しばらく走り続けた僕らはいつのまにか駅の前まできていた。
「あーおもしろかった!」
「おもしろかったってアサコさん! 危ないじゃないですかっ」
「だって、正ちゃん助けてくれると思ったんだもーん。それにしても正ちゃん決まってたじゃない最後のケリ! 格好よかったよ!」
「ですよねっ。僕も自分に惚れました」
明るく笑うアサコさんにつられて僕も笑い出してしまった。ざまーみろだ。
「今度奴らに会った時どういう反応しめしますかねえ。仕返しされるかな、やっぱり」
「仕返しこわい?」
「いいえっ。またケリいれてやりますよ」
「やったあ。技の名前考えようよっ」
「ちゃかさないでくださいっ」
気づくともう8時を過ぎている。続々と駅から帰途につく人々が流れてきている。
「―正ちゃん、帰る? そろそろ」
「―え?」
ギクリとした。―なんてことだろう。僕は、、、、忘れて、、いた。死のうと思っていたことを。すっかり、、、、忘れて、いた。
「―アサコさん」
「正ちゃん帰んな。ご両親も心配してるよ。わかったでしょ。正ちゃんにはたくさん可能性があるって。一番は勉強だけじゃないんだよ。ケンカだって強くなりそうだし。ネッ」
「いてっ」
腹にいきなりパンチをいれられた。
「楽しかったね。競馬もゲーセンも変身も。正ちゃん、本当にかっこいいよ。さ、帰んな。色男。帰り道ナンパでもしてったら?」
「アサコさん……」
僕は呆けてつぶやいた。アサコさんの猫のような目に僕はどう写っているのだろう。ショーウィンドーに写る自分を盗みみる。あの情けない正平はどこにもいない。いない。
「アサコさんは……どうするんですか?」
きくとアサコさんはぎこちなく笑った。
「しばらくここにいる。正ちゃん、帰りな」
「でも」
「帰りなって。あたしは……」
ふいにアサコさんが口をつぐんだ。視線の先―三十メートルくらい離れた駅の改札から出てくるサラリーマン風の背の高い男―。写真の男だ。アサコさんの元彼氏。
アサコさんは食い入るようにその人を見ている。男は改札前の喫煙コーナーに歩いていき……一人の女性に声をかけた。ショートカットの茶色い頭の女性。彼女は男を見ると嬉しそうに笑い、吸いかけの煙草を灰皿におしつけた。そして女が男の腰に手をまわし、男が女の髪をなでる。『恋人』そのものだ。
「長い髪が―」
小さく、アサコさんがつぶやいた。
「長い髪が似合うねっていうから髪を伸ばしたの。―お化粧する子は好きじゃないっていうからいつでも薄化粧でいたの。自分の彼女には煙草吸って欲しくないっていうから煙草もすわなかった」
あろうことか二人は仲良く手をつないでこちらに向かって歩いてくる。
「あの人がいれば何もいらなかった。あの人のそばにいられるだけで幸せだった」
「っ?」
二人はアサコさんのことが見えないように、何事もなく通り過ぎて行く。
「ごめんね。正ちゃん。つきあわそうとして。一人で死ぬの怖くて。でも―今日楽しいかったね。でも―ダメなの。何があってもダメなの。あの人にもう会えないっていわれたの。あの女の子を好きになったっていわれたの。あたしが一番じゃなくなったの。必要じゃなくなったの。あの人のそばにいられない世界で生きてても辛いだけなの。だから―だから、ごめんね」
「アサコさん!」
予告もなくアサコさんが走り出した。慌てて追いかける。駅前の大通りにでた。いけない。道路に飛び出す気だ。
「危ない!」
何も考えていなかった。ほとんど無意識のうちにトラックの前に飛び出したアサコさんの腕をつかみ引き寄せた。反動で道路に二人でひっくりかえる。僕はしっかりとアサコさんを抱き寄せていた。
激しいブーイングのクラクションを残してトラックが走り去る。何事かと立ち止まった人々もまたその場を去り出した。
「―大丈夫? アサコさん」
さすがに僕も足の震えがとまらない。抱きかかえたアサコさんは茫然と僕を見上げた。
「正ちゃん。危ないじゃない……なんで助けたりするの……」
「だって、アサコさん」
僕は力の限りアサコさんを抱きしめた。
「だって、アサコさん。アサコさんの人生はあの男の人のためにあるんじゃない。アサコさんのためにあるんです。僕はあなたに生きていてほしいんです。アサコさん。あなたに生きていてほしいんです」
人の目も気にならない。僕はまっすぐにアサコさんをみかえした。アサコさんは泣き笑いの顔で僕を見上げている。
「……ありがとね、正ちゃん」
そしてぺちぺちと頬をたたかれた。
「その言葉そっくりそのまま返すよ。正ちゃん。正ちゃんの人生は親とか親戚とか近所の人とかクラスメートのためにあるんじゃないよ。周りがどう思おうと、正ちゃんの人生は正ちゃんのためにあるんだよ。正ちゃんにはたくさん可能性がある。あたしが保証する」
「アサコさん……」
衝動に掻き立てられ、再び強くかき抱く。でもアサコさんはさみしそうに微笑んで首をふった。
「あたし―もっと早く正ちゃんに出会えてたらなあ」
「―え?」
突然―、キラキラと馬券が舞ったときのようにアサコさんのまわりが輝きだした。
「アサコさん?」
「もっと早く、出会えてたらな―」
そして―手応えがなくなり―
「アサコさんっ?」
ふっと……消えた。
「アサコさんっ」
アサコさんは、突然、消えてしまった。暖かいぬくもりとやわらかい感触だけを残して。
僕はその場に座り込んだまま、しばらく動くことができなかった。
