AKB48の峯岸なんとかという女の子が、スキャンダルで頭を丸坊主にしてユーチューブに身を晒す、という醜態を演じていた。
私はAKB48というグループそのものもよく知らないし、グループを構成する女の子をひとりとしてちゃんと区別がつかない。今をときめくAKB48なのだから、もう少し興味を持ってもいいのかもしれないが、なにかのきっかけが掴めない。
ただ私がよく歌う「スローなブギにしてくれ」の出だし部分がウォンチューで、AKB48の歌でアイウォンチューで始まる歌があることは知っている。まあ、その程度である。
その峯岸さんの丸坊主事件で、いろいろと意見が飛び交っているが、これに体罰を結びつけて封建的とか、日本の後進性とか、世界に対して恥ずかしい、という声が多い。丸坊主になって謹慎だけならいいが、それを公にしてしまった、というところに、AKB48のつらい体質を感じる人は多いだろうな、と思う。
結局、全国からどんぐりの背比べのような女の子を寄せ集めて、ひとつのグループとして機能させようとすれば、なにかのルールが必要なことは言うまでもない。学校の校則のようなものであろう。当然、そこにはなんらかの罰則規定があってしかるべきだ。
そういう意味からすれば、幕末の新撰組に通じるものがある。もともと多摩の土豪侍の連中がが、京都守護職を補佐する軍事組織にまでのぼり詰めた。
彼らのルールが士道背きまじき候であった。侍にあるまじき卑劣な行為を忌み嫌い粛清に走った。新撰組も全国から集まった浪士で、恐怖をバックにした規範を設定した。背いた者は惨殺した。それも隊士をまとめるための手段だった。
全国から集ったさまざまな人間で構成された組織、という意味では、新撰組もAKB48も同じだ。それをひとつの形として機能させるのも同じだろう。
むろん一定の組織は、ほとんど似たような状況なのだろうが、新撰組もAKB48も時間がない、という点で似ている。いかに短時間で先鋭で効率的な組織を作り上げ、一定の成果を上げることが求められている。
だから粛清も過激になった。まだ殺されるよりは丸坊主のほうがいいだろうが、見せしめなら外部に出すことはない。そこに組織の中にいる人間の判断が間違ったのだろう。たぶんAKB48は、こんなにしっかりと統制をとってやっています、というメッセージなのだろうが裏目に出てしまった。
組織というのは、いつの時代も、やや重苦しく人を縛る宿命的なものを孕んでいる。しかし自分の自己実現のために必要な組織なら、その組織をフルに利用できることが、個々の構成者が持っている優位性であろう。どう考えるかは、個々の人間に寄るのは言うまでもない。
ところで、こんなことが起きると、ちょっとはAKB48を見たくなるものである。似たようなグループに、ももクロというのがあるそうだ。時間つぶしに見て、虜になることはないだろうな、とやや心配している。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。
私はAKB48というグループそのものもよく知らないし、グループを構成する女の子をひとりとしてちゃんと区別がつかない。今をときめくAKB48なのだから、もう少し興味を持ってもいいのかもしれないが、なにかのきっかけが掴めない。
ただ私がよく歌う「スローなブギにしてくれ」の出だし部分がウォンチューで、AKB48の歌でアイウォンチューで始まる歌があることは知っている。まあ、その程度である。
その峯岸さんの丸坊主事件で、いろいろと意見が飛び交っているが、これに体罰を結びつけて封建的とか、日本の後進性とか、世界に対して恥ずかしい、という声が多い。丸坊主になって謹慎だけならいいが、それを公にしてしまった、というところに、AKB48のつらい体質を感じる人は多いだろうな、と思う。
結局、全国からどんぐりの背比べのような女の子を寄せ集めて、ひとつのグループとして機能させようとすれば、なにかのルールが必要なことは言うまでもない。学校の校則のようなものであろう。当然、そこにはなんらかの罰則規定があってしかるべきだ。
そういう意味からすれば、幕末の新撰組に通じるものがある。もともと多摩の土豪侍の連中がが、京都守護職を補佐する軍事組織にまでのぼり詰めた。
彼らのルールが士道背きまじき候であった。侍にあるまじき卑劣な行為を忌み嫌い粛清に走った。新撰組も全国から集まった浪士で、恐怖をバックにした規範を設定した。背いた者は惨殺した。それも隊士をまとめるための手段だった。
全国から集ったさまざまな人間で構成された組織、という意味では、新撰組もAKB48も同じだ。それをひとつの形として機能させるのも同じだろう。
むろん一定の組織は、ほとんど似たような状況なのだろうが、新撰組もAKB48も時間がない、という点で似ている。いかに短時間で先鋭で効率的な組織を作り上げ、一定の成果を上げることが求められている。
だから粛清も過激になった。まだ殺されるよりは丸坊主のほうがいいだろうが、見せしめなら外部に出すことはない。そこに組織の中にいる人間の判断が間違ったのだろう。たぶんAKB48は、こんなにしっかりと統制をとってやっています、というメッセージなのだろうが裏目に出てしまった。
組織というのは、いつの時代も、やや重苦しく人を縛る宿命的なものを孕んでいる。しかし自分の自己実現のために必要な組織なら、その組織をフルに利用できることが、個々の構成者が持っている優位性であろう。どう考えるかは、個々の人間に寄るのは言うまでもない。
ところで、こんなことが起きると、ちょっとはAKB48を見たくなるものである。似たようなグループに、ももクロというのがあるそうだ。時間つぶしに見て、虜になることはないだろうな、とやや心配している。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。