2017年8月10日
今日は、午前中にお休みを頂き、かねてより計画の『エヴェアンゲリヲンと日本刀展』を観に、熊本県立美術館分館に行きました。
ところがなんとまあ、一番乗りをめざして勇んで出かけたのは良いけど、開館時間を9時からと勘違いして、30分も待つ羽目になりました!
まあ、お陰で一番乗りでした。
最初のお出迎えは、映像による『日本刀の製作工程』でした。
ネットでは何度も観る工程ですが、2回も観てしまいました。
好き者には堪らなく至福の映像です
砂鉄を集めて「たたら製鉄」という方法で砂鉄と炭から玉鋼を作るのですが、原材料の鋼を取り出すだけでも大変なエネルギーと技術、労力の要る工程です。
子どもの頃、磁石で砂鉄集めをしていましたが、子ども心なりに『鉄は錆びてボロボロになるのに、何故、砂鉄は錆びて無くならないの?』という疑問を持っていました。
これが解決したのは、つい8年位前の鍛冶屋通いでした。
どうでもいい話でしょうが
理由は、原料が磁鉄鉱もありますが、錆びて錆びてもう錆びない状態の、四酸化三鉄(Fe3O4)に成っているからでした。
ちなみに、鉄の赤さびは、酸化鉄Ⅲ(Fe2O3)です。
ここから先は、説明は出来るだけ、写真に任せますが、興味のない人には面白くないでしょうから退室OKです。
大変コーナーでは、日本刀の重さ体験が出来ました
2尺半(75cm)くらいで、約1kgでした。
4kgの玉鋼から1kgの刀身が出来ると書いてあります。
鍛造の工程で、それだけ不純物が取り除かれ、またロスも多いという事です。
時代の古い平安時代の刀は、切っ先に向かって細くなります。
騎馬戦する兵は、長い刀が有利で、歩兵で走り回るには、切っ先が細まり軽いのが有利になります。
刀の時代で、デザインの変更の大きな切っ掛けとなった事件は、【蒙古襲来】元寇(げんこう:文永の役&弘安の役)です。
初めて見る蒙古兵の投石機、爆弾や手榴弾、毒矢の弓には惨敗で、日本刀の出番も、蒙古軍が持つ、重厚で身幅が厚く、広い刀(直刀・サーベル) の斬り合いの接近戦では苦労した様です。
その後、サーベルを振り回すのに対抗できるのは、切っ先まで身幅の広い刀という需要が高まりました。
実家に近い、菊池市稗方(ヒエガタ)が発祥のようで、資料館に行くと、菊池氏一族の刀が『同田貫:どうだぬき』と書いてあります。
古い絵馬や武士の絵を見ると、時代により、帯刀(刀を腰にさした姿)で、刃が上向きか、下向きかの違いがあることに気付きます。
室町時代後期から、刃を上向きに帯刀する様になります。
馬に騎乗する騎馬武者の場合は、湾曲した鞘尻が馬の横腹に触れると、嫌がるため、あえて刃を下に向けて差し、鞘尻が上を向くように配慮しました。
歩兵の場合、鞘に収める時に、刃が下を向いていると鞘の下の内側に擦れる。
とか、とっさに抜いて最初に斬りかかるとき、上から切り掛かる方が動きやすい。
つまり刃が上向きの方が、抜き打ちのし易いとかの様です。
僕の好きな刀のデザインは、南北朝時代から安土桃山時代(織田信長の頃)です。
刀身が幅広で厚く、反りがあり、切っ先の長い姿には、痺れます
基本的に戦のない平和な江戸時代には、実戦用というより、刀身や鞘(さや)に彫刻を施したりする芸術観賞品も出てきます。
これは、幕府軍や新撰組等の実戦兵の刀のようです。
ここからは、好きな人は解説を読んでください。
隣接するコーナーに、エヴァンゲリオンの展示が続きますが、観たのは刀コーナーが中心でした。
この企画に賛同した、現代の刀匠たちが、真面目にエヴァンゲリヲンの為に製作した日本刀です。
立派に作られていましたが、刃紋は殆ど付けてありませんでした
良く分からない、日本刀の使い方です
最後に感動したのが、ロンギヌスの槍
この製作過程の映像が放映されていましたが、真っ赤に焼いたモノを捻って一つにねじ込む技術に感動しました
さらに、日本刀に興味のある方は、こちらのサイトが一番分かりやすいと、お勧めします。
日本刀の作り方
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