あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行 東武東上線 高坂駅(埼玉)

2010-09-13 20:37:47 | 関東百駅巡礼歩行
 9月に入っても衰えぬ猛暑、この日も、近くの熊谷市は最高気温35度の予想
という9月11日(土)、2か月ぶりの「関東百駅巡礼歩行」の第67番に参加した。

 集合は東武東上線高坂(たかさか)駅。暑さを避けてか、参加者は、やまさん、
所沢市の I さんと私の3人だけ。11時10分に高坂駅東口を出た。


 南北に走る国道407号の手前の細道を北へ。西口は商店街や住宅が並ぶが、
こちらは数十年前と変わらぬ静かなたたずまい。畑や庭木の多い住宅の間を進
み、少し下って県道344号に出た。

 すぐに右手に入ると、道しるべにもなっている文政2年(1819)銘の、「普門品
講中供養塔」という石標が立つ。背後の田んぼは、かなり色づいている。

 その先に、北側を流れる都幾川の古い流路だったと思われる「三日月沼」があり、
沼の両側は緑の木々や草に覆われていた。



 一部刈り入れが始まり、はさ架けも見られる黄金田の間を進む。県道344号を
横切り、西本宿の集落に上がり、木々に囲まれた冨士浅間神社で休憩した。

 本殿は、一段高い土盛りの上に鎮座されている。


 キクやヒャクニチソウが咲き乱れる畑の前を進み、関越自動車道の東側にある沼
のマークを確認に行ってたが、水は無くトタン板で囲まれていた。

 関越道の西に回り、緑豊富な常安寺に上がる。ちょど正午なので、モミジに覆わ
れ、「南無薬師如来」ののぼりの並ぶ奥にある、薬師堂のひさしをかりて昼食とする。


 関越道の西側に沿って南進、県道212号を越えて九十九川(つくもがわ)のところ
まで行く。川の左岸が「川島こども動物自然公園自転車道」になっているので、上
流に向かう。

 水道管橋のある県道344号で自転車道を離れ、高坂ゴルフ場の南側の旧道を
西へ向かう。ゴルフ場下の林に、「足利基氏の塁跡」の説明板があったが、遺跡
は何も残っていないようだ。

 すぐ先の弁天沼のほとりに、ふるさと歩道の東屋(あずまや)があったので小休
止する。仕事中の男性2人も休憩中。そばに何の木か、落葉広葉樹の古木↓が、
よい木陰となっている。

 弁天沼は、昔、坂上田村麻呂が、近くの岩殿山に住む悪竜を退治して首を埋め
たところで、カエルが住みつかないところから「鳴かずの池」と呼ばれているという。

 東屋に、これから向かう岩殿観音の門前町の家並みの、屋号や寺の配置図の
リーフレットが置いてあり、観音霊場参りが盛んだった江戸中期から後期には、善
男善女で賑わっていたことがしのばれた。

 その門前町は、山腹の寺に向かう緩やかな上り道が、真っ直ぐに700m余り伸
びている。最奥部まで進み、山門をくぐって急石段をひと上りして、坂東三十三観
音第十番札所、「岩殿観音」で知られる巌殿山正法寺(しようぼうじ)に入った。

 精巧な木彫で飾られた古い本堂は、修理が始まるのか、鉄パイプの枠が囲んで
いる。猛暑に負けじと大音響で鳴く、ミンミンゼミやヒグラシの声を聞きながら休憩
した。

 11月上旬の日本スリーデーマーチで、ほぼ毎年訪れているが、こんな暑い日に
来たのは初めてのことだ。

 今日のメインはここなので、そろそろ帰路かと思いきや、やまさんの今日の行程
は、まだ先が長い。

 境内左手斜面の急階段を上がって、南側の車道に出る。道路の南側は標高135
m三角点のある物見山だが、寄らずに進む。

 すぐ先のY字路を右折すると、自動車は進入禁止。東松山市市民の森に沿った緑
陰は傾斜も緩やかで、ミンミンゼミとツクツクボウシの大合唱が続く。


 地球観測センター入口の少し先に、小さなY字路がある。左に下る方に「笛吹峠
へ」の表示があるが、日本スリーデーマーチ30㎞コースで何回も通り、こちらは車
道を迂回すると知っているので、右に行くよう勧める。

