あるきメデス

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東綾瀬公園から葛西用水親水水路を歩く(東京・足立)

2018-03-29 18:39:47 | 江戸・東京を歩く

 所沢市内の花見が先になりましたが、その前の3月25日に出かけた都内のウオーキン
グレポートです。

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 2018年3月25日(日) 
 
 東京の桜が満開となった翌日の今日、桜の新名所になっているという、足立区内の二つ
の旧農業用水路を結んで歩いた。


 JR常磐線の綾瀬駅に10時29分に着き、10時35分に北口をスタートする。線路
際を東に少しで、綾瀬小の手前から北に延びる都立東綾瀬公園に入る。

 東綾瀬公園は、綾瀬駅前から点在する広場を遊歩道でU字型につないだ公園。かつてこ
の辺りは水田だったが、区画整理事業で生み出した土地が都立公園となったもの。

 全長は約2㎞で、園内には、サクラ、ラクウショウ、ツツジなど季節感を味わえる樹々
が植えられ、西側の散歩道沿いには、花畑川を水源とするかつての農業用水を生かしたせ
せらぎが流れている。


 公園に入るとケヤキが芽吹き始め、あちこちのソメイヨシノがかなり花を見せていた。
でも、満開までには何日かかかりそう。
    


 複雑な屋根に目を引かれた東京武道館の横を、東側から北へと回り込む。




    
 その先のせせらぎに沿ったソメイヨシノは開花が進み、色濃い桜の下では何組ものグ
ループが花見の宴を楽しんでいる。ユキヤナギも満開である。


    

     




 車道の上を変形の橋で越えるとその先は広くなり、コブシが咲き野球のグランド近くの
ヤナギが柔らかな春の彩りを見せる。











 東京メトロ千代田線の支線、北綾瀬駅への高架下付近にボランティア花壇があり、ナノ
ハナやスイセンが咲いていた。
    


 高架下からスロープで上がる公園連絡橋で車道を越え、円形ループで下って南側の広い
公園エリアへ。


 東側にはテニスコートや野球場があった。この一角にも花壇があり、ナノハナはハナモ
モ、トキワマンサクなどが花を見せる。


 さらに東綾瀬公園の南端になる帯状の園路↓が南に延びるが、ここで公園と分かれた。



 集合住宅の多い団地東通りを500m前後東進して、東和三丁目の蒲原神社に寄る。

 蒲原神社は、蒲原新田の鎮守として文政年間(1818~30)の創建。万延元(1860)
年に当地に移築し、現社殿は昭和63(1988)年の再建という。

     
 境内のソメイヨシノがかなり開花し、摂社の瘡守稲荷と水神宮の社殿横には、足立区保
存樹木で移築以前からあったらしいイチョウの高木が、幹を傾け立っていた。
        

 南側の「八か村落し(はちかそんおとし)親水緑道」に回り、スーパーマルエツで弁当
を購入する。緑道沿いのソメイヨシノも見ごろに。
     

 東に隣接する円性寺(えんしようじ)に背後の墓地から入る。

 円性寺の開基は存秀和尚(元和元(1615)年没)で、現在の堂々たる本堂は昭和57
(1982)年の再建のよう。

 境内墓地際には、寛文4(1664)年造立の庚申塔を挟み、元禄4(1691)年と
宝暦0(1759)年銘の庚申塔があり、いずれも足立区登録文化財である。
       

     
 さらに八か村落し親水緑道を進み、親愛幼稚園そばの交差点から北に延びる車道を600m
ほど進み、環七通りの高架などと交差する六差路の大谷田橋交差点に出た。

 東側の広い緑陰は都立中川公園で、中川水再生センターの上を覆って緑化したところ。
12時40分に入った。

 手前の北西側広場のソメイヨシノが見頃で、木の下で花見を楽しむグループも。


 人道橋を上がった東側の広い一帯には、さらに大きな広場や子ども広場などがあり、芝
生地の間に木々が多く、ゆったりとした空間が広がっていた。


 公園の西北端近くに戻り、暑さを避けて緑陰で昼食にした。

 13時03分に公園の北西端から出た。そばの大谷田橋交差点を渡り、独特のスタイル
の展望塔の下に行く。
     
 ここから北に延びる通りの西側は「葛西(かさい)用水親水水路」が伸びていて、「銀
河の塔」と呼ぶ展望塔は、親水水路の完成を記念して造られたシンボルタワーのよう。


 らせん階段を最上部まで上がると、親水水路を覆うソメイヨシノの並木が続き、満開に
はもう少し先の花が見下ろせる。
     

 塔を降りてその親水水路を進むことにする。葛西用水は江戸時代に開削され、現在の羽
生(はにゅう)市で利根川から取水して埼玉や東京・足立区、葛飾区の農地を潤したとか。

