2017年8月23日
ずっと行きたいと思っていたラスコー展が、9月3日まで
土日を避けて、行ける日はいつ
手帳を見ると、休みをとってでも、今月23日しかないと、計画的に休みました。
我が家から高速道路で、110km、約2時間で、九州国立博物館に到着しました。 (今回で、3度目)
土日を避けましたが、それでもたくさんの入場者でした。
さて、ラスコー洞窟がどの辺にあるのかの前知識です。
フランスの、地図のこの辺りです。
モンティニャック村の少年が、穴に落ちた飼い犬を友達3人と救出した時に、偶然発見したと説明がありました。
本当は、そんなパネルも撮影してここに貼り付けたかったけど、撮影場所は限られていましたので、記憶のまま、代わって解説します。
メインのレプリカ洞窟に行く前に、いくつもの小さな洞窟レプリカで、地下に長く伸びる洞窟の枝分かれの配置とか、そこに描かれている壁画、使った絵の具、照明用のランプの紹介がありました。
ちなみに絵具は、赤土・木炭を獣の脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色を作っていたそうです。
それを、くぼんだ石のパレット等に入れ、指先や、苔コケや、動物の毛、木の枝を絵筆にして描いたと考えられるそうです。
いよいよ、実物大のレプリカ洞窟に移りました。
ここからは、ストロボ無しでの撮影可能でした。
発見当時は、極彩色のリアルで綺麗な色が残っていたそうですが、良く見ないと分かりにくい程脱色・欠落しています。
発見当時は、制限なく大勢の観客を洞窟内に受け入れていたため、観客の吐く二酸化炭素や、エアコン(除湿)の導入が拍車をかけて、壁画が急速に劣化したそうです。
1963年からは、洞窟は閉鎖され、現在も壁画修復が進められているとのこと
レプリカは、最新技術の細密レーザー読み取り機で、洞窟の岩の凸凹も、ミリ以下の単位で壁画も読み取られて、再現してありました。
(その機械がスキャナーする体験コーナーもありました。)
レプリカですが、それでも20,000年前に描かれたとは思えない、遠近法や訴えたいところをデフォルメするなど芸術的なセンスを感じました。
しかも、見上げる切り立った洞窟の壁で、ハシゴをかけたり、足場を作らないと届かない高さもあります
懐中電灯や明るい照明も無い時代に、動物の脂に芯を付けて、それに火を灯した暗い明るさで、良く描けたものだと感心します。
これらを描いたクロマニョン人も、きっと『ああ~!首の痛ちゃ!腕が重み~!しもた!絵具こぼした!』と言いながら描いたに違いありません。
これは、 『泳ぐ鹿』 です。
複数の鹿が、川を横断しているのか、1頭の鹿を連続的にパラパラ漫画的に描いたのか分かりませんが、なるほど首から上を出して泳いでいる姿に見えます。
『黒い牡牛・馬の列』ですが、頭部を小さく、体は大きく描くのが特徴との事です。
狩猟生活の肉食ですから、デフォルメするということは、察するに豊満な獲物への願望だと思います。
牛の共進会で優勝しそうな牡牛の肉体美です。
描いた目的は、分からないとありますが、現代人がそう思うのですから、豊かな食生活の祈願奉納絵馬と思います。
洞窟の側面と天井面にも至る所に描いてあります。
これは、馬の様です。
壁画を観ていると、定時間間隔で照明が暗く落とされ、代わって輪郭を紫外線ライトで浮かび上がらせる工夫がされていました
絵によっては、輪郭を石や骨でひっかいて溝の輪郭を描いているものもありました。
動物の絵の幾つかには、直線的なひっかきキズがありましたが、キズに見えていたのは、実は弓矢や槍が刺さっている絵である事がハッキリします。
良く見ると 鏃(ヤジリ)のトンガリがあるんです
(流血かもしれません)
やはり、狩猟成功祈願の絵馬に違いありません。
『毛サイ』です。輪郭線が太く、それがサイの体型と毛の感覚を捉えているように見えます
ここにも、弓矢(槍?)が刺さっています。
『背中合わせのバイソン』です。
アメリカバイソンは現存していますが、それより大きく見えます。