 林が途切れたところに廃棄物処理場のようなところがあり、長い塀が続く。間も
なく県道41号を横断し、さらに林間の緩やかなアップダウンを繰り返して、笛吹峠
に着いた。

 「ふるさと歩道」の古い東屋と、急傾斜の屋根の新しいトイレがあり、ここでも休
憩して水分補給をする。

 峠の説明板によれば、いま通ってきた岩殿観音から笛吹峠を経て、西に伸びる
道は「巡礼街道」と呼ばれ、岩殿観音と九番慈光寺を結ぶ道。そしてこれから進む
北への車道は、旧鎌倉街道で、カントリーウオークの仲間で2002年に逆行した、
「鎌倉街道上道歩き」の第4回のコースである。

 車道を北に向かう。しばらくは緑陰だったが、将軍沢集落が近づき、西からの日
差しが暑い。早いペースで先を急ぎ、次の大蔵集落へ。

 鳥居があるがお寺のようでもあり、どこの宗派にも属していない修験道場だとい
う「大行院」の前に、「じょんのび」と呼ぶコーヒーなどの出店があり、若いお二人
がいたので、「じょんのび」の意味を聞く。

 「じょんのび」とは、やまさんや、のみちネットワークの仲間と何年か前に訪ねた、
新潟県旧高柳町で聞いた言葉だ。


 大蔵集落には、かやぶき屋根のの平屋が一つ残っていた。集落を抜けると色づい
た田園地帯が広がり、都幾川右岸堤防に桜並木が続く。


 都幾川の学校橋下流にあるキャンプ場には、暑さを避けてキャンプに来た、自動
車のグループがたくさん見える。


 橋の上流は、うって変わって緑が一杯で、何年も変わらぬ穏やかな景観を見せる。


 国道254号嵐山バイパスを越えて菅谷の町並みに上がり、16時21分に、スタ
ートした高坂駅から四ッ先の、武蔵嵐山駅に着いた。

 この暑さと2か月ぶりのウオーキングに、ついて行けるか心配だったが、中間に
緑陰がかなりあり、なんとか嵐山駅まで完歩することが出来た。

(天気 快晴後晴、距離 15㎞、累積標高差 430m、地図(1/2.5万) 東松
 山、川越北部、越生、武蔵小川、歩行地 東松山市、鳩山町、嵐山町、歩数
 25000)

【後記】 歩いて1日おいた今日、9月13日(月)、やまさんから手紙が届いた。
 開けて見ると、この歩きの巡礼地図、いつも仕上げの早いやまさんだが、この早さ
には、さすが!と感心した↓。


コメント (2)
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四国遍路道にある休憩所③

2010-09-10 22:07:33 | 四国遍路あれこれ
 今回からは高知県内へ。2月28日(日)、24番最御崎寺(ほつみさきじ)へ向かい
ます。高知県最初の町、東洋町の民宿いくみを出て、直線道路の生見の家並みを
進み、幾つか並ぶポンカン販売所の先に新しい東屋(あずまや)が出来ていました。


 番外霊場・東洋大師明徳寺のある野根の家並みを過ぎると、しばらく人家が途絶
えます。伏越ノ鼻と呼ぶ岬を回った先にあった東屋。傍らの看板には、「徳島県境
まで10㎞、室戸岬まで30㎞」と記されています。


 東洋町から室戸市に入り、間もなく現れた東屋。これも最近建てられたよう。

 この日は、チリ地震津波が来るというので津波警報発令中。この先、津波に注意
し、始終左手の海を眺めながら進みました(この写真では右側が海)。

 津波到来時刻が過ぎた頃、立ち寄って休憩した、三津集落の外れにあった「お遍
路さん休憩所」です。


 室戸岬の西岸に回り、26番金剛頂寺(こんごうちょうじ)から国道55号に下った
ところにある、道の駅キラメッセ室戸の東屋。前回、今回ともここで昼食を。


 室戸市と奈半利町(なはりちょう)との境は、標高110mの中山峠越えの遍路道
を行くのですが、今回は腰痛のため国道をそのまま進みました。国道を回った羽根
岬にあった東屋。


