この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

【アイアンマン2】、アイアンマンって結局、、、。

2010-06-12 22:33:54 | 新作映画
 ロバート・ダウニー・Jr主演、マーク・ファブロー監督、【アイアンマン2】、6/12、ワーナー・マイカル・シネマズ筑紫野にて鑑賞。2010年25本目。


 アイアンマンって結局アメリカそのものなんだと思う。
 どこら辺がっていうと傲慢なところとか、自己中心的なところとか、自らを正義と疑ってないところとかね。
 だから、アメリカ人がアイアンマンを好むのはよくわかる話だ。
 何しろ映画の中では、すいません、大量破壊兵器はありませんでした、みたいなオチはなく、正義の味方はどこまでも正義の味方なのだから。

 しかし、アメリカ人以外の人にとって【アイアンマン2】がお薦め出来るかどうか、正直疑問だ。
 映画の序盤、主人公トニー・スタークは公然と宣言する。
 (アイアンマンである)私が抑止力なのだ、と。
 しかしこのとき彼はとある事情によりいつ命が果てるとも知れない状況にあるのだ。
 よくよく考えると(考えなくても)彼の行動と発言は無茶苦茶である。
 が、同時にその無責任さは如何にもアメリカ(人)ともいえる。

 終盤近くになり、トニーは新元素を見つけなければいけない状況下に陥る。
 で、その元素を見つけるためのヒントが彼の父親が残した模型地図だったりするのだが、もしそれを意図して模型地図を作ったのだとすると彼の父親は科学者というより予言者だし、模型地図のデザインがたまたまヒントになったのだとすると、そんな偶然はありえんよな、とツッコミたくなる。

 一事が万事こんな感じで、物語があまりにテキトーに進んでいくので、お世辞にも脚本がよく出来ているとは言いがたい。
 アクション大作であるのだから脚本が不出来でも構わない、アクションに魅力があればいいじゃないかという意見もあるだろうが、本作で一番手に汗握るアクションはスカーレット・ヨハンソン扮するブラック・ウィドーが敵の兵器工場に乗り込み、警備員をばったばったとなぎ倒し、ぶちのめすシーンだったように思う。
 ぶちのめされる警備員の中には監督であるマーク・ファブロー本人がいたという。
 力の入れ具合が違うなと感じるのも道理である。
 自分が監督であってもスカーレット・ヨハンソンには華麗にぶちのめされたいなと思うし、彼女とは出来るだけ綿密な打ち合わせと親密なトレーニングをしていたことだろう。笑。

 かように、正直あまりお勧めしたいと思う作品ではないけれど、何も考えずに観る分にはそれなりに楽しめるかもしれない、、、とはいえ、ローディ役がテレンス・ハワードからドン・チーゲルにチェンジしていたのには何があったんだろう?と勘繰らずにはいられないけれど(最初こんなキャラいたっけ?とわかんなかった。二人は全然似てないし。)。

 お気に入り度は★★★☆、お薦め度は★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント
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