自分が映画男さんに映画レビューをお願いした映画とは、他でもない『マーターズ』です。
映画史上もっとも恐ろしいと言われる映画は間違いなく『悪魔のいけにえ』だと思いますが、その『悪魔のいけにえ』を平気で見る知人が、グロすぎて見れない、と投げ出した映画こそが『マーターズ』なのです(ですからホラー映画に耐性のない人は検索してもいけません)。
それぐらいヴィジュアルが凄まじいのですが、自分はヴィジュアルよりもむしろ脚本が非常によく出来ている点を評価しています(高くは評価していますが、好きかと聞かれたら好きではないです)。
しかし、ネットではこの『マーターズ』、賛否両論なんですよね。
まぁ否定する人がいてもいいんですよ。
ただ、否定するにしても、そのレビューが作品の本質を捉えていないものであったり、的外れなものであったりすると、高く評価している者としては何だかなぁと思ってしまうのです。
的外れなレビューには例えばこんなものがあります。
ある屋敷で一家が惨殺され、犯人であるリュシーという女性は自ら命を絶つのですが、その場にいた、リュシーの親友であるアンナが警察を呼ばないのはおかしい(もしくは屋敷で監禁されていた女性をアンナが発見して救急車を呼ばないのはおかしい)という意見です。
自分は何もおかしいとは思いません。
なぜなら、目の前で人が死んで、電話があれば、誰だって“反射的に”「警察に電話しなければ!」と思うんじゃないでしょうか。アンナが警察に電話することをまったく思いつかなかった、とするのは無理があります。
ではなぜアンナは警察に電話しなかったのか?
理由は単純明白、警察を呼んだとしても自分が無実であると証明するすべがないということにアンナが気づいたから、でしょう(同じ理由で後に救急車を呼ばなかったことも説明できる)。
別におかしくも何ともないと思うのですが、否定派の人はそれをおかしいと指摘し、脚本の不備だと主張するのです。
否定派の人のレビューに個別に反論することは無理な話です。
また言いたいことがあれば、ブログを持っているのだから、自分のブログで言えばいいというだけの話なのですが、悲しいかな、拙ブログは知名度、発信力、影響力、すべてに低すぎて、『マーターズ』についてどう語ったとしても、ネットへの影響は皆無に等しく、実際一度ならず『マーターズ』についてはこのブログで論じてもいます。
『マーターズ』に対する的外れな否定派のレビューを目にするたびに何かもどかしい思いをしていた自分の前に現れたのが映画男さんだったのです。
自分の代わりに『マーターズ』に対する正当なレビューをしてもらおう、と思いました。それが出来る人だと思ったから。
レビューのリクエストをして10日ほど経ったある日、『ただ文句を言いたくて』を覗いたら、『マーターズ』のレビュー記事がアップされていました。
ドキドキしながら読んでいったのですが、監禁されていた女性を見つけたアンナが救急車を呼ばないのはおかしい、というようなことが書かれていました。
その一文を見つけ、自分はガッカリしたのですが、目標を切り替えることにしました。
当初の目標は映画男さんに『マーターズ』という映画の正当なレビューを書いてもらうことでしたが、それが叶わなかったときは映画男さんと『マーターズ』という映画がどのような映画なのか、議論をしようと思ったのです。
自分は映画について誰かと語り合うことが嫌いではありません。むしろ好きです。
ただそれは誰とでも、ってわけではありません。
自分も別に相手と罵り合いがしたいわけではないですから。
そのためには議論をする相手は信頼できる人でないといけません。
自分は件のレビュー記事に、記事作成の労をねぎらい、『マーターズ』に対する自分なりの考えを少し述べ、最後にアンナが救急車を呼ばなかったことは理にかなった行動だということをコメントしました。
当然反論があるものとばかり思ってました。
自らが書いたレビューに自信があるなら、それに異を唱えられて、反論しないはずがないですから。
しかし、、、映画男さんからの反論は特にありませんでした。軽く交わされてしまった感じです。
代わりにってわけではないですが、常連さんと思しき方から、自分からリクエストをしておきながら、何をダメ出ししてるんだ、というような一言をもらいました。
リクエストに応えてくれたのは嬉しいけれど、それとレビューを全面的に受け入れるかどうかということはまったく別のことだと思うけどなぁ。
そういったわけで、二番目の目標も潰えました。
まぁが悪いというわけではないのですが、今回の件で何となく気落ちしてしまいました。