 羽根岬から2㎞ほど、奈半利の町並みの手前に「遍路駅奈半利」の看板を出した
建物がありました。雨の中、腰痛に悩まされながらホテル奈半利を目指していて、
宿まで間もなくだったので、私は立ち寄らずに通過しました。


 翌3月2日(火)朝、ホテル奈半利を出発して間もなく、奈半利の町並みに残る、
登録有形文化財・ふるさと館高田屋そばにあったへんろ小屋。公のものではなく、
個人か商店のものか。宿を出たばかりだったので、ここも寄らずに通過しました。


 奈半利川の町並みを抜け、隣の田野町との境になる奈半利川橋の手前にあった
東屋。


 標高430mの27番神峰寺(こうのみねじ)への参拝を済ませ、国道55号を
安芸市に入りました。伊尾木川の手前にはこの東屋が。


 安芸市の中心街を抜け、町並みの西端から海岸沿いの高知安芸自転車道に入り
ます。いったん離れた国道55号が接してきたところに、東屋が設けられています。

 向こう側が国道、手前が自転車道です。

 自転車道を先へ、番外霊場八流山極楽寺下を通過し、並行する土佐くろしお鉄道
の赤野駅が近づいたところに、栗山英子さんのへんろ小屋があります。毎回休憩を
させていただいていますが、今回も栗山さんからリンゴゼリーなどのお設定をいただ
きました。


 へんろ小屋の内部。お遍路さんゆかりの品々や、人形、写真などが、もりだくさん
に並んでいます。


 自転車道は、土佐くろしお鉄道の高架に並行して進むようになり、2駅先の西分
(にしぶん)駅近くまで進むと、高架下に男女別の無料宿泊所があり、そばにこの
休み場所が設けられています。4年前にはなかったものでした。


 西分駅から1.5㎞ほどで芸西村の西端付近まで進むと、新しい老人福祉施設「ウェ
ルプラザ洋寿荘」が出来てて、その道路側の一角に「遍路休憩所」も。

 ここには、ティサーバーも置かれていて、利用者が作ったお接待用の貝のアクセ
サリーもあったので一ついただきした。  (続く)
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四国遍路道にある休憩所②

2010-09-08 21:35:45 | 四国遍路あれこれ
 台風9号の影響で、わが所沢市も明け方から3週間ぶりの雨となり、たっぷりした
おしめりとなりました。気温も日中は25度まで上がらず、久しぶりの暑さから解放
されホッとした1日ですが、また明後日辺りから暑さがぶり返してくるのでしょうか…。

==================================

 20番鶴林寺(かくりんじ)から急坂を下り、那賀川の水井橋を渡って標高520m
にある21番太龍寺を目指します。若杉谷川沿いの遍路道の途中、若杉谷遺跡の
説明板のそばにある「四国のみち」の古い東屋(あずまや)。


 21番太龍寺から東へ下り、22番平等寺への道、県道28号を離れて大根峠へ向
かう阿瀬比交差点のそばに設けられたヘンロ小屋2号阿瀬比。


 22番平等寺を過ぎ、県道284号から国道55号へ。番外霊場弥谷観音への
入口近くの国道際には、ヘンロ小屋3号鉦打(かねうち)が。

 この先1㎞ほどで、23番平等寺への遍路道は、国道55号経由と、海沿いの県
道25号経由の2つに分かれます。今回は、県道25号へ回りました。

 県道25号を阿南市から美波町(旧由岐町)に入り、JR牟岐(むぎ)線が近くな
ったあたりに、由岐坂(ゆきさか)休憩所が出来ていました。美波町で造ったよう
で、この先にも前回無かった新しい休憩所が3つあります。 


