私が懇意にしていたカラオケバーのママが死んだ。病院に入院して、わずか2週間の命だった。本人はひた隠しにしていたが、69歳だった。
昨年暮れに閉店した店で飲んでいた時に、どこかで歌える店はない、と訊いた。そのママが、すぐそばのカラオケバーに連れていってくれた。以来からの付き合いで、たぶん7~8年にはなるだろう。
私が歌を歌うようになって4年ぐらいか。この店はカラオケバーだったから、歌わせることが商売だった。それにしては、当初はあまり歌うことを勧めなかった。たまに歌っても、たいした歌ではなかったのだろう。
しかし、歌に目覚めてから、練習して多少でも自分で納得できるようになってからは、今日はなにを歌うの、とよく聞くようになって、勝手にこちらの得意そうな歌をカラオケのオーダーに入れるようになった。
最初にこのママとなんとなく心の交流ができたような気になったのは、越路吹雪の『夢の中に君がいる』を覚えてからだった。ママに聴いてもらえることがうれしくなった。そして、ママも覚えて、たまに私を制して自分でも歌っていた。
こちらは、歌謡曲というより、フォークやニューミュージックを歌うほうだったから、あまり接点はなかったが、そろそろ歌う歌がなくなってきつつあった頃に、ママがたまたま和田アキ子の『二杯目のお酒』を歌った時には、ほほお、どんな歌なの、とタイトルを訊いたものだ。この歌は結局、私のレパートリーに入った。
次に竹内まりあの『人生の扉』を教えてくれた。この歌には凝った。当初はあまりスムーズに歌えなかったが、あれこれ歌っていくうちにさまになっていった。「いい歌を教えてくれたね」と感謝した。
このあと金子由香利の「再会」などもあった。お客の歌う歌を聴いて、新しい歌を覚えるようにしていたが、なかなかフィットする歌はなかった。
亡くなる1ヶ月ぐらい前に寄ったことがあった。私がちょっと勢いに乗って話をしていると「あんた、満身創痍の身体なのに、どうしてそう元気なの」と、ちょっと寂しそうにいった。私の病気は、このブログでも紹介しているから、いまさらながらではあるが、たぶんこの頃から、自分の死期を悟っていたのだろうか。
入院前に常連客に勧められて、民間の放射線治療を行った。それが逆効果で、治療のため病院に通った。復帰して、すぐに最後の入院になった。
最後に交わした会話はなんだったろう、と思い出そうとしているが、なかなか思い出せない。こちらは元気な姿で戻ってくると信じていたから、受け流していたのだろう。本人もそのつもりだったからこそ、お別れなんて意識はなかったろう。
こういう店のママと客との関係とはなんだろう。同じぐらいの齢なら、男女の関係にまで発展することはあるだろうが、まあ、そんな齢ではない。多少の男女を意識しながら、不思議な関係を続けていくのが、長い付き合い方なのだろうか。
もう少し、歌でも話でも聞きたかった。さらばである。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp
昨年暮れに閉店した店で飲んでいた時に、どこかで歌える店はない、と訊いた。そのママが、すぐそばのカラオケバーに連れていってくれた。以来からの付き合いで、たぶん7~8年にはなるだろう。
私が歌を歌うようになって4年ぐらいか。この店はカラオケバーだったから、歌わせることが商売だった。それにしては、当初はあまり歌うことを勧めなかった。たまに歌っても、たいした歌ではなかったのだろう。
しかし、歌に目覚めてから、練習して多少でも自分で納得できるようになってからは、今日はなにを歌うの、とよく聞くようになって、勝手にこちらの得意そうな歌をカラオケのオーダーに入れるようになった。
最初にこのママとなんとなく心の交流ができたような気になったのは、越路吹雪の『夢の中に君がいる』を覚えてからだった。ママに聴いてもらえることがうれしくなった。そして、ママも覚えて、たまに私を制して自分でも歌っていた。
こちらは、歌謡曲というより、フォークやニューミュージックを歌うほうだったから、あまり接点はなかったが、そろそろ歌う歌がなくなってきつつあった頃に、ママがたまたま和田アキ子の『二杯目のお酒』を歌った時には、ほほお、どんな歌なの、とタイトルを訊いたものだ。この歌は結局、私のレパートリーに入った。
次に竹内まりあの『人生の扉』を教えてくれた。この歌には凝った。当初はあまりスムーズに歌えなかったが、あれこれ歌っていくうちにさまになっていった。「いい歌を教えてくれたね」と感謝した。
このあと金子由香利の「再会」などもあった。お客の歌う歌を聴いて、新しい歌を覚えるようにしていたが、なかなかフィットする歌はなかった。
亡くなる1ヶ月ぐらい前に寄ったことがあった。私がちょっと勢いに乗って話をしていると「あんた、満身創痍の身体なのに、どうしてそう元気なの」と、ちょっと寂しそうにいった。私の病気は、このブログでも紹介しているから、いまさらながらではあるが、たぶんこの頃から、自分の死期を悟っていたのだろうか。
入院前に常連客に勧められて、民間の放射線治療を行った。それが逆効果で、治療のため病院に通った。復帰して、すぐに最後の入院になった。
最後に交わした会話はなんだったろう、と思い出そうとしているが、なかなか思い出せない。こちらは元気な姿で戻ってくると信じていたから、受け流していたのだろう。本人もそのつもりだったからこそ、お別れなんて意識はなかったろう。
こういう店のママと客との関係とはなんだろう。同じぐらいの齢なら、男女の関係にまで発展することはあるだろうが、まあ、そんな齢ではない。多少の男女を意識しながら、不思議な関係を続けていくのが、長い付き合い方なのだろうか。
もう少し、歌でも話でも聞きたかった。さらばである。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp
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