 一時期は雨水や下水を処理する公共溝渠(こうきょ)になったため周辺住民から敬遠さ
れたが、平成4(1992)年に親水水路として復活したという。そして約290本の桜
が植えられ、「葛西用水桜通り」の愛称もついたようだ。
     

 花や流れなど眺めながら親水水路を300mほど進んで、大谷田三丁目の福寿院に行く。
福寿院は元和元(1615)年の創建で、東側の足立区立十二中のところにあったが、昭
和35(1960)年に学校の敷地拡張のため現在地に移転したという。

 門を入った左手のお堂には、「いぼとり地蔵尊」が祭られている。

 古くは「旧中川のいぼとり地蔵」として親しまれ「塩地蔵」とも呼ばれ、皮膚に病のあ
る人が塩を供えて治癒を祈り、その塩を患部にかけると効き目があるとされているとか。
さい銭箱の上には幾つもの塩の袋が奉納されていた。


 正面の本堂は昨年5月に改築したばかりとか。樹齢300年以上の木曽ヒノキの丸柱や、
美濃瓦の屋根など真新しく、富山県の彫刻の里、井波の彫刻師が彫ったという精巧な木彫
などに目を引かれた。



 親水水路に戻ってさらに続く桜並木の下を進み、和風建築の足立区立郷土博物館に入る。




 道路際に「郷愛」と題する農民像があった。この辺りはかつて中川と綾瀬川の清流に恵
まれた美しい農村地帯だったとか。だが都市化の波により昭和40(1965)年頃から
農業が難しくなり、近代的町造りのために区画整理を実施して整然とした町ができたので、
昔の面影を偲んでこの像を建てたという。
     

 博物館は普段は有料(大人200円・70歳以上は無料)だが、今日は無料の張り紙が。
入館して、「江戸東京と結ばれた農村の誕生」「東郊の近代的発展」「東郊の変貌」とい
うテーマの常設展と、企画展「谷文晁と二人の文一」を観覧した。




     




 館の西側には東渕江庭園があり、池を回る園路が設けられている。時計回りに一巡して、
植栽と池の眺めや、咲き出した幾つかの花などを観賞した。



 博物館前の広場には、庚申塔や道しるべなど区内に残る石像品が並ぶ。1時間近く過ご
して14時25分に郷土博物館を出た。

 そばの東渕江橋から北に伸びる水路際にトサミズキが続き、花も見頃である。



 その先からはソメイヨシノの植栽は若木となり、花の付きもまだ少ない。親水水路沿い
は木々の植栽が増え、六木(むつぎ)一丁目には「ちびっこつりばし」が架けられていた。


 六木一丁目と二丁目の北側で親水水路は東西に走る花畑川の上を通過する。

 花畑川は中川と綾瀬川を結び、船の往来の便のための運河として開削整備され、昭和6
(1931)年に完成したという。


 さらに桜並木の続く葛西用水親水水路を進む。東側の六木三丁目には六木中央公園があ
り、園内のソメイヨシノも三、四部咲きくらいの感じ。トイレはユニークな蔵造りである。





 間もなく親水水路の北端に達し、道路は都県境を流れる垳川(がけがわ)の桜橋を渡る
と埼玉県八潮市となる。ちなみに川向こうの地名は八潮市垳で、「垳」は全国で唯一の地
名である。


 橋を渡らず、東側の「六木水の森公園虹の広場」の横から、垳川の右岸沿いに続く「神
明(しんめい)・六木遊歩道」に入った。


     
 狭い遊歩道沿いにはスダジイやエノキ、ケヤキ、ムクノキなどが続き、その間を縫うよ
うに進むと、対岸の釣り人や寺院、垳川排水機場のタンクなどが望まれる。


     

 垳川の東端、排水機場に面して広くなった流れの南側に、「六木水の森公園水車広場」
があった。

 かつて使われていたらしいレンガ積み高架の水路と金属製水車が保存され、東側の池に
は大きな渦巻き方噴水がある。ここで最後の休憩とした。



 垳川↑が流入する中川↓の東には、大場川が水門の先から伸びている。



 垳川排水機場の東側から北に回り、八潮市立潮止中横を北進し、ゴールのつくばエクス
プレス八潮駅に15時56分に入る。


(天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 草加、歩行地 足立区、八潮市、
 歩数 20,300)




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