 JR田井ノ浜駅の先、田井ノ浜を見下ろす景勝地に設けられた休憩所。道路の左
が田井ノ浜海岸です。


 次の家並みが続く木岐(きき)の漁港沿いに回って、白浜の近くにある休憩所。

 そばにトイレもあり、上に上がって港を眺めながら休憩できます。

 一時県道を離れて、海沿いに広葉樹林の中を回り、再び県道の高見に出ると、間
もなく山座峠。かわいらしいこの山座峠休憩所の左手から、林間の遍路道を恵比寿
浜に向かって下ります。


 下った恵比寿浜に設けられた恵比寿浜休憩所。


 恵比寿浜を経て、岩山が荒波に侵食された奇観、恵比寿洞を過ぎると、波切不動
尊が祭られた恋人岬。東屋があり、岩に砕ける荒波などが見下ろせます。


 23番薬王寺の次は、室戸岬の24番最御崎寺(ほつみさきじ)まで約75㎞の長丁
場となります。別格4番鯖大師を過ぎて、JR牟岐線浅川駅と阿波海南駅の間、国道
55号にあった休憩所。横に水飲み場も設けられています。


 JR阿波海南駅の手前、国道55号に面したヘンロ小屋1号香峰。平成13年
(2001)に出来た最初のヘンロ小屋で、奥にトイレもあり、私が立ち寄ったヘンロ
小屋の中で、設備も1番整っていると思われますが、今回はなぜか、入口に鍵が
かかって入れませんでした(2月27日(土))。

 そこで、手前にあったベンチ(ザックのあるところ)を借りて昼食をしました。

 この建物の施主・野村カオリさんのことを記した説明板。


 JR牟岐線の終点で、接続する阿佐海岸鉄道阿佐東線の始発駅、海部(かいふ)
の駅前にあった海部駅前休憩所。


 海部駅前から600mくらい先、緩やかな坂を上がったところに完成したばかりの
ヘンロ小屋39号NASAがありましたが、まだオープン前で綱が張られていました。

 この小屋は、3月6日(土)に落成式があり、現在は利用できます。

 今回、ヘンロ小屋を幾つか紹介しましたが、このヘンロ小屋造りを支援する『「四国
八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会』のウェブサイトは、以下をご覧下
さい。 → 四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会   

 ヘンロ小屋39号NASAの先から、国道55号を那佐湾と呼ぶ広い川のような感じ
の湾を2㎞ほど進み、その先の那佐の家並みの一角にあった森永乳業の特約店「か
いつミルク」の店の一角が、遍路休憩所になっています。


 かいつミルクの店の内部。不在でしたが無人販売の牛乳を購入し、のどをうるおし
ました。


 徳島県最後の町、海陽町(旧宍喰町(ししくいちょう))の、宍喰川の橋の手前にある
ヘンロ小屋6号宍喰。

 室戸岬に向かうには、国道55号の左側(海側)を歩くので、反対側にあるこの
ヘンロ小屋は、いつも寄らずに通過しています。 (続く)
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四国遍路道にある休憩所①

2010-09-07 21:27:23 | 四国遍路あれこれ
 9月に入っても、首都圏の残暑は衰えそうにありません。日中は外に出る気になら
ず、2か月近くウオーキングもご無沙汰状態で、夕方、近くを一巡りするだけです。

 そんなわけで近日の話題が乏しいので、また2~3月に歩いた3度目の四国遍路
で撮った写真の中から、幾つかの切り口で紹介することとします。

 今日からは、遍路道にあった休憩所です。、前2回分については、2007年5月
18日~6月25日に「四国遍路道の休憩所」として5回紹介しており、重複するとこ
ろもありますが、改めて1番霊山寺からの順路に従い、ご覧いただきましょう。

====================================

 遍路初日の正午近く、4番札所大日寺の参拝を終えて、徳島自動車道近くまで戻
った車道際にある休憩所。ここで昼食をしたのですが、この日(2月18日)は、風花
(かざはな)も舞う寒い日で、冷たい風にさらされながらの食事でした。


