団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

川崎殺傷事件に思う

2019-05-31 09:23:06 | Weblog
 いつの時代でも狂人はいるものだ。ある時間を経て、無差別殺人は繰り返される。それを止める方法ははっきりいってない。
 事件が起こると、あれこれと教育関係者や警察は警備を厳重に、と掛け声は高いが、それが本当に有効になるのか、だれも信じてはいない。
 阻止できないとしたら、我々は何ができるのか。結局は社会を変えていく、という迂遠な方法しかないのではないか。
 ほとんどの無差別殺人の犯人は孤独で孤立しており、疎外感があり、うちなる怒りを不特定多数の弱者に向ける。目的はない。ただ自らの状況を暴力によって変えようとする。
 こういう人間をなるべく作らないような社会にすることが、こうした事件を起こさないことに直結する。
 では、どうするのか。私にもその答えはないが、たぶんもっと人間同士が深く関わり合える社会にしていくことではないか。
 現在はネットやスマホで、その反対の方向に行っている。他人と接触しなくても、スマホがあればハッピーという人は多いだろう。それが許される社会になってしまった。
 しかし結局、人間は誰かに自分を理解してほしいし、ともに生きているという実感を求めている。そうした触れ合いや実感が、犯人たちにあれば、事件を起こさなかったのではないか、と思いたい。
 それぞれの周りにいる人間にもっと関心を持ち、関わり、お互いの問題解決のためにできることをともに考える。そうした地域社会を作っていかなければならない。
 かつてそうした社会があったのか。太平洋戦争が始まる前の昭和前期、敗戦後の昭和20年代から30年代に、そんな社会があったような気がする。
 偶然的な産物だが、いろいろな問題があったとしても、地域コミュニティは有効だった。引きこもりがいたら、きっと周りのみんなであれこれ考えて、人と混じるように促しただろう。
 現在は、これをNPOなどがやっている状況だが、それを年金生活の元気な高齢者に任せられないだろうか。ある程度の地域単位の決め事は必要になるが、役所や専門家にまかせるのではなく、お節介グループがなんらかの関与をして、地域コミュニティに参加させるように働きかける。決してあなたは孤独でない、というメッセージを送り続けることが大切だ。
 また高齢者は通学時の見守り役としてもいい。その時間になって、通学路にパラパラと高齢者がいれば、それで犯罪の歯止めの効果はある。
 70歳以上の高齢者も、こうした地域参加によって、さらに元気になれるのではないか。100歳時代を迎え、それぞれの年代の役割分担をもっと社会全体が考える必要性が生じていよう。そういう意識を持って人々が生きていけば、少しずつでも社会は変わっていくのではないか。ささやかな願いである。
 
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