第21日 2006年12月1日(金) 快晴
=月山神社から大月へ=
5時45分起床、6時20分朝食。弁当をお願いしておいたら、
お接待下さるとのことで、ありがたくいただく。7時に民宿叶崎
を出発した。
そばの大津大橋に出たら、海に太陽が上がったばかり。雲
ひとつ無い快晴の空に、海からのすばらしい日の出を見ること
が出来た。
叶崎の展望台に上がると、紺碧の海と岩礁の景観が見下ろ
せる。叶崎を詠んだ野口雨情の歌碑もあった。
国道321号の脇ノ川トンネル(708m)を抜け、小才角の湾
に向かって下る。向かい風がやや冷たい。
小才角の道路際で、今朝水揚げしたばかりの、みずみずしい
イカをたくさん干している。
東屋のある小才角休憩所に、「土佐サンゴ発祥の地」の説明
板がある。
徳川時代からこの辺りにサンゴの存在が知れていたが、土佐
藩では厳重に採取を禁止し、口外も禁じられていた。明治維新
後、この禁令が解かれ、サンゴ船による採取が行われたが、
その後乱獲で、大正12年(1923)にはほとんど中止状態に
なったようだ。
その後は、五島、台湾、奄美などで採取するようになり、当地
では今なお、加工が盛んだという。
岬を回り次の月灘へ大きく迂回する。港を見下ろす好展望地
に、歌先生の遍路小屋14号大月があったので休む。
漁師の使つたらしい古い双眼鏡が置いてあった。
眼下の港では、数人の漁師さんが網を繕っている。そばの道路
際で、かまどに湯を沸かし、身の赤いサツマイモを切ったのを蒸
そうとしていた。
聞くと、「人参いも」といい、蒸した後で干して、もち米と一緒に
ついて、正月用のもちにするのだという。
家並みの外れの急坂が、月山(つきやま)神社への遍路道。入
口に十八丁石があり、その先にも丁石が幾つか残っていた。
簡易舗装が終わると落ち葉道。緩やな上り下りの後、小さい
流れを渡って車道に出た。
500m余りで番外霊場月山神社。もとは神仏混合の霊場で、
明治元年(1868)に月山神社になったという。
本殿背後の急坂上に、名のもとになった月形霊石があり、
本殿横に、安政5年(1858)建築と推定される大師堂もある。
車道を北に進み、右カーブ点で直進する大月遍路道へ。前回
の遍路の際、出会った山下さんが、古い資料から見つけ出した
昔の遍路道を、復活しようと地元大月町の方々に呼びかけて
復活した道である。
新しい切り株から最近整備したことが知れ、幅広く狩り払われ
ていて歩きやすい。
展望台まで上がると、樹間から紺碧の海や対岸の好展望が得
られる。
下りとなり、やや暗い常緑広葉樹林を抜け、枯れた流れの先
でゴロゴロ石の浜辺に出た。
石の上を300mほど道路の堤防下を進み、堤防の端で車道
に上がる。
暖帯林の山すその平坦地を1.5㎞ほど進んで赤泊(あかどま
り)の小集落へ。入口の赤泊神社には、町の文化財、赤泊太刀
踊りの説明があった。
あらかじめご連絡し、11時にお訪ねする約束のNさん宅の近く
と思われる場所で、役場からお帰りになるNさんを待つ。ほどなく
来られ、やはりすぐそばだったお宅におじゃまする。
訪問の目的は、古い遍路札を拝見すること。Nさんのお宅は、
江戸時代からの善根宿で、その頃の遍路札が残っていることを、
大月遍路道のことを見つけた山下さんや、その知人の竜馬16
さんから聞いていた。
奥の間に用意された、米俵一杯に詰まった遍路札を見せてい
ただく。現在の印刷した納札と違い、全部手書き。19世紀前半
の文政、天保、文化年間が多いとのこと。
研究者によれば、全部で10,579枚あり、北は北海道から南
は鹿児島まで全国から来ていたらしい。研究資料を拝見すると、
わが埼玉県も56枚あった。
