団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

親は何をしていた

2015-03-03 11:44:45 | Weblog
 中1生の殺人事件は犯人が捕まって、動機や背景がそろそろ報道されているが、それにしても報道から欠落しているのは、親のことだ。
 被害者の上村遼太君の母親がようやくコメントを出していたが、ここまで追いつめられるまで親は何をしていたのだろうか、と思わざるを得ない。3人の子持ちで確かに忙しいし、子供と向き合う時間もあまりなかったろうが、それでも学校に行っていないことぐらいは、一緒に住んでいれば分かりそうなものだ。
 たぶん分かってはいたが、突き詰めて話すことを避けてきたのではないか。本当のことを知ることは、怖いし面倒なものだ。だから先延ばししている間に、悲劇が起こってしまった。
 それは加害者にもいえることで、18歳になった悪ガキのことぐらいは親・家族は知っていよう。まさか殺人や強盗などはやらないだろう、と高を括っていたのかもしれない。家族はもっと最悪の事態を考えておかなければならない。
 子供が家族のことを考えないで悪さをしているとしたら、やはりそれを抑え込むのはまず親、家族であろう。家族の存在が抑止力になっていると思うのは楽観的すぎよう。多くの未成年の犯罪はほとんど自分勝手なものだからだ。
 前回のブログでも指摘したが、戦後教育で自由や平等、権利を教え込んだ結果、子供は何をしても許される、という意識が蔓延した。それと反対に、親のほうも子供の教育の放棄につながったわけだ。責任感がどこか希薄だ。子供が勝手なことをするなら、我々だって知らないよ、と不干渉主義に陥ってしまっている。
 ただ前述のように、まさか親に迷惑をかけるようなことはしないだろう、というのが親の甘さだ。子供にその意識がなければ裏切られるのがオチだ。
 ということは、親は子供の何を見てきたのか、何を知っていたのか、という問題に行き着く。そこに家族間の会話が欠落していたのではないか。確かに不良グループを監視するのは、警察や地域の役目かもしれないが、まず親がそれを担わないでどうするのか。
 子供も脛かじりの間は、親の言うことぐらい聞いたらどうだ。働いて稼ぐようになったら、初めて一丁前なのだ。そうした社会的なコンセンサスを作ってこなかったことが、今更ながら悔やまれることである。 
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