昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

冬温し

2017-12-22 00:04:37 | 俳句

もうすぐクリスマスである。
この、もう百年をも経て日本に定着した行事は、すっかり日本の風物詩となっている。
日本の伝統の年の瀬の情緒と相俟って、一層、感興の高いものにしている。
しかし、もとより『クリスマス』とはキリスト教の習わしなのであり、この辺の日本人の知識のいい加減さは今に始まったことではない。
まあ、神父と牧師の区別がつかないのは極端な例としても、それなりの地位の人が公の場で、堂々と誤謬を述べている。
12月19日付の日経新聞に橋爪大三郎なる社会学者が『クリスマスはイエスの誕生日?』と題して一面コラムを書いている。
一般的な日本人と比べると、『クリスマス』に関する認識はさすがに深いのだが、それでも突っ込みどころ満載である。
曰く「日本では、ハロウィーンが終わるとすぐクリスマス商戦に突入。奇妙な感じだ」。欧米も同じである。十月の末にはクリスマスの飾りがなされ、クリスマス用の商品が売り出される。ハロウィーンとクリスマス商戦が混在するのは欧米も同じである。
キリスト教国だから、厳密にアドベント(待降節)を待って、クリスマスシーズンが始まるだろうと思ったら大間違いである。
曰く「クリスマスは「キリスト教的」でないから、祝わないプロテスタント教会も多かった」。とんでもない。クリスマスがローマの土俗宗教、ミトラ教に端を発しているのはその通りだが、「祝わないプロテスタント教会」も「キリスト教的」でないから、祝わないのではない。それは【聖書的】でないから、祝わないのである。要はクリスマスは聖書に根拠がないから、一部の宗派は行事として祝わない。ちなみに、そうした宗派は「イースター」も祝わない。【聖書的】でないからである。
ちなみに、聖書を唯一の聖典として、それに忠実に基づくキリスト教の保守的な宗派でもクリスマスを祝うところはたくさんある。
曰く「クリスマスツリーは古いヨーロッパの俗信で、異教的」・・・・ツリーがドイツの土俗的習慣に端を発しているのはその通りだが、ツリーの根源は、ドイツ出身のヴィクトリア女王の夫君、アルバート公が自分の生地の習わしをイギリス王室に持ち込んだのが、世界的に広まったものである。
もとよりキリスト教信仰とはなんの関りもないので、俗信も何もない。
まあ、自ら社会の木鐸を持って任ずるマスコミもこの程度である。
月曜日に伯父が亡くなった。
葬祭場も斎場も暮のスケジュールが詰まっていて、変則的な告別式の日時なので、かーたんと火曜日にお弔いに行ってきた。
家法が浄土真宗ということで、線香を二つに追って横に置く、慣れない焼香の仕方を教わったが、クリスチャンのうちら夫婦もそれに従った。
三茶から、行ったので、『きゃんどるで昼食を摂っていった。いつものように美味美味・・・・先にお浄めをした格好である。
年は暮れていく。

冬温しガラス戸越しに背戸の祠   素閑

茶碗の底珈琲残り冬温し   素閑

校舎より望める干し物冬温し   素閑

冬温し日傾き冷えが来る頃や   素閑

北向きの部屋になきがら冬温し   素閑

丹沢の光たのしみ冬温し   素閑

膝さすり冬温きころあらまほし   素閑




 


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2017-12-21 00:02:51 | 俳句

10年ほど前、ウィーンに行って、オペラを嫌というほど観てきた。
その時に限らず、ウィーンに行くと、オペラを嫌というほど観てくるのだが、この時は集中的に観た。
シュターツ・オパーで『運命の力』を振り終えたズービン・メータとザッハーのレストランで出くわし、言葉を交わした懐かしい想い出もある。
来年の一月に新国立劇場で『こうもり』の公演がある。
どうも、どこかの歌劇場の引っ越し公演ではなく、そこそこウィーンに所縁のある歌手を集めた、"なんちゃって"公演のようだ。
それでもS席は26,800円!
ウィーンでは『こうもり』は7回観た。
2002年に行ったときは、かーたんとシュターツ・オパーで観た。
これは感激だった。
もう、海外に行くにも、オペラのいい席で観劇するのも、体力と財力が残っていない。
家で、DVDで鑑賞するのみである。

