『こいつはおれ専用だから貸出し不可!』
確かに慶はそう言ってくれた。それなのに………どうして?
「山崎……も?」
今日の勉強会に山崎も呼んだ、という慶。
「そうそう。あいつも文系苦手だから誘ったんだけど………、ダメだったか?」
「ううん。そんなことないよ」
咄嗟に笑顔を作ってうなずく。
「慶のうち?」
「ああ、山崎んちうちとわりと近いんだよ」
「そっか。わかった」
席に戻りながら、血が逆流していく感覚に倒れそうになる。
(慶は………友達が多い)
知ってる。そんなこと。
慶は「たくさんの」友達と仲が良いんだ。
でも、以前、慶と中学が一緒だった荻野さんが教えてくれた。
『珍しいよ。渋谷君と一対一で友達してる桜井君って』
そう。おれは特別。慶って名前で呼ぶのもおれにだけ許されてる。おれは慶の特別。慶の親友。慶の一番。慶の……
でも、最近………慶と二人きりになる回数が激減した。
どうして? どうして? 慶……
(もしかして…………)
おれのこの醜い独占欲に気がついた? それで、嫌になって、おれと二人きりにならないようにしてるの?
いや………きっとそんなこと関係ない。ただ単に、おれは……
(格下げ、だ)
そうだ。ただの『友達』に、格下げになったんだろう………。
中間テストの勉強は、結局その一回以外、一緒にはやらなかった。お互い、学校側には内緒で放課後も委員の仕事をしていたから都合が合わなかった、ということもあるけど、それだけが理由かと問われたら………
中間テストが無事(いや、あまり無事ではない。結果がこわい)終わり、通常シフトに戻った土曜日。文化祭まではちょうどあと一週間だ。
部活の帰り道、いつものように慶のうちの前まで行き………
(どうしよう………)
門の前で考えこんでしまう。
今までは、こうやって帰り道に少しだけ寄って、遊んだりしてきた。慶が実行委員長になってからは、遊べていなかったんだけど………
(部屋の電気ついてるな……)
ということは、もう帰ってきているってことだ。
(格下げになったおれが、一人で遊びにくるなんて、図々しいよな……)
やっぱり帰ろう。
そう思って、ペダルをこぎだそうとしたところ、
「浩介!」
「!」
涼やかな声にドキッとする。見上げると、慶が満面の笑みで手を振ってくれている。
「遅かったなー?」
「う………うん」
「ちょっと上がって待っててくれ!」
待ってる?
よく分からないけれども、いつもの場所に自転車を止めて、玄関に向かおうとしたところで、
「浩介!」
「………」
再びの、嬉しそうな声。玄関が勝手に開いて、ニコニコの慶が手を差し伸べてくれている。
(ああ……やっぱり……)
ほら、やっぱりおれは特別なんじゃないか? こんな笑顔で迎えてくれるなんて。
格下げになった、なんて、勘違いで、おれはまだ、慶の親友のままで……
「……お客さん?」
でも、玄関に入った途端、ゾワッとした。靴が多い……。
慶のうちは、いつも綺麗に整頓されているので、余計な靴が出ていたりしない。
だから、この余分な靴は……
慶は「ああ」と肯くと、
「安倍と石川さん。今日中に確認したいことがあってな。でも、もう終わるから。ちょっとだけ待っててくれるか?」
「あ……うん」
「先、上あがってて。おれ飲み物持ってくる~」
慶はご機嫌で台所へ行ってしまった。
安倍と石川さん……本部委員の二人ってことか。階段をゆっくり上りながら、頭の中で素早く会話をシミュレーションする。
(『もう来週だね。本部は本当に大変だね』………とか何とかやってれば、慶が帰ってくるだろう……)
よし、と心を決めて、慶の部屋のドアを開けると、
「お。桜井。お疲れー」
「安倍……」
勉強机の引き出しのあたりを背もたれにして座っている安倍。
そして………
「こんにちは」
こちらを振り返った女の子……
「!!」
途端にゾワゾワゾワっと筆舌に尽くしがたい嫌悪感が体中を駆け巡った。
(どうして………)
叫び出しそうになるのを必死に押さえる。
(どうして……っ)
手の平に爪が食い込むのも構わず、拳を握りしめた。そうしないと、叫んでしまいそうだった。
(どうして、そこに座っている!?)