奥様が昼食まで用意して下さり、ごちそうになる。午後は集落
の草刈りに出られるとのことで、ご多忙の中で1時間余りも、
貴重な時間をさいていただいた。深く感謝申し上げて失礼する。
谷間を緩やかに上がって左からの車道に合し、姫の井で国道
321号に戻る。国道には広い歩道があり、車も少な目。両側の
開けた開放的で明るい道筋。日差しは暖かく、穏やかな日和で
ある。
右から県道352号、左から県道43号と合し、間もなく道の駅
大月。Nさんも協力されたという歌先生設計の遍路小屋9号大月
がある。売店で、ここの名物ポンカンソフトを買い、休憩した。
大月町の中心街は歩道が無い。その上車の交通量が増え、側
溝の上を歩くようになる。西側の山上で、風力発電のプロペラが
7つ回っている。町外れには、全部竹製の遍路小屋2号大月が
あった。
日が傾き風が少し冷たくなった。大月町から宿毛(すくも)市に
向かって下り、水量豊富な福良川を渡る。15時43分、小築紫
(こづくし)の港に面した大島屋旅館に着いた。
ピカピカに磨かれた木の階段を上がり、港に面した部屋に入る。
入浴後、港の向こうの山に夕日が落ちた。洗濯はおかみさんが
して下さる。夕食は、タイの刺身など郷土料理をおいしくいただ
いた。
(コースタイム〉民宿叶崎7:00ー叶崎トンネル西7:20ー大月町へ
7:45ー遍路小屋14号大月(月灘)8:27~35ー月山神社9:19~33
ー大月遍路道9:46ーゴロゴロ石終わり10:18ーNさん宅(待ち時間
&昼食も)10:43~12:23ー姫の井局12:55ー道の駅大月13:55~
14:15ー遍路小屋2号大月14:45ー宿毛市へ15:15ー大島屋旅館
15:43
(距離 26㎞、地図(1/5万) 土佐清水、柏島、宿毛、歩行地
土佐清水市、大月町、宿毛市、歩数 42,400)
=月山神社から大月へ=
5時45分起床、6時20分朝食。弁当をお願いしておいたら、
お接待下さるとのことで、ありがたくいただく。7時に民宿叶崎
を出発した。
そばの大津大橋に出たら、海に太陽が上がったばかり。雲
ひとつ無い快晴の空に、海からのすばらしい日の出を見ること
が出来た。
叶崎の展望台に上がると、紺碧の海と岩礁の景観が見下ろ
せる。叶崎を詠んだ野口雨情の歌碑もあった。
国道321号の脇ノ川トンネル(708m)を抜け、小才角の湾
に向かって下る。向かい風がやや冷たい。
小才角の道路際で、今朝水揚げしたばかりの、みずみずしい
イカをたくさん干している。
東屋のある小才角休憩所に、「土佐サンゴ発祥の地」の説明
板がある。
徳川時代からこの辺りにサンゴの存在が知れていたが、土佐
藩では厳重に採取を禁止し、口外も禁じられていた。明治維新
後、この禁令が解かれ、サンゴ船による採取が行われたが、
その後乱獲で、大正12年(1923)にはほとんど中止状態に
なったようだ。
その後は、五島、台湾、奄美などで採取するようになり、当地
では今なお、加工が盛んだという。
岬を回り次の月灘へ大きく迂回する。港を見下ろす好展望地
に、歌先生の遍路小屋14号大月があったので休む。
漁師の使つたらしい古い双眼鏡が置いてあった。
眼下の港では、数人の漁師さんが網を繕っている。そばの道路
際で、かまどに湯を沸かし、身の赤いサツマイモを切ったのを蒸
そうとしていた。
聞くと、「人参いも」といい、蒸した後で干して、もち米と一緒に
ついて、正月用のもちにするのだという。
家並みの外れの急坂が、月山(つきやま)神社への遍路道。入
口に十八丁石があり、その先にも丁石が幾つか残っていた。
簡易舗装が終わると落ち葉道。緩やな上り下りの後、小さい
流れを渡って車道に出た。
500m余りで番外霊場月山神社。もとは神仏混合の霊場で、
