団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

体罰教師もワイセツ教師も精神鑑定を

2013-02-04 09:34:34 | Weblog
 体罰の問題があちこちで起こっている。高校からこんどはオリンピックの女子柔道まで飛び火した。どんどん膿は出したほうがいいだろう、と思う。
 またネットの情報を見ていると、なんと教師や警官らの公務員のワイセツ行為が多いことか、と怒りを通り越して呆れ返ってしまう。
 どうしてこうなってしまったのか、と原因も思うのだが、どうやって対処するのか、と解決方法もまた大切な問題だ。
 鍛えたいとか、愛のムチとかいいながら、最終的には、その個人の性向に行き着くのではないか。断定はできないが、体罰教師は極端に支配の意識が強いのだろう。自分より弱い者を支配下に置き、思い通りに動かすことで快感を覚えるタイプだ。だから思い通りにならないと、暴力に走るわけだ。
 支配というのは、例えば車好きが自分の手足のように車を動かしたい、という気持ちと似ているが、それが強くなれば、他人に対する強い影響力を行使してしまう。
 ワイセツ公務員の場合は、やはり精神鑑定の要ありだろう。人権の問題も絡んでむつかしいかもしれないが、定期的に精神鑑定をすべての公務員に行なって、その可能性がある者は、監視下に置くぐらいの強い管理体制が必要だ。
 そもそも教師や警官になろう、という採用のテスト時に、そうした精神鑑定をしっかりやっておけば、ある程度は欠陥公務員の採用を抑制することができるのではないか。
 体罰教師もまた同じで、支配したい性向が異常なほど強ければ、これもまた精神鑑定が必要だ。そうしたチェックを通り抜けて問題を起こしたら、なんの躊躇もなく犯罪として告発することではないか。
 特に、体罰教師やワイセツ教師はやってしまったら、子どもたちに深い傷を残す。それを未然に防ぐことができるのか、というのが深刻な問題なのだ。
 だからこそ、精神鑑定という非常手段も必要になるのではないか。ただ精神鑑定が万全であるわけがない。それもひとつのチェックの方法で、あとは生徒や仲間の教師の評判、いろいろな評価によって、人格的な問題をある程度は把握できよう。
 いままでは、そうしたことを考慮したこともなかった。人権の壁が立ちはだかり、教職員組合などの組織が個人を守る役割をしてきたが、異常人格を摘発するのも、また組織の一方の役割でもあるだろう。ここまで弊害が多くなってしまっては、なんらかの解決方法が必要なことは論をまたない。

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