鷹揚な男と思ふ鮃割き   素閑

一途にて求むるも失せひらめなり   素閑

一幅の軸を背にしてひらめ食ふ   素閑

親爺とぞなりて鮃の睨むなよ   素閑

揚々と釣れるひらめを誇りたり   素閑

おろされてなおひらめの身白きかな   素閑

平目魚昭和元禄といふ世あり   素閑



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十二月

2017-12-20 07:42:39 | 俳句

 いつもながらの歳の暮である。
クリスマス(教会の)の準備で大童(かーたんは特に)
正月の準備まで手が回らない。
身の回りのことは後回しである。
従って、賀状もまだ書いていない。
こんな状態でも別に狼狽することなく開き直っている。
閑居はしているが、老いてなお俗から抜けきらない。

十二月街の人居ぬ一隅や   素閑

十二月鐘楼の脇猫一たり   素閑

十二月浅間の遠く白き裾   素閑

十二月和尚も炬燵に熱き燗   素閑

空よりも高きものなし十二月   素閑

一群れの男注連売る十二月   素閑




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酢海鼠

2017-12-19 00:16:39 | 俳句

雑然とした部屋にいる。
基本、事務室で仕事部屋なのだが、自宅の一部屋なので、自然と生活空間と混然となる。
そうすると、もう収拾がつかない。
置き場所のない書類や生活用品が、押し寄せてくる。
仕方がないと諦めている。
本当は、諦めないで、整理整頓に努めるべきなのだが、オカブはこれが一番苦手である。
そこで、今年の暮れも来年の正月もガラクタに埋もれて過ごすことになりそうだ。

酢海鼠や妻子と猫にて暮らし居り   素閑

子はとぼけ酢海鼠笑い妻涙   素閑

酢海鼠や海底に届く星の影   素閑

早々に酢海鼠喰ひて店出でぬ   素閑

酢海鼠を出して主人の利いた風   素閑

酢海鼠の騒ぎの果ての月のしじま   素閑


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冬の川

2017-12-18 00:31:29 | 俳句

約、10年前にパリに行った。
それ以来、行っていない。
仕事を兼ねた旅行だったが、とても楽しかった。
別に観光地を巡ったわけでも、高級レストランに行ったわけでもないが、昔ながらのパリの街に心惹かれた。
ところが、それ以来、パリも変貌が激しいと聞く。
パリは第二共和制時にオスマン男爵が、緻密な都市計画の下、大改造をして、今の形になった。
これが、いわゆる、我々日本人がパリ情緒を感じる、パリの姿だ。
ユトリロや荻須高徳の画にある、あの街並みである。
カフェがあり、アパルトマンがあり、公園があり・・・・それは変わっていないだろうが、新しい建造物がどんどん建っているという。
パリの中心街の建物は高さの規制があって、5階と決まっている。
しかし、その規制も次第に緩和されていると聞く。
ルーヴル美術館のガラスのピラミッドも、計画を立てた段階で、パリっ子から大反対を受けた。
それを言うなら、エッフェル塔だって建てる時は総スカンだった。
しかし、それらは既にパリの姿として馴染んでいる。
物事は何事も変遷する。
しかし、少し寂しいような気もする。

冬の川広大無辺の小身や   素閑

水底にこふべ映して冬の川   素閑

北駅へ石畳の道冬の川   素閑

別れたり一人の岸辺冬の川   素閑

船頭のあてなく漕げり冬の川   素閑

蕭条と鳥も避くるや冬の川   素閑


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ポインセチア

2017-12-17 00:43:52 | 俳句

暮も押し迫ってきた。
来週はクリスマスである。
教会のクリスマス・イヴ燭火礼拝でフルートを吹くことになっている。
練習はまだ全然していない。
どうしたものか?
為せば成る精神で行くか?
悩み尽きない暮である。

