渡り、13時50分頃に西所沢駅前に着いた。

 
 まだ昼食前だったので、近くの中華料理 蟹谷(かにや)へ。


 ワンタン麵(税込780円)を注文し、高校サッカー準決勝第1試合のPK対決のTV
を見ながら昼食を済ませる。


 この後、近くの2つのスーパーを回って少しの食品を求め、15時02分に帰宅した。 

 14時のアメダス所沢の気温は13.5℃、正月早々としては温かな日和だった。

 (天気 快晴、距離 9㎞、地図 「所沢七福神めぐり」の地図、歩行地 所沢市、
  歩数 18,000)
 
 



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コメント (2)
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