 10番切幡寺(きりはたじ)から11番藤井寺に向かう途中で、吉野川の2つの冠水
橋を渡ります。2つめの冠水橋を渡り終えて上がった、右岸堤防そばの休憩所。

 ここからは、冠水橋を渡るお遍路さんや車が見下ろせます。

 11番藤井寺から12番焼山寺(しょうざんじ)への山道は、「遍路転がし」と呼ぶ
最初の険路、途中にある番外霊場柳水庵(りゅうすいあん)の50mほど先にある
休憩所。そばに冷水が流れ出ていて、野宿の遍路さんの宿泊も可能です。


 12番焼山寺から3㎞ほど下った鍋岩の中心地にある「おへんろ駅」と呼ぶ休憩所、
バスの終点でもあり、バス乗客の待合所でもあります。


 「おへんろ駅」と道路を挟んで、このうどん店と隣のスダチ館に無料休息所が設け
られていました。

 私は、うどん店の方に声をかけられたので入り、カボスや菓子などのお接待を
いただきました。


 鍋岩から玉ヶ峠に上がり、この日の宿、本名(ほんみょう)にある植村旅館に向か
って、車の少な車道を下って行きます。

 途中の集落、宮分(みやぶん)に、昨年(2009)9月に完成したというヘンロ小屋
36号神山です。


 ちなみに、「ヘンロ小屋」○○号と呼ぶのは、近畿大学の歌 一洋教授が中心に
なって、四国遍路道に全部で88のヘンロ小屋を建てようと進められている一連の
建物で、地元の方や企業などの協力により建てられ、号数は完成順の番号です。

 このヘンロ小屋については、へんろ道保存協力会発行「四国遍路ひとり歩き同行
二人」【地図編】と呼ぶ(以下、「遍路地図」という)、歩き遍路さんに必携の地図上
にも、緑色の小屋マークと号数が記されています。

 植村旅館から、鮎喰川(あくいがわ)左岸沿いの県道20号を下流に向かうと、高
瀬バス停のそばにあるのが、この高瀬公衆便所と休憩所です。

 遍路地図の最新版(9版)の16頁、WCマークのところです。

 徳島市内に入り、15番国分寺から16番観音寺への道、国道192号の信号の
近くにある無料休憩所。隣は、「いのちのふるさと直営」というさぬきうどん店です。


 無料休憩所の内部。宿泊も出来そう。


 徳島市街の中心、眉山(びざん)ロープウェイ乗り場近くにあるヘンロ小屋12号
眉山。屋根は、阿波踊りの菅笠をかたどったもの。


 徳島市街を貫く国道55号を南へ、小松島市内に入り勝浦川を渡ります。すぐ先
で県道16号と交差すると間もなく、新しい露ヶ本遍路休憩所がありました。


 19番立江寺(たつえじ)から20番鶴林寺(かくりんじ)へ向かう道筋で、番外霊
場星の岩屋に回るルートがあります。

 勝浦川沿いに出て間もなく、遍路ルートの表示はありませんが、あおき食堂の手
前の橋を渡った勝浦川左岸に設けられたトイレのある休憩所。

 星の岩屋に回るのなら、勝浦川左岸に早く渡った方が、県道16号より車が少な
い車道を進めます。

 星の岩屋に回り、さらに勝浦川左岸沿いの県道212号を進み、別格3番の慈眼
寺(じげんじ)を目指して、勝浦川の支流、坂本川左岸沿いの車道に入ります。

 坂本川沿いに入って1㎞足らず、横瀬西バス停の待合所ですが、休憩所としても
頃合いの場所で、そばにトイレもありました。


 標高500mにある20番鶴林寺(かくりんじ)の参拝を済ませ、急坂を下って
那賀川左岸に沿った県道19号に出ます。水井橋の手前にある休憩所。

 ガッチリした造りで、前回にはお接待用のミカンをいただきました。 (続く)

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英国・コッツウォルド ウェイとその周辺⑨

2010-09-05 10:38:47 | 英国のウオーキング
 2006年7月12日(水)は、チッピングカムデンを出て、オックスフォード経由で
ロンドンに戻るという行程です。