偶蹄類の蹄の割れ目もリアルに描いてあります。
本当に、動いているような躍動感のある描き方です。
しかも、雄牛と分かるように、腹の下のペニスをちゃんと描いてあります。
『腸のはみ出したバイソン・謎の鳥人間』です。
腹部に2本・輪の腸が飛び出しています。角先には人間が伸びており、角で刺されて負傷した場面と言われています。
狩猟は命がけの仕事だった訳で、事故死した仲間の弔いかもしれません。
左下には、鳥の杖見たいなものが描いてあり、 投槍器(トウソウキ) ではとも考えられています。
実際の壁画には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・カモシカ・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形など、合計500点もあるそうです。
壁画コーナーを抜けると、描かれている動物の、再現写真パネルと、発掘された骨が展示されていました。
人間よりも大きい、当時の動物たちと一緒に生活して、狩猟生活の厳しさの実感が湧きます。
【オオツノシカの頭骨】
【ケサイの頭骨】
【マンモスの牙】お触り自由でした!
【ケナガマンモスの下顎】
さて、主役の『クロマニョン人』ですが、命名は南フランスのクロマニョンの岩陰遺跡から発掘されたので、地名人です。
3万5000~1万年前に生きていた、いわゆる化石現生人類で、現代人のホモサピエンスとほとんど変わりません。
ただ、頭が大きく身長は180cmとやや高く、男性なら、シュワちゃん。女性ならアンジェリーナ・ジョリーと、勝手にイメージしています。
芸術性、生活文化的には、現代人の器用さをすでに持っており、物にあふれて何の工夫も要らない現代人よりも、生きるために自分で工夫する生活のために、右脳とかは発達していたのではと思っています。
この人体復元は、発掘された骨格に、科学的(法医学的)な手法により肉付け復元したもので、実際にこのような表情、体格と言えると思います。
クロマニョン人の生活関係展示では、石器の作り方、裁縫用の縫い針の作り方、照明用のランプの作り方等のDVD映像が流されていました。
裁縫や編み物の根拠も残っており、パプアニューギニアやアマゾン奥地の原住民よりも、イヌイット(エスキモー)族の暮らしと、ほとんど変わらない印象でした。
上の写真下の、細長く白いのが、骨で作った縫い針です。
この事から、既に服をまとっていたと想像出来ます。
実は、最終氷河期であるウルム氷河期が始まったのが、約10万年までからとされており、クロマニョン人や、ホモサピエンスが生き残れたのは、縫い針を発明し、服(毛皮)をまとい、防寒できたからとも言われています。
今回の展示は、20,000年前にクロマニョン人が見た世界~
とありますが、今回のラスコー壁画を描いたクロマニョン人の数世代が、縫い針を発明した訳ではなく、実はその50,000年前から服をまとっていた~
パンツを履いたサルは、「約7万年前から」という研究があります
その研究が面白いので、紹介します。
人間だけに住みつく アタマジラミ と コロモジラミ のミトコンドリアのDNA解析から、アタマジラミ から コロモジラミが分化したのが、7万2000年前だと分かったのです
衣服を着る人間の環境がなくては、コロモジラミは生まれないことから、人間が衣服を着始めたのは、7万2000年より少し前という結論を出しています。
だから、先祖代々50,000年前から、縫い針の製造方法・裁縫の仕方を受け継いだ彼らと言えます。
2時間あまりをかけて、じっくりと鑑賞が出来ました。
クロマニョン人を、敢えて現代人との優劣比較をすべきでないと思いました。
彼らが生き延びたから、現代人:ホモサピエンスは生き残っているのも事実。
彼らはすでに家族を持ち、おそらく今の絆より深い絆で暮らしていたのですから、どちらが幸せな生活を送っていたかを考えると、彼らかもしれない
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