聖堂にポインセチアの艶めかし   素閑

空ごとのポインセチアの聖誕歌   素閑

空騒ぎポインセチアの酒場かな   素閑

儚くもポインセチアの赤匂ふ   素閑

ポインセチア組合の夜更けにけり   素閑

ポインセチア伊豆の山越え昔の日   素閑


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水鳥

2017-12-16 12:02:14 | 俳句

今日、土曜は、天気があれるという予報だったので、どこにも出かける予定を入れず、昼近くまで寝ていた。
そうしたら、どういうことだ?穏やかな冬晴れではないか。
何か非常に損をした気分になる。
この時間では、どこにも出かけられない。
今日は、お茶でも飲んで、ゆっくり過ごそう。
こういうのんびりした日もあってもいいのではと自分を慰める。
しかし、実は毎日がのんびりした日でもあるのだが・・・・・・

水鳥の啼きて水面の騒ぎけり   素閑

水鳥や今年も何も成せる無し   素閑

うつろなり定まるを知らず水鳥や   素閑

身を落とす事もありとて水鳥や   素閑

水鳥や飛びて寒さの凄まじき   素閑


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みかん

2017-12-15 00:59:45 | 俳句

今週の日曜日に世田谷公園に行った。
何をするでもない、ただ噴水のへりのベンチに腰掛けて、スーパーで買ってきた弁当を食って、時を過ごしただけである。
こんなひと時も、変化に乏しい日常を送っていると楽しい。
しかし、周囲から見ると、孤独な独居老人と見られたであろう。
丁度、フリーマーケットをやっていた。
周囲の華やかさに比べて、侘しさもひときわ目立ったと思う。
こんなことで、年の瀬を過ごしている。

妻ことに好けるみかんの荷を負いし   素閑

教場を出た教師らもみかん食い   素閑

山一つ芥川の色みかんとる   素閑

寄合に菓子と渋茶とみかんかな  素閑

冬嵐みかんで憩ふ炉のあたり   素閑

夜半過ぎて卓袱台置かるみかんかな   素閑




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義士会

2017-12-14 01:07:40 | 俳句

「朝礼」なるものを行う会社と、行わない会社とがある。
転職を重ねてきたオカブは、そのどちらでも働いた。
現役当時は、朝礼などという無駄なものは止めてしまえと思っていた。
朝礼の内容は、だいたい、昨日の数字の発表があり、部門長の訓示があり、各種連絡がある程度で、今日のITが発達したオフィスでは極めて実質に乏しいものである。
やらなくても済むことには違いない。
しかし、今では、一日の仕事の初めの区切りを付けるために朝礼を行う意味はあると思う。
職場も、人間の集団が作り出すものなので、合理を尽くしてもうまくいかないことがある。
だから、一見無駄に見える朝礼も、一方では、モラルの向上に役立っているともいえよう。

義士会に新聞の文字かすれ読む   素閑

義士会の大本堂を覆う空   素閑

義士会の闇で弾ける落花生   素閑

義士会や小路の奥に集いけり   素閑

義士会や壮士の論を承ひ   素閑

義士会や堀の艀の灯のながる   素閑


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顔見世

2017-12-13 00:52:18 | 俳句

師走も10日が過ぎ、すっかり年の瀬だ。
行事も立て込み、人々は慌ただしく、巷は華やかに彩る。
こうもしてまで、日本人は年末・年始をありがたがる。
不思議な習性だとは思うが、昔は、庶民は盆暮れしか休みを取って、家に帰り寛ぐことが許されなかった。
せめてもの命の洗濯の時期と、いやが応にも忙しいこの季節を、さらに忙しくする。
これも何かの業かもしれない。

顔見世や屋号呼ぶのも祝儀の気   素閑

顔見世や浮き立つ人の堀の上   素閑

電車告ぐ駅員独り顔見世や   素閑

苫の家に報せは届けり顔見世や   素閑

破れ障子歌舞伎正月見せにけり   素閑


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