そこは、おれの席だ。
ドアに背を向ける形で座るローテーブルの一辺は、おれの席だ。ずっとずっと前から、おれの席なのに……っ
どうして、どうして、どうして……っ
「ど……っ」
「なー浩介さー、すげーでけえ炭酸が売ってた自動販売機………」
「!」
階段をのぼる音と慶の声に、我に返る。
(落ち着け、落ち着け……っ)
必死に自制心を取り戻す。
「桜井? どうした?」
「あ……いや……」
安倍の問いに何とか首を振ったところで、
「浩介? どうした? 突っ立って」
「…………慶」
慶……慶……
慶、いつもと変わらないキレイな瞳……
深呼吸……深呼吸……
慶はおれの様子に気がついた風もなく、話を続けている。
「入れよ? でな、あの自動販売機こないだみたらもうあのサイズの炭酸売ってなくてさー」
「…………。もう秋だもんね」
「えーおれ秋でも冬でも飲むのになあ」
よいしょ、と慶がお盆をローテーブルの上におくと、
「あ、渋谷君、ありがとう~」
石川直子が、すかさずお盆から4つのコップをローテーブルの上に移した。
その上目遣い、はにかんだ笑顔………
「あれ………」
(なんだ……なんだっけ……前にも見たことが……)
先ほど感じたのとはまた違う、うなじのあたりがジリジリするような嫌な感じ………なんだっけ……
「どうした? さっきから」
「あ………いや…………」
慶がストン、といつもの席……ベッドを背もたれにした席に座った。安倍が気を利かせて、窓側に詰めてくれたから、おれは、勉強机を背もたれにする慶の向かいの席に…………
(…………無理だ)
再びどうしようもない嫌悪感が身体中を駆け巡る。
どうして、慶はいつもの席に座っているのに、おれは違うの? おれは慶にすぐに触れたいから、この斜め横の席にいつも座ってきたんだよ? おれの居場所なんてこうやって誰にでも簡単に取られちゃうものなの?
(この子がおれの代わり…………)
女の武器を最大限に利用します、といった笑顔の女の子……
(この子がおれの代わり………、と、あ!)
突然雷に打たれたような衝撃がきた。
(この子あの時の……っ)
思い出した!なぜ今まで気がつかなかったんだろう。
石川直子…………
慶と一年生の時の同級生だ。確か一年生の6月に、彼女の誕生会に慶が誘われたのだけれども、慶はおれと遊ぶからって断ってくれたのだ。
この目………あの時と同じ。この子、まだ慶のこと好きなんだ……。
華奢で可愛くて、慶のことを好きな女の子………
その子がおれの席に……おれの代わりに……
「ごめん、慶……」
気がついた時には口走っていた。
「おれ、やっぱ帰る……」
「え?」
キョトンとした慶の目の前で、せっかく入れてくれたオレンジジュースを一気飲みすると、
「ごちそうさま!」
呼び止められる前に、逃げるようにその場から立ち去った。
自転車を走らせながら叫ぶ。
「わーわーわーわーーーっっっ!!」
買い物袋を持ったおばちゃんに奇異の目で見られたけれども、気になんかしていられない。
叫ばないと、どうにかなってしまいそうだった。
おれはもう、慶の一番じゃない。
おれの代わりなんかいくらでもいる。
おれの席に可愛い女の子が座っていた。
おれはもういらない。
(でも、でも……っ)
慶……! 慶って呼んでいいのはおれだけだよ………その白い頬に触れていいのは…………
(慶………)
いつものサイクリングロード。いつも慶をのせて走ってたけど……
でももう、おれは慶のたくさんの友達の中の一人でしかない。おれは特別じゃない。
(慶………)
抱きしめてくれたのに……泣けっていってくれたのに………おれと遊ぶのが一番楽しいって………
この一年以上の思い出がたくさん甦ってきて、息が苦しくなってくる。
「慶………慶っ」
その名前を呼ぶ。
慶、慶、慶、慶……っ
………と、その時。
「だから止まれっつってんだろっ!」
「!?」
いきなり、後部座席を引っ張られて、前につんのめりそうになる。
な………っ!?
驚いて振り返ると、そこには…………汗だくの慶が。
「ちょっと…………休ませろ…………」
「うそ…………」
おれ、結構真面目に自転車漕いでたよ? それなのに追い付くなんて、なんて脚力………
でも、慶も相当本気で走ったらしく、まだ全然息が整わない。
「くっそ………炭酸飲みてえ……」
「あ………ちょっと待ってて。買ってくる」
確かこの先に自動販売機があった。自転車を走らせようとしたら、再び後部座席をつかまれた。
「待て。行くな。逃げるな。さすがのおれもこれ以上は走れねえ」
「………逃げないよ」
「逃げたじゃねえかよ」
「…………」
逃げた……のかな……。
「………じゃあ、乗って。一緒に行こう」
「おお」
慶は身軽に後ろに乗ったけれども、まだ辛そうだ。おれの背中に頭を預けて寄りかかっている。
「慶……どうして?」
「ああ?」
答える声も小さめ……。相当疲れたようだ。
「どうして追いかけてきたの?」
「そりゃ………追いかけるだろ普通。あんな風に帰られたら……」
「…………」
普通の人は自転車には追いつかないけどね……それを追いつけちゃうのが慶だよね……予想外のことでもやってのけちゃうすごい人……。
「あ~やっぱりここにも無いんだなあ。あのでけー炭酸」
「…………そうだね」
財布持ってないからお金貸して、という慶にお気に入りの炭酸飲料を買ってあげ、おれはコーヒーを買う。
「わ~コーヒー、おっとな~」
「それいつも言うよね」
「いつも思うんだよ」
おれ、コーヒー飲めるようになる日なんてくるのかなあ……、と、慶がブツブツ言っている。
(かわいいなあ………)
慶はかわいい。慶はかっこいい。慶はきれい。
こんな人がおれなんかのために全速力で走ってきてくれた………。
慶は飲んでようやく落ち着いたのか、黒目をクルクルとさせながらおれを見上げてきた。
「………で? お前、何で帰っちゃったんだよ? なんかあった?」
「それは…………」
何でって…………
「…………邪魔かなって思って」
「は? 邪魔じゃねえよ。」
「でも………」
いつもの席が空いてなかった、なんて子供じみたことはいえない。だって問題はそれだけじゃなくて………
「とにかく、せっかく来たのに帰るなよ。せっかくだから、安倍も入れて2対1………」
「いやだっ」
思わず叫んでしまった。慶がびっくりしたように目を丸くしている。でも、止まらない。
「え、いやってお前……」
「いやだっ絶対にいやだっ」
バスケの練習にまで他人を入れるの? そんなにおれと二人きりになりたくないの?
