最近、また、慶の様子が変だ。
おれが触ろうとするのを避けている気がする。
以前にも同じようなこと……慶がおれと二人きりになるのを避けたことがあった。理由を問いつめたら、おれに執着し過ぎて嫌われないため、という意味の分からない理由を言われた。おれ的には執着してくれた方が嬉しいんだけど……。
今回はなんだろう。今まで通り話しかけてくれるし、今まで以上に一緒にはいる。ただ触らせてくれないのだ。触ろうとすると、ふっと避けられたり、手で軽く払いのけられたりして………。
やっぱり原因はあれだろうか………後夜祭でのキス。
後夜祭で、おれと慶はキスをした。
おれはもちろん初めてのことで、想像を遥かに越えた気持ち良さに呆然としてしまったんだけど……
慶は、中学時代モテモテだったというし、キスの経験くらいあったんだろう。
翌々日、慶はいつもとまったく変わらない爽やかさで現れて……緊張していたおれが馬鹿みたいだった。
あれからそのキスの話はしていない。慶にとっては何でもないこと……あの場の雰囲気に流されてしちゃっただけのことなのに、それを今さら言って呆れられるのも嫌だな……と思ったからだ。
でも、おれにとっては大事件だった。キスがあんなに、体が震えるほど気持ちいいものだったなんて……。
おれは昔から対人潔癖症なところがあって、人の触ったもの……例えば電車の吊革とかにつかまることが苦手だ。
バスケ部内で、ジュースの回し飲みとかすることがあるんだけど、それも本当はすごく嫌で、飲んだふりをして次の人に回してしまうこともしばしばだ。
だから、キスなんて一生できないと思っていた。
片想いをしていた美幸さんに対してさえ、キスするとかそういうことをまったく想像できなかったのは、潔癖症が原因なのかなあとは薄々思ってはいた。
それが、慶とのキスは………
なんなんだあれは。唇と唇を合わせただけなのに、愛しさがつのって心臓がぎゅっとなって………ふわふわ気持ちよくて……。
他の人としてもそう思うんだろうか?
そう考えて、あのキスを他の人……美幸さんとか真理子ちゃんとかに置き換えてみた、けれども………
(ちょっと……気持ち悪い)
ものすごく失礼なんだけど、そんなことを思ってしまった。
(慶だから大丈夫なんだ……)
慶だから。
でも、親友なのに。男同士なのに……。
それ以上のことを突き詰めて考えると、今までの関係を続けられなくなりそうで怖い。
だからあまり深く考えるのはやめよう。今まで通りでいよう。そう思っていたのに……。
よくよく考えてみると、触らせてくれなくなったのは、期末テスト一週間前の、英語の授業の後からだ。
あの時、慶がおれのことをちゃんと見てくれているってことに感動して……
(……キス、したい)
そう思ってしまって、我慢できなくて唇に指で触れた。でも、触れただけで我慢した。
考えてみたら、あれからだ。慶がおれが触ることを避けるようになったのは。
おれがキスしたい、なんて思ったのがバレたんだろうか。そもそも、後夜祭でキスなんかしたせいじゃないだろうか……。
でも、それ以外は今まで通りだ。今まで通り、仲の良い親友。だから何も不