昨日の記事の続き(のようなもの)です。
昨日の記事でサンタクロースは存在していないし、宇宙人は地球にやってきていないと書きました。
ついでなので幽霊についての考えを述べたいと思います。
幽霊は存在していないが見えるというのが自分の考えです。
存在していないのに見えるだなんて矛盾してるじゃないかと思われる方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
例えば、最愛の恋人を亡くした女性がいるとします。
彼女は恋人が亡くなったことを現実として受け入れられない。
どこかで彼は生きているんじゃないかと思っている。
彼が死んだなんて嘘だ。
彼は生きている、生きている、生きている…。
自分にそう言い聞かせていると、ふとした瞬間、彼女は生きている彼を見てしまうんですよね。
それは脳が見せた幻覚なのですが。
脳が見せる幻覚、それが幽霊の正体です。
だから存在していないけれど見えるんです。
最愛の恋人を亡くした人は必ず恋人の幽霊を見ると言っているのではありません。
どのような条件で幽霊を見るのか、トリガーは一人一人違います。
簡単に見てしまう人もいれば、まったく見ない人もいる。
一つ言えるのは、幽霊というものは人がイメージして作り出すものだということです。
女性の髪型って人それぞれですよね。
黒髪ロングの人もいれば、ショートボブの人もいる。
ポニーテールの人もいれば三つ編みの人もいる。
十人女性がいれば十人とも髪型が違うということも別に珍しいことではないと思います。
けれど女性の幽霊の髪型はというと(100%ではないかもしれませんが)ほぼ黒髪のロングです。
ショートボブやポニーテールの幽霊はあまり聞いたことがありません。
なぜショートボブやポニーテールの幽霊はいないのか?
理由は簡単です。
幽霊は人がイメージして作り出すものであり、ショートボブやポニーテールの幽霊はイメージ出来ないからです(もしくはイメージの共有が出来ない)。
幽霊は人がイメージして作り出すものだという自分の考えを述べました。
ただ勘違いして欲しくないのは幽霊が見えることが悪いことだと言っているわけではない、ということです。
むしろ問題があるとすれば、それは幽霊がまったく見えない人の方ですね。
幽霊が見えない人は幽霊が見えないのですから当然幽霊を恐れるということがありません。
幽霊を恐れないということは死者を恐れないということです。
死者を恐れないということは死者を敬わないということです。
死者を敬わないということは先祖を敬わないということです。
幽霊が見えない人はなぜお盆になるとお墓参りをしなければいけないのかがわかりません。
それ以前に人が死んだらなぜ葬式をしなければいけないのかもわからないのです。
それはやっぱりよくないことなんですよ。
先祖がいるからこそ今の自分が存在するのですから。
なので、幽霊が見えるせいで日常生活を送るのに支障をきたすというのでもない限り、幽霊は見えた方がよいのです。
自分も一度でいいから幽霊を見てみたいのですが、それはなかなか難しいです。
昨日の記事でサンタクロースは存在していないし、宇宙人は地球にやってきていないと書きました。
ついでなので幽霊についての考えを述べたいと思います。
幽霊は存在していないが見えるというのが自分の考えです。
存在していないのに見えるだなんて矛盾してるじゃないかと思われる方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
例えば、最愛の恋人を亡くした女性がいるとします。
彼女は恋人が亡くなったことを現実として受け入れられない。
どこかで彼は生きているんじゃないかと思っている。
彼が死んだなんて嘘だ。
彼は生きている、生きている、生きている…。
自分にそう言い聞かせていると、ふとした瞬間、彼女は生きている彼を見てしまうんですよね。
それは脳が見せた幻覚なのですが。
脳が見せる幻覚、それが幽霊の正体です。
だから存在していないけれど見えるんです。
最愛の恋人を亡くした人は必ず恋人の幽霊を見ると言っているのではありません。
どのような条件で幽霊を見るのか、トリガーは一人一人違います。
簡単に見てしまう人もいれば、まったく見ない人もいる。
一つ言えるのは、幽霊というものは人がイメージして作り出すものだということです。
女性の髪型って人それぞれですよね。
黒髪ロングの人もいれば、ショートボブの人もいる。
ポニーテールの人もいれば三つ編みの人もいる。
十人女性がいれば十人とも髪型が違うということも別に珍しいことではないと思います。
けれど女性の幽霊の髪型はというと(100%ではないかもしれませんが)ほぼ黒髪のロングです。
ショートボブやポニーテールの幽霊はあまり聞いたことがありません。
なぜショートボブやポニーテールの幽霊はいないのか?
理由は簡単です。
幽霊は人がイメージして作り出すものであり、ショートボブやポニーテールの幽霊はイメージ出来ないからです(もしくはイメージの共有が出来ない)。
幽霊は人がイメージして作り出すものだという自分の考えを述べました。
ただ勘違いして欲しくないのは幽霊が見えることが悪いことだと言っているわけではない、ということです。
むしろ問題があるとすれば、それは幽霊がまったく見えない人の方ですね。
幽霊が見えない人は幽霊が見えないのですから当然幽霊を恐れるということがありません。
幽霊を恐れないということは死者を恐れないということです。
死者を恐れないということは死者を敬わないということです。
死者を敬わないということは先祖を敬わないということです。
幽霊が見えない人はなぜお盆になるとお墓参りをしなければいけないのかがわかりません。
それ以前に人が死んだらなぜ葬式をしなければいけないのかもわからないのです。
それはやっぱりよくないことなんですよ。
先祖がいるからこそ今の自分が存在するのですから。
なので、幽霊が見えるせいで日常生活を送るのに支障をきたすというのでもない限り、幽霊は見えた方がよいのです。
自分も一度でいいから幽霊を見てみたいのですが、それはなかなか難しいです。
人が非業の死をとげた所に幽霊が出るといいますが、私の住まいおる神戸市東灘区は阪神大震災で多くの死者を出し、私の周辺は非業の死をした人ばかりです。それでもこのへんに幽霊が出たという話は聞きません。
以前、入院した時、「病院の怪談」を経験してやろうと、真夜中病院の廊下を歩きましたが、何も出てきません。夜勤の看護師さんに叱られただけです。
先祖を供養といいますが、どのへんまでが先祖でしょう。ピテカントロプスですか。カンブリア紀のピカイアも先祖ですか?もっとさかのぼってシアノバクテリア?さらには原初地球の有機物の混濁体も先祖でしょうか?判りませんね。
でも見えないからこそ見てみたいと思いませんか?
突き詰めて考えれば雫石さんの仰る通り、幽霊はいないし、同様にサンタもいない、宇宙人も地球にはやってきていないということになると思います。
ただ、突き詰めて考える必要のないときは突き詰めて考える必要がないのでは、と思ったりもします。
とはいえ、宗教が原因で戦争が起こったりもしますし、要はバランスが重要なのではないでしょうか。