団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

浅田真央と高梨沙羅

2014-02-26 15:23:12 | Weblog
 私はまったくこの二人に特別な思い入れがあるわけではない。単なるいちファンであるのだが、今回のソチ五輪については違和感がある。
 浅田真央については、フリーの演技でショートの演技が雲散霧消して、絶賛の嵐になった。ショート16位、フリー4位の結果に終わり、メダルは取れなかったのにだ。確かにフリーの演技は素晴らしかったとはいえ、ショートの演技が消えるわけではなく、ここをしっかりと分析して報道しているメディアはあまりなかった。
 つまりフリーの演技終了の涙によって、日本全国のファンは納得してしまって、頑張ったありがとう、の感謝の声になってしまった。しかも、この五輪を最後に引退、という話もあって、さらに増幅してしまった。情緒に流されてしまうわが国民の悪い癖であろう。
 あの子、大事な時に転ぶ、といった森元首相はいわでもであるが、まっとうな意見である。精神的な弱さを指摘したわけだが、国民の感情を逆撫でしてしまった。マスコミも結局は国民の感情を代弁するようなところがあるから、悪者に仕立てられたのだろう。美談にはいつも悪役が必要だ。
 やはり五輪で6位しかとれない選手であるのだろう、浅田真央は。その冷静さでスポーツは分析されて、はじめて次の選手が育っていこう、というものだ。むろんもっとも反省しているのは、浅田真央本人でるあることは断っておきたい。
 反対に高梨沙羅のことであるが、五輪4位でもう誰も振り向かなくなった。このゲンキンさはどうであろう。確かにメダル確実視され、期待は大きかった。それを裏切ったことで、浅田真央とは反対に無視されるような雰囲気になってしまった。
 しかし17歳で世界の4位に輝いたのだ。ふだんの選手権ではなんども優勝している。これほどの選手がたった一度の失敗で、これほどシカトしていいものだろうか。
 高梨が飛ぶ時には、二回とも風が追い風になっていた、という説がある。ひょっとしたらはめられた、という見方もできる。むろん未確認情報ではあるが、こうしたことも精査されなければならないだろう。
 結局、この二人の差は物語の差なのだ。佐村河内と同じように、広島、身障者などのそこに物語があったればこそ、彼の作品を人々は受け入れた。
 浅田真央は引退?、ショートとフリーの好対照の演技などによって、人々はそこに物語を見た。高梨沙羅はただ飛んで負けた。この差によって、あとのメディアの報道の姿勢が変わってしまったのだろう。
 しかし実績がどちらが上かは自明の理だ。五輪・スポーツに限らず、いまの物語に酔うのではなく、本当のことをしっかりと見据える力が必要であることは論をまたない。我々が得られる情報は限られているにしても、常にリアリティを持って冷静な判断をしたい。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp


コメントを投稿