「あーおもしろかった!」
「おもしろかったってアサコさん! 危ないじゃないですかっ」
「だって、正ちゃん助けてくれると思ったんだもーん。それにしても正ちゃん決まってたじゃない最後のケリ! 格好よかったよ!」
「ですよねっ。僕も自分に惚れました」
明るく笑うアサコさんにつられて僕も笑い出してしまった。ざまーみろだ。
「今度奴らに会った時どういう反応しめしますかねえ。仕返しされるかな、やっぱり」
「仕返しこわい?」
「いいえっ。またケリいれてやりますよ」
「やったあ。技の名前考えようよっ」
「ちゃかさないでくださいっ」
気づくともう8時を過ぎている。続々と駅から帰途につく人々が流れてきている。
「―正ちゃん、帰る? そろそろ」
「―え?」
ギクリとした。―なんてことだろう。僕は、、、、忘れて、、いた。死のうと思っていたことを。すっかり、、、、忘れて、いた。
「―アサコさん」
「正ちゃん帰んな。ご両親も心配してるよ。わかったでしょ。正ちゃんにはたくさん可能性があるって。一番は勉強だけじゃないんだよ。ケンカだって強くなりそうだし。ネッ」
「いてっ」
腹にいきなりパンチをいれられた。
「楽しかったね。競馬もゲーセンも変身も。正ちゃん、本当にかっこいいよ。さ、帰んな。色男。帰り道ナンパでもしてったら?」
「アサコさん……」
僕は呆けてつぶやいた。アサコさんの猫のような目に僕はどう写っているのだろう。ショーウィンドーに写る自分を盗みみる。あの情けない正平はどこにもいない。いない。
「アサコさんは……どうするんですか?」
きくとアサコさんはぎこちなく笑った。
「しばらくここにいる。正ちゃん、帰りな」
「でも」
「帰りなって。あたしは……」
ふいにアサコさんが口をつぐんだ。視線の先―三十メートルくらい離れた駅の改札から出てくるサラリーマン風の背の高い男―。写真の男だ。アサコさんの元彼氏。
アサコさんは食い入るようにその人を見ている。男は改札前の喫煙コーナーに歩いていき……一人の女性に声をかけた。ショートカットの茶色い頭の女性。彼女は男を見ると嬉しそうに笑い、吸いかけの煙草を灰皿におしつけた。そして女が男の腰に手をまわし、男が女の髪をなでる。『恋人』そのものだ。
「長い髪が―」
小さく、アサコさんがつぶやいた。
「長い髪が似合うねっていうから髪を伸ばしたの。―お化粧する子は好きじゃないっていうからいつでも薄化粧でいたの。自分の彼女には煙草吸って欲しくないっていうから煙草もすわなかった」
あろうことか二人は仲良く手をつないでこちらに向かって歩いてくる。
「あの人がいれば何もいらなかった。あの人のそばにいられるだけで幸せだった」
「っ?」
二人はアサコさんのことが見えないように、何事もなく通り過ぎて行く。
「ごめんね。正ちゃん。つきあわそうとして。一人で死ぬの怖くて。でも―今日楽しいかったね。でも―ダメなの。何があってもダメなの。あの人にもう会えないっていわれたの。あの女の子を好きになったっていわれたの。あたしが一番じゃなくなったの。必要じゃなくなったの。あの人のそばにいられない世界で生きてても辛いだけなの。だから―だから、ごめんね」
「アサコさん!」
予告もなくアサコさんが走り出した。慌てて追いかける。駅前の大通りにでた。いけない。道路に飛び出す気だ。
「危ない!」
何も考えていなかった。ほとんど無意識のうちにトラックの前に飛び出したアサコさんの腕をつかみ引き寄せた。反動で道路に二人でひっくりかえる。僕はしっかりとアサコさんを抱き寄せていた。
激しいブーイングのクラクションを残してトラックが走り去る。何事かと立ち止まった人々もまたその場を去り出した。
「―大丈夫? アサコさん」
さすがに僕も足の震えがとまらない。抱きかかえたアサコさんは茫然と僕を見上げた。
「正ちゃん。危ないじゃない……なんで助けたりするの……」
「だって、アサコさん」
僕は力の限りアサコさんを抱きしめた。
「だって、アサコさん。アサコさんの人生はあの男の人のためにあるんじゃない。アサコさんのためにあるんです。僕はあなたに生きていてほしいんです。アサコさん。あなたに生きていてほしいんです」
人の目も気にならない。僕はまっすぐにアサコさんをみかえした。アサコさんは泣き笑いの顔で僕を見上げている。
「……ありがとね、正ちゃん」
そしてぺちぺちと頬をたたかれた。
「その言葉そっくりそのまま返すよ。正ちゃん。正ちゃんの人生は親とか親戚とか近所の人とかクラスメートのためにあるんじゃないよ。周りがどう思おうと、正ちゃんの人生は正ちゃんのためにあるんだよ。正ちゃんにはたくさん可能性がある。あたしが保証する」
「アサコさん……」
衝動に掻き立てられ、再び強くかき抱く。でもアサコさんはさみしそうに微笑んで首をふった。
「あたし―もっと早く正ちゃんに出会えてたらなあ」
「―え?」
突然―、キラキラと馬券が舞ったときのようにアサコさんのまわりが輝きだした。
「アサコさん?」
「もっと早く、出会えてたらな―」
そして―手応えがなくなり―
「アサコさんっ?」
ふっと……消えた。
「アサコさんっ」
アサコさんは、突然、消えてしまった。暖かいぬくもりとやわらかい感触だけを残して。
僕はその場に座り込んだまま、しばらく動くことができなかった。