明治元年(1868)に月山神社になったという。
本殿背後の急坂上に、名のもとになった月形霊石があり、
本殿横に、安政5年(1858)建築と推定される大師堂もある。
車道を北に進み、右カーブ点で直進する大月遍路道へ。前回
の遍路の際、出会った山下さんが、古い資料から見つけ出した
昔の遍路道を、復活しようと地元大月町の方々に呼びかけて
復活した道である。
新しい切り株から最近整備したことが知れ、幅広く狩り払われ
ていて歩きやすい。
展望台まで上がると、樹間から紺碧の海や対岸の好展望が得
られる。
下りとなり、やや暗い常緑広葉樹林を抜け、枯れた流れの先
でゴロゴロ石の浜辺に出た。
石の上を300mほど道路の堤防下を進み、堤防の端で車道
に上がる。
暖帯林の山すその平坦地を1.5㎞ほど進んで赤泊(あかどま
り)の小集落へ。入口の赤泊神社には、町の文化財、赤泊太刀
踊りの説明があった。
あらかじめご連絡し、11時にお訪ねする約束のNさん宅の近く
と思われる場所で、役場からお帰りになるNさんを待つ。ほどなく
来られ、やはりすぐそばだったお宅におじゃまする。
訪問の目的は、古い遍路札を拝見すること。Nさんのお宅は、
江戸時代からの善根宿で、その頃の遍路札が残っていることを、
大月遍路道のことを見つけた山下さんや、その知人の竜馬16
さんから聞いていた。
奥の間に用意された、米俵一杯に詰まった遍路札を見せてい
ただく。現在の印刷した納札と違い、全部手書き。19世紀前半
の文政、天保、文化年間が多いとのこと。
研究者によれば、全部で10,579枚あり、北は北海道から南
は鹿児島まで全国から来ていたらしい。研究資料を拝見すると、
わが埼玉県も56枚あった。
奥様が昼食まで用意して下さり、ごちそうになる。午後は集落
の草刈りに出られるとのことで、ご多忙の中で1時間余りも、
貴重な時間をさいていただいた。深く感謝申し上げて失礼する。
谷間を緩やかに上がって左からの車道に合し、姫の井で国道
321号に戻る。国道には広い歩道があり、車も少な目。両側の
開けた開放的で明るい道筋。日差しは暖かく、穏やかな日和で
ある。
右から県道352号、左から県道43号と合し、間もなく道の駅
大月。Nさんも協力されたという歌先生設計の遍路小屋9号大月
がある。売店で、ここの名物ポンカンソフトを買い、休憩した。
大月町の中心街は歩道が無い。その上車の交通量が増え、側
溝の上を歩くようになる。西側の山上で、風力発電のプロペラが
7つ回っている。町外れには、全部竹製の遍路小屋2号大月が
あった。
日が傾き風が少し冷たくなった。大月町から宿毛(すくも)市に
向かって下り、水量豊富な福良川を渡る。15時43分、小築紫
(こづくし)の港に面した大島屋旅館に着いた。
ピカピカに磨かれた木の階段を上がり、港に面した部屋に入る。
入浴後、港の向こうの山に夕日が落ちた。洗濯はおかみさんが
して下さる。夕食は、タイの刺身など郷土料理をおいしくいただ
いた。
(コースタイム〉民宿叶崎7:00ー叶崎トンネル西7:20ー大月町へ
7:45ー遍路小屋14号大月(月灘)8:27~35ー月山神社9:19~33
ー大月遍路道9:46ーゴロゴロ石終わり10:18ーNさん宅(待ち時間
&昼食も)10:43~12:23ー姫の井局12:55ー道の駅大月13:55~
14:15ー遍路小屋2号大月14:45ー宿毛市へ15:15ー大島屋旅館
15:43
(距離 26㎞、地図(1/5万) 土佐清水、柏島、宿毛、歩行地
土佐清水市、大月町、宿毛市、歩数 42,400)
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