思っていたように物事が上手く運ばないことはよくあることなんですけどね…。
映画史上もっとも恐ろしいと言われる映画は間違いなく『悪魔のいけにえ』だと思いますが、その『悪魔のいけにえ』を平気で見る知人が、グロすぎて見れない、と投げ出した映画こそが『マーターズ』なのです(ですからホラー映画に耐性のない人は検索してもいけません)。
それぐらいヴィジュアルが凄まじいのですが、自分はヴィジュアルよりもむしろ脚本が非常によく出来ている点を評価しています(高くは評価していますが、好きかと聞かれたら好きではないです)。
しかし、ネットではこの『マーターズ』、賛否両論なんですよね。
まぁ否定する人がいてもいいんですよ。
ただ、否定するにしても、そのレビューが作品の本質を捉えていないものであったり、的外れなものであったりすると、高く評価している者としては何だかなぁと思ってしまうのです。
的外れなレビューには例えばこんなものがあります。
ある屋敷で一家が惨殺され、犯人であるリュシーという女性は自ら命を絶つのですが、その場にいた、リュシーの親友であるアンナが警察を呼ばないのはおかしい(もしくは屋敷で監禁されていた女性をアンナが発見して救急車を呼ばないのはおかしい)という意見です。
自分は何もおかしいとは思いません。
なぜなら、目の前で人が死んで、電話があれば、誰だって“反射的に”「警察に電話しなければ!」と思うんじゃないでしょうか。アンナが警察に電話することをまったく思いつかなかった、とするのは無理があります。
ではなぜアンナは警察に電話しなかったのか?
理由は単純明白、警察を呼んだとしても自分が無実であると証明するすべがないということにアンナが気づいたから、でしょう(同じ理由で後に救急車を呼ばなかったことも説明できる)。
別におかしくも何ともないと思うのですが、否定派の人はそれをおかしいと指摘し、脚本の不備だと主張するのです。
否定派の人のレビューに個別に反論することは無理な話です。
また言いたいことがあれば、ブログを持っているのだから、自分のブログで言えばいいというだけの話なのですが、悲しいかな、拙ブログは知名度、発信力、影響力、すべてに低すぎて、『マーターズ』についてどう語ったとしても、ネットへの影響は皆無に等しく、実際一度ならず『マーターズ』についてはこのブログで論じてもいます。
『マーターズ』に対する的外れな否定派のレビューを目にするたびに何かもどかしい思いをしていた自分の前に現れたのが映画男さんだったのです。
自分の代わりに『マーターズ』に対する正当なレビューをしてもらおう、と思いました。それが出来る人だと思ったから。
レビューのリクエストをして10日ほど経ったある日、『ただ文句を言いたくて』を覗いたら、『マーターズ』のレビュー記事がアップされていました。
ドキドキしながら読んでいったのですが、監禁されていた女性を見つけたアンナが救急車を呼ばないのはおかしい、というようなことが書かれていました。
その一文を見つけ、自分はガッカリしたのですが、目標を切り替えることにしました。
当初の目標は映画男さんに『マーターズ』という映画の正当なレビューを書いてもらうことでしたが、それが叶わなかったときは映画男さんと『マーターズ』という映画がどのような映画なのか、議論をしようと思ったのです。
自分は映画について誰かと語り合うことが嫌いではありません。むしろ好きです。
ただそれは誰とでも、ってわけではありません。
自分も別に相手と罵り合いがしたいわけではないですから。
そのためには議論をする相手は信頼できる人でないといけません。
自分は件のレビュー記事に、記事作成の労をねぎらい、『マーターズ』に対する自分なりの考えを少し述べ、最後にアンナが救急車を呼ばなかったことは理にかなった行動だということをコメントしました。
当然反論があるものとばかり思ってました。
自らが書いたレビューに自信があるなら、それに異を唱えられて、反論しないはずがないですから。
しかし、、、映画男さんからの反論は特にありませんでした。軽く交わされてしまった感じです。
代わりにってわけではないですが、常連さんと思しき方から、自分からリクエストをしておきながら、何をダメ出ししてるんだ、というような一言をもらいました。
リクエストに応えてくれたのは嬉しいけれど、それとレビューを全面的に受け入れるかどうかということはまったく別のことだと思うけどなぁ。
そういったわけで、二番目の目標も潰えました。
まぁが悪いというわけではないのですが、今回の件で何となく気落ちしてしまいました。
思っていたように物事が上手く運ばないことはよくあることなんですけどね…。