団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

障害者殺傷事件に思う

2016-07-31 12:35:22 | Weblog
 なにが植松聖を凶行に駆り立てたのか。まだその疑問が解明されたわけではないが、社会に役に立たない邪魔者を排除しよう、という一種の差別主義的な発想があったのだろう。
 彼の逮捕後の言動を見ていると、役立たずを19人も抹殺した英雄気取りである。大麻をやって自らを精神耗弱に追い込み、無罪を主張するつもりではないか。裁判所もそれほどお人好しではないし、さすが人権派の弁護士もうっかり助けられない。
 つまり植松は精神的には正常なのだが、異常なまでの狂信者となったのだろう。ナチのヒトラーと似ており、『わが闘争』でも読んで変貌したのか。
 たぶん障害者施設で働く間に、知的障害者を憎悪するようになっていった。やつらはいないほうがいい、生きる資格はない、殺すべきだ、という自分の憎しみを裏付ける思想が必要だった。それがナチズムだったのだろうか。
 そうした思想を得ると、憎悪が正義に変わり、植松は正義の殺戮者に生まれ変わったわけだ。そして19人を殺害した。
 今回の事件での問題点は、この殺傷事件を防げたのか。元職員の犯行であり、まず無理であろう。植松の変貌について、措置入院はあったものの、深刻度がまったく把握されていなかった。精神病のいう正常と異常の間は紙一重で、事前にチェックできるものではない。
 防げるとしたら、再犯防止に全力を尽くす、ということだろう。性犯罪者にはGPSを組み込むという手法も出てきた。ただ誰がいつチェックするのか、という運用上の問題がある。
 異常犯罪は必ず何年かおきに起こる。ネット社会になって、人と人との触れ合いが希薄になった現代社会では、一定のリスクと考えるしかないのではないか。
 もうひとつは知的障害者を含めて、人々の底に潜む差別思想を根絶できるかである。例えば、会社で役立たずの余計もの、とレッテルを貼られれば、窓際に追いやられる、極端はいじめもあるし、退職を余儀なくもされる。
 会社が正義であり、それを強要した人間は、正義の戦士だ。植松の場合は社会=国家の正義と信じ込んだ。つまり殺人は犯さないものの、日常の中に差別主義は蔓延しているわけだ。
 むろん一掃などときれいごとはいわないが、人々が差別をなくす努力と制度設計を行っていくことが社会の明確な方向だ。しかし差別をなくすことは、社会のコストを増大させる。構成員がそのコスト増に耐えられるのか、さらに複雑な問題をはらんでいる。
 世界には差別、格差が資本主義の名の下に広がった。その歪みがいま世界を根底から揺り動かしている。この混乱を是正する新しい社会資本主義のビジョンが求められる所以だが…。
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