前回の「尖閣買収が意味するもの」の内容は舌足らずになってしまった。やや性急に結論を急ぎ過ぎたが、要は戦後の呪縛から解放され、自由な考え方ができる人々がようやく社会の中枢を占めるようになってきた、ということが言いたかった。
結局はそうなるには時間が必要だったのだろう。戦後、戦前を否定して社会主義を肯定する左翼勢力が、学界や教育界、報道界のイニシアティブを握った。どこの業界もトップがいれば弟子がいて縦の関係で権威を維持するものだ。
教育界なら日教組、報道なら朝日新聞、労働界は当然左翼になったろう。学界もそうなって、左翼的な定説を否定するような論文が出たって、多くは潰されたろう。だから出世したいなら、上の人間に迎合していくしかなかった。
我々の世代はその洗礼を受けた。やがて全学連闘争、労働運動などによってますます過熱していく。しかし社会はしっかりと経済が成長し、左翼的な思想はなし崩し的に力を失っていった。
やがてソ連が瓦解し、中国も似非資本主義に転換し、共産主義は崩壊した。それでも共産党は健在で、社会党も社民党となって命脈を保ち、一部の政治勢力は民主党と名を変えて政権を握った。
握った途端に、社会の大転換期が来た。それが前回書いたブログの基本的な考え方だった。左翼イデオロギーがすでに通用しなくなっており、人々の考えはイデオロギーの実現ではなく、暮らしやすい世の中を望むスタンスになっていた。
戦後の呪縛からも解放され、いつまでも戦争で得た利権を得ようとする周辺国家への嫌悪感があり、北方領土も含めて領土はしっかりと守るという考え、過剰な自由への警戒感もあり、日本国と日本国民を大切にしたいと思うやや保守的な傾向を強めた一定の層が確実に増えてきている。無党派で保守的市民層とでも括れるのだろうか。
団塊の世代はやはり戦後のイデオロギーから脱することはできなかった。どこか国家や権力に対して反発する気分があったが、このままでいいのか、という違和感を常に持っていた。ひとつの色に染まるのではなく、もっと違う色があるのではないか。結局、新しい価値観を共有するまでには至らず、ほぼリタイアの時期になった。
社会に人々に、本当に必要なものは何か。それを体現しているのは、現在では大阪・橋下市長だろう。むろん成否は分からないが、その方向性は理解できる。我々が気がつかなかったビジョンを提示してくれた。
私は橋下シンパではないが、そこまでやらなければ社会は変わっていかない。基本は何か。既得利権を含む旧体制の打破といえる。旧体制を壊すことは革命だ。政権交代でいったんは光明が見えた思いがしたが、元の木阿弥に戻ったというより、自民党時代よりも悪くなった。
それでも戦後65年を経て、日本社会を根本から変えるチャンスが到来している、と今の時代を捉えることができるわけだ。
「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。
結局はそうなるには時間が必要だったのだろう。戦後、戦前を否定して社会主義を肯定する左翼勢力が、学界や教育界、報道界のイニシアティブを握った。どこの業界もトップがいれば弟子がいて縦の関係で権威を維持するものだ。
教育界なら日教組、報道なら朝日新聞、労働界は当然左翼になったろう。学界もそうなって、左翼的な定説を否定するような論文が出たって、多くは潰されたろう。だから出世したいなら、上の人間に迎合していくしかなかった。
我々の世代はその洗礼を受けた。やがて全学連闘争、労働運動などによってますます過熱していく。しかし社会はしっかりと経済が成長し、左翼的な思想はなし崩し的に力を失っていった。
やがてソ連が瓦解し、中国も似非資本主義に転換し、共産主義は崩壊した。それでも共産党は健在で、社会党も社民党となって命脈を保ち、一部の政治勢力は民主党と名を変えて政権を握った。
握った途端に、社会の大転換期が来た。それが前回書いたブログの基本的な考え方だった。左翼イデオロギーがすでに通用しなくなっており、人々の考えはイデオロギーの実現ではなく、暮らしやすい世の中を望むスタンスになっていた。
戦後の呪縛からも解放され、いつまでも戦争で得た利権を得ようとする周辺国家への嫌悪感があり、北方領土も含めて領土はしっかりと守るという考え、過剰な自由への警戒感もあり、日本国と日本国民を大切にしたいと思うやや保守的な傾向を強めた一定の層が確実に増えてきている。無党派で保守的市民層とでも括れるのだろうか。
団塊の世代はやはり戦後のイデオロギーから脱することはできなかった。どこか国家や権力に対して反発する気分があったが、このままでいいのか、という違和感を常に持っていた。ひとつの色に染まるのではなく、もっと違う色があるのではないか。結局、新しい価値観を共有するまでには至らず、ほぼリタイアの時期になった。
社会に人々に、本当に必要なものは何か。それを体現しているのは、現在では大阪・橋下市長だろう。むろん成否は分からないが、その方向性は理解できる。我々が気がつかなかったビジョンを提示してくれた。
私は橋下シンパではないが、そこまでやらなければ社会は変わっていかない。基本は何か。既得利権を含む旧体制の打破といえる。旧体制を壊すことは革命だ。政権交代でいったんは光明が見えた思いがしたが、元の木阿弥に戻ったというより、自民党時代よりも悪くなった。
それでも戦後65年を経て、日本社会を根本から変えるチャンスが到来している、と今の時代を捉えることができるわけだ。
「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。