団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

狭い水槽で泳ぐ魚の気持ち

2009-07-25 08:27:25 | Weblog
 銀座のソニービルの前に、大きな水槽が設置され、ミニ水族館のように、珍しい魚が回遊していた。といっても、狭い水槽だ。魚たちにとっては、いい迷惑で、周りで囲む子どもたちの嬌声もうるさいだけだ。
 私は水族館も動物園もあまり好きではない。子どもの頃から、どこに行っても、みんな動物たちは悲しそうだった。魚の表情は分からないが、きっと大きな海で泳ぎたいだろう。
 動物園などは、世界中から珍しいものを集めて見せて、ナンボという見世物小屋の延長だ。かつては、それが黒人のこともあったし、奇形な人もあったろう。
 それが健全な動物園ということになって、市民社会に受け入れられたわけだが、まず考えなければならないことは、やはり人間の驕りのなにものでもない、ということだ。あれほど動物愛護を騒いでいる方々が、動物園反対という話はあまり聞かない。
 地球上に生きる生物が、もし等価であるなら、それを見世物にすること自体、きわめて傲慢なことではないか。見世物にされる理由はどこにもないのだ。
 それは人間であろうと、ライオンであろうと、ヘビであっても、ではないか。進化の頂点は人間で、あとは下等生物、という考え方だ。
 かつて毛皮がセレブの象徴のように持てはやされた時期があったが、防寒以外の単なるおしゃれでは着なくなった。毛皮を作るために動物を殺しているからだ。
 むろん人間は生存するために、他の生物を殺して食っている。だから「ご馳走さま」という言葉で、その仕組みに感謝しているわけだ。
 人間と他の生物の関係は、いろいろなところで変わってきている。それでも、教育的な効果はあるのだろう。しかし、かつてはあったかもしれないが、現在は高画質な映像で、その動物や魚がいるところを見せることができる。実物をもって来て見せる理由は、技術の進歩で必要ではなくなっている。
 そして、本物を見たい、となれば、アフリカや南極にまで行けばいいのだ。本物を見ることがそれほど大変で大切なことだ、という認識は必要で、それこそ感動は大きなものになる。
 その水槽を設置したのは、ソニービルの前だから、ソニーだろう。ソニーこそが、家電メーカーとして世界中の動物を高画質映像で見せられる立場だ。つまりソニーも、映像は本物にはかなわない、と考えているのだろう。だから水槽である。
 冗談ではないが、グリーンピースが来て、その水槽をぶっ壊してくれないか。いや、その瞬間に魚たちは死んでしまうか。

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