今日は恒例の箱根駅伝。やはり、箱根最終章である柏原選手の走りに釘付けになった。
3年生の時にスランプに陥って、いわきに戻ってきて調子を取り戻したとのこと。集大成は見事な走りであった。
11月のふくしま駅伝では、地元いわきチームの一員として福島路を走破してくれた。アンカーは国士舘大学のコーチ小川選手。いわき出身のランナーが駆けつけ、襷をつないだ。当然、いわきは優勝。しかし、今回のふくしま駅伝は特別である。原発事故で避難を余儀なくされた双葉郡のチームも参加した。ふくしま全体が襷でつながった。柏原選手の参加は、勇気と希望を与えてくれた。
柏原選手は、原発事故後、いわきの農産物の風評払拭のため新橋のSL広場で開催したイベントにも飛び入りで参加してくれた。改めて、ふるさとに対する思いの深さを感じた。
今回の箱根での往路優勝インタビュー、柏原選手はこういった。「自分が苦しかったのは1時間ちょっと、福島の人に比べたら全然きつくない。」、この言葉をバネに、福島に残っている我々も「きつくない」という気概を持ってがんばらなければならない。
3年生の時にスランプに陥って、いわきに戻ってきて調子を取り戻したとのこと。集大成は見事な走りであった。
11月のふくしま駅伝では、地元いわきチームの一員として福島路を走破してくれた。アンカーは国士舘大学のコーチ小川選手。いわき出身のランナーが駆けつけ、襷をつないだ。当然、いわきは優勝。しかし、今回のふくしま駅伝は特別である。原発事故で避難を余儀なくされた双葉郡のチームも参加した。ふくしま全体が襷でつながった。柏原選手の参加は、勇気と希望を与えてくれた。
柏原選手は、原発事故後、いわきの農産物の風評払拭のため新橋のSL広場で開催したイベントにも飛び入りで参加してくれた。改めて、ふるさとに対する思いの深さを感じた。
今回の箱根での往路優勝インタビュー、柏原選手はこういった。「自分が苦しかったのは1時間ちょっと、福島の人に比べたら全然きつくない。」、この言葉をバネに、福島に残っている我々も「きつくない」という気概を持ってがんばらなければならない。