 例により、朝食前にチッピングカムデンの市内を散歩に回ります。


 古い民家の前庭。


 煙突が6つも見える建物。煙突の下には暖炉を設けた部屋があるのでしょうか。


 チッピングカムデンにも、かやぶき屋根の民家が残っている一角がありましたが、
これはその近くに新築のかやぶき民家。かやぶきの良さが見直されているようです。


 ここには、古井戸も残っていました。いつ頃掘ったものやら…。


 チッピングカムデンを後にして、バスで近くの町、モートン・イン・マーシュへ。


 モートン・イン・マーシュには、グレートウェスタン鉄道の駅があり、ロンドンから
コッツウォルズ地方への、アクセスポイントの一つになっているところです。


 チッピングカムデンと同様、中心街には、2~3階建ての古い建物がびっしりと並
んでいました。


 交差点の角にあるのは、銀行のようです。


 モートン・イン・マーシュから列車で30分余りのオックスフォードで、正午近くに
下車しました。 ここで3時間ほどのフリータイムに。
 
 私は、この旅のリーダー・山浦さんの勧めで、テムズ川沿いのフットパス、「テム
ズパス」を回ってみることにしました。

 ロンドンを流れるテムズ川はかなりの川幅ですが、上流のオックスフォードでは、
まださほど広くはありません。川には、バースでも見たナローボートが、たくさん行
き来しています。


 この先は、川の落差が大きいので、パナマ運河のような閘門(こうもん)になって
いて、閘門に入って落差を調製して、下流に下って行きます。


 時速4㎞前後という、のんびりしたナローボードでの旅も楽しそう。


 川幅が広くなった中の島の橋でテムズパスを離れ、オックスフォードの市街地に
入りました。

 オックスフォードは大学の町だけあり、あちこちに大学の建物が目につき、あわせ
て教会もたくさん見られました。

 この後、オックスフォードのバスセンターからのバスで1時間50分余りにて、ロン
ドンに入りました。
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英国・コッツウォルド ウェイとその周辺⑧

2010-09-04 11:09:45 | 英国のウオーキング
 コッツウォルド ウェイを南から北へ歩き終えた翌日、2006年7月11日(火)は、
フリータイムとなり、チッピングカムデン周辺を各自で回ることにしました。

 私の設定したルートは、チッピングカムデンの東から南へ、フットパスをつないで
時計回りに歩くというものです。

 朝食前の散歩で回った、ホテルの近くの教会。


 朝食を終え、1人でチッピングカムデンの町並みを北東に向かいました。


 町外れにあるこの町第1の教会、セントント・ジェームズ教会。15世紀の建築との
ことです。


 家並みが途切れ、麦畑を貫くフットパスに入ります↓。この細い道が、地図にも記さ
れた公認された歩く道(フットパス)なのです。


 傾斜は緩やかですが次第に高みに上がり、展望が広がってきました。


 最初のまとまった集落、Ebrington に入りました。戸数は70~80戸くらいの小集
落ですが、かやぶきの民家が10数戸見られ、思いがけずのところでした。



 いずれの家も、きれいな花やツタなどに彩られています。




 集落には教会もあり、家並みの中心にあったバス停のそばで昼食にしました。

 午後は、牛の牧場を通過しようとしたら、牛の群がこちらに押し寄せてきて、少し
こわい思いもして、回り道もしましたが、予定のコースに進み、ここからは、ソラマメ
畑の中を貫くフットパスに入ります。

 左の標柱が↑、フットパスであることを示しています。

 大麦畑が増え、広大な展望が広がります。


 チッピングカムデンに近い、Broad Campden の集落が見下ろせるところまで、戻っ
てきました。芝草に腰を下ろして、展望を楽しみながら、しばし休憩しました。


 Broad Campden 集落にも、かやぶきの民家が10棟以上見られました。


 この日は約17㎞のウオーキングを終え、17時過ぎ、チッピングカムデンのホテル
に戻りました。     (続く)
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英国・コッツウォルド ウェイとその周辺⑦

2010-09-02 22:24:31 | 英国のウオーキング
 2006年7月10日(月)は、コッツウォルド ウェイの最終コース、スタントンから
チッピングカムデンまでを歩きました。

