放浪系で小生が好きな番組、「ちい散歩」、「ぶらり途中下車の旅」、そして、「ブラ・タモリ」。11月から、また、「ブラ・タモリシリーズ3」が始まる。今週から、シリーズ2の再放送が3週にわたって放映される。
今日は、新宿の水道。西新宿には、昔、淀橋浄水場があって、その跡に高層ビル群が林立している。まずは、玉川上水にスポットを当て、江戸の町の水道事情を紹介した。あの時代にあれだけの技術、感心した覚えがある。古地図と現在の地図を比べて、町を歩く。実に面白い。江戸時代、既に水路は地下に整備されていた。その遺構は、江戸東京博物館に行けば知ることができる。そして、東京の防災対策、特に、水の確保については万全の対策をしているようだ。ただ、東京の昼間人口、かなりの数となるので、まかないきれるか否か、わからない。
番組を観ながら思ったのだが、我がまち・いわきの平でも、江戸時代に素晴らしい土木技術で経済に潤いをもたらしていた。2つの江筋と海岸部の防潮林。防潮林は、今回の震災で防災に大きな役割を果たした。その効果を福島高専の先生が調査研究している。
そして、江筋。磐城平の城下町を流れる夏井川、その左岸と右岸に、江戸時代、それぞれ江筋が開削された。
左岸の小川江筋は、北部の海岸域まで流れている。途中、小さい川と交差するのだが、その技術は、川の下を掘ってサイフォンの原理を使って流れを確保している。今でもそれを観ることができる。取水場は、ちょうど川がカーブしているところ。以前調べたのだが、土木学会で、なにがしかの大学の先生がその技術レベルの高さを評価していた。
右岸の愛谷江筋は、小川江筋が完成後、何年か経って開削された。これは、平の街の中まで水が流れ、昭和6年当時の地図を見ると、水路が残っている。今、街中では見る影もないが、道路が微妙にカーブしているその下に江筋の水が流れている。それは、昔の地図のとおりである。この江筋、海岸部に行くと川を横切らなければならないのだが、それは、木製の樋を使っていたそうだ。その樋を修繕するための専門の大工もいたそうだ。
「ブラ・タモリ」、東京の街を散策する番組ではあるが、それを地元に重ねてみると、もしかして、新たな発見もあるかもしれない。もう少し、自分が住んでいる地域の歴史に感心を持たなければならない。
今日は、新宿の水道。西新宿には、昔、淀橋浄水場があって、その跡に高層ビル群が林立している。まずは、玉川上水にスポットを当て、江戸の町の水道事情を紹介した。あの時代にあれだけの技術、感心した覚えがある。古地図と現在の地図を比べて、町を歩く。実に面白い。江戸時代、既に水路は地下に整備されていた。その遺構は、江戸東京博物館に行けば知ることができる。そして、東京の防災対策、特に、水の確保については万全の対策をしているようだ。ただ、東京の昼間人口、かなりの数となるので、まかないきれるか否か、わからない。
番組を観ながら思ったのだが、我がまち・いわきの平でも、江戸時代に素晴らしい土木技術で経済に潤いをもたらしていた。2つの江筋と海岸部の防潮林。防潮林は、今回の震災で防災に大きな役割を果たした。その効果を福島高専の先生が調査研究している。
そして、江筋。磐城平の城下町を流れる夏井川、その左岸と右岸に、江戸時代、それぞれ江筋が開削された。
左岸の小川江筋は、北部の海岸域まで流れている。途中、小さい川と交差するのだが、その技術は、川の下を掘ってサイフォンの原理を使って流れを確保している。今でもそれを観ることができる。取水場は、ちょうど川がカーブしているところ。以前調べたのだが、土木学会で、なにがしかの大学の先生がその技術レベルの高さを評価していた。
右岸の愛谷江筋は、小川江筋が完成後、何年か経って開削された。これは、平の街の中まで水が流れ、昭和6年当時の地図を見ると、水路が残っている。今、街中では見る影もないが、道路が微妙にカーブしているその下に江筋の水が流れている。それは、昔の地図のとおりである。この江筋、海岸部に行くと川を横切らなければならないのだが、それは、木製の樋を使っていたそうだ。その樋を修繕するための専門の大工もいたそうだ。
「ブラ・タモリ」、東京の街を散策する番組ではあるが、それを地元に重ねてみると、もしかして、新たな発見もあるかもしれない。もう少し、自分が住んでいる地域の歴史に感心を持たなければならない。