団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

寅さん第一作を観た

2013-03-06 15:20:10 | Weblog
 寅さん第一作を観た。NHKのBSプレミアムで、山田洋次が選んだ日本映画名作100選を約2年間にわたって放送していて、その最後の作品に選ばれたのが『男はつらいよ』だった。
 ストーリーは他愛ないのだが、先日亡くなった光本幸子がマドンナだった。御前様の娘で寅はあっさりと振られる。寅が振られ、周りに慰められる時の、寅の表情が見事だった。
 一作目というより、シリーズの前半は、寅さんが元気だった。啖呵売の口上も型通りで、柄が悪く、お尻の周りは糞だらけを連発していた。シリーズ後半は、世の中も変わりシリーズ自体がメジャーになって、どんどん品が良くなっていったのは残念だった。主人公がテキ屋というのは、具合が悪かったのだろう。
 役者でもっとも光っていたのは、森川信だろう。渥美清と同じ浅草軽演劇の出身で、山田洋次監督が、二人の呼吸がぴったり合っていた、と感心していた。
 その森川信が「ばかだねえ、ほんとにバカだねえ」と、情けない表情でいうところは絶品だろう。また夫婦役の三崎千恵子の着物の着方も、ちょっと崩れていて、いかにも商売屋の女将といった風情で、リアリティーがあった。
 寅さんの弟分が蛾次郎ではなく、津坂匡章(現在の秋野太作)だった。蛾次郎は寺男で、ほとんどピントの合わない役だった。笠智衆は相変わらずの演技。
 この第一作で、さくらと博士が結婚する。そこまで行くまでにすったもんだあるのだが、博士の父親が志村喬だった。この結婚式で、媒酌人を務めたタコ社長の奥さんがちらり見える。
 製作は昭和44年。私が20歳の時で、当時は洋画やヌーベルバーグなどに夢中で、通俗的な邦画などは見向きもしなかった。最近は、『三丁目の夕日』など当時を描いた映画や、20年代から40年代の邦画を好んで観ている。
 寅さんシリーズは、葛飾柴又が舞台で、私が葛飾に住んでいることでも親近感がある。柴又の駅も参道も当時とはあまり変わっていないが、寅屋が実際にできてしまって、途中から団子屋の屋号が変わっている。
 確かに配役がぴったりとしていて、他の人が演じることは無理だったかもしれないが、水戸黄門のように、役者を変えていくのも手だったろう。『釣りバカ日誌』でも、それは同じ状況だろう。寅さんで昭和の元気な時代を描くとしたら、役者の元気さを保つことも必要だったろう。
 私は渥美清が死んだあとの最後の寅さんも観ているが、吉岡秀隆が町を歩いてゆくシーンを俯瞰で撮っているのを観ていて、ああっ、終わったな、とつくづく思った。やはり長いシリーズが終わることには、寂しさが伴うものだが、それに代わる多くの国民が楽しめる映画が出てこないのは、もっと寂しいものだ。

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