慶はそんなことにも気がつかないようで、眉を寄せておれを見上げてきた。
「お前、どうしたんだよ? 何か変……」
「変なのは慶のほうじゃんっ」
「……っ」
再び叫ぶと、慶がなぜか怯んだように口を結んだ。
「………変?」
「………………」
変、とは違うかな……でも、でも………っ
「何が変………」
「どうして二人きりで会ってくれないの?」
「……っ」
慶の目が見開かれた。
ああ、やっぱり、わざと二人きりにならないようにしてたんだ?
余計に我慢が出来なくなって、一気に気持ちを吐き出した。
「もう……っ、もう、おれ、慶の親友じゃなくなっちゃったの!?」
「!」
慶…………
ジュースを片手に固まってる………
おそろしいほどの長い沈黙………
「あの………」
耐えきれず、何か言おうとしたところで、
「慶!?」
崩れるように慶がしゃがみこんだ。驚いて声をあげると、
「いや、ごめん、大丈夫……」
慶は膝を抱えたまま、こちらを見上げた。
(慶……)
泣きそう……? いや、まさかね………。
おれも慶の横に一緒にしゃがみこむ。自動販売機の横。人通りは少ないので邪魔にはならないはず。
しばらくの沈黙の後、慶がボソッと言った。
「ああ………馬鹿だなあ………」
「え?」
「おれたち、親友なのにな……」
「………え」
親友……って、言ってくれた……。
言ってくれたよね? 今?
「慶……っ」
嬉しくて、抱きつこうとしたけれど、慶の真剣な言葉の続きに、手を止めた。
「ごめん……おれ、こわかったんだよ」
「……え?」
こわいって……
「おれ最近、お前に執着し過ぎてて……、それでお前に嫌われたりしたらって………」
「え? は? えええっ?」
意外過ぎる言葉に我が耳を疑う。嫌われたりしたら?? 意味が分からないっ
「第三者がいれば冷静でいられるっていうか……、だから最近は誰かしらと一緒に………、ちょっ浩介っ」
「もーーーっ慶のばかーーーっ」
我慢できなくて、ぎゅうぎゅうぎゅうっと抱きつく。
「おれ、本当に悩んだんだからねっ。おれ何かしちゃったのかなあ、とか、ただの友達に格下げになっちゃったのかなあ、とかっ」
「格下げ? なんだそりゃ」
「だってーー」
人通りはないとはいえ、こんな往来なのに、慶は珍しく、されるがままにぎゅうぎゅうされてくれている。
「おれが慶を嫌いになるなんて、そんなことあるわけないでしょ? 何があっても、ずっとずっとずーっと大好きだよ?」
「………そっか」
ふっと肩の力を抜いた慶。
「そうだな……」
「そうだよ」
言い切ると、慶は真っ直ぐにおれを見つめてきた。切ない………光……
「……ありがとな」
「?」
よく分からないけれども、返事の代わりに再び抱きしめると、慶はやっぱり珍しくされるがままでいてくれた。
色々なモヤモヤがすべて解決したわけではないけれど、とりあえず、慶の『親友』ということは確認できたから、気持ち的にはすごく落ち着いた。
文化祭まであと数日。とにかく忙しい。おれも慶も。でも、今は隙間の時間を探しだして、ほんの数分だけでも二人きりで話すようにしてる。おれたちは、お互いを必要としている。おれたちは最高の親友………
せっかくそうして順調だったのに………
自分の間の悪さを呪いたくなる。
文化祭の三日前、偶然、目撃してしまったのだ。
慶が、真理子ちゃんを抱きしめているところを………
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