 出発を前に、3泊したクリーブヒルのホテルの近くに、かやぶきの民家が残ってい
るというので、朝食前に回ってみました。これは、シンプルな建物。


 こちらは、やや大きなかやぶき2階建て。


 朝食を済ませ、クリーブヒルからスタントンまで、バスで向かいます。バスに向かう
途中から見下ろすクリーブヒル周辺の家並み。


 古い石造りの民家の多い、スタントンをスタートします。


 スタントンから、標高280mの稜線に出て、2時間ほどで途中の町、ブロードウェイ
に下りました。


 ブロードウェイは、ロンドンとウースターを結ぶ駅馬車の途中停車駅だったとか。
当時は旅館も多く、現在の町並みにも17~18世紀の旅館が残っていました。


 花に彩られた民家。


 町のあちこちに、石造りの古い建物が並んでいました。


 ブロードウェイの町並みから、稜線に向かって2㎞ほど上がります。


 ヤギの遊ぶ牧場の近くにあるのが、コッツウォルド ウェイの見どころの一つ、ブロ
ードウェイタワーです。

 1799年、夫人の要望により第6代コベントリー伯爵が建てたものとか。

 この辺りの標高は311m、コッツウォルド ウェイ第2の高地でもあります。

 高さ20mほどのタワーに上がると、はるか彼方までの遠望が…。


 コッツウォルド ウェイの最終コースは、羊の牧場内を通過して北に向かいます。




 森を抜けると、ゴールのチッピングカムデンの家並みが見えてきました。


 町並みに向かって下り、中心街にあるゴールの標石に到着し、2年がかり延べ7日
間で、162㎞のコッツウォルド ウェイの行程を無事完歩しました。

 この日、女性メンバーは別ルートで来たため、とりあえず男性メンバーのみで、ゴー
ルのバンザイを。

 牧場や牧草地、そして点々と続く林を抜け、始終すばらしい展望に恵まれ、緩やか
な傾斜の草道が続く歩きやすいコース、日本では味わえないコッツウォルド ウェイで
の7日間でした。      (続く)
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英国・コッツウォルド ウェイとその周辺⑥ 

2010-09-01 21:38:49 | 英国のウオーキング
 2006年7月9日(日)は、2度目のフリータイム。連泊のクリーブヒルのホテルから、
前日通過したウィンチコムを訪ねることにしました。

 ウィンチコムはクリーブヒルの東北、最短では5㎞ほどの古い街並みです。

 麦畑や牧場などのフットパスを抜けて行くと、ウィンチコムの教会が近づきました。 


 ウィンチコムの町並みに入る前に、手前にあるスードリー城を訪ねました。

 スードリー城は、英国国教会を設立したヘンリー8世の未亡人、キャサリーン・パー
が住まいとした城でしたが、19世紀前半までの約180年間、廃墟と化していたとか。


 現在は、バッキンガム侯爵によりリフォームされ、公開されています。


 城内には、16~18世紀に使われた家具、食器、絵画、装飾品などが展示されて
いました。 


 スードリー城から1㎞ほどで、ウィンチコムの町並みに入ります。


 町並みを見た後、町の北2㎞ほどのところを走る、保存鉄道のSL運行を見に行き
ました。

 1976年8月に廃線となった路線の一部、約16㎞4駅を復活したものです。ウィ
ンチコム駅に向かう東行きのSLがやってきました。


 跨線橋から見下ろしたウィンチコム駅。左がいま入ってきたSL。右手前が行き違い
に出発する反対方向のSL。


 そろそろ、3連泊目のクリーブヒルのホテルに戻ることにしました。標高243mの
牧場を抜けるフットパスに上がります。


 民家の傍らに、サクランボが色づいていました。


 いろいろな牛の寝そべる、牧場の上を通過します。


 次第に高度が上がり、ふり返る対斜面の展望。




 道ばたに咲く、グンナイフウロに似た花。


 点々と見えるのは、たくさんの羊の群です。


 朝通過した、ゴルフ場の近くまで戻ってきました。

 クリーブヒルのホテルまでは、間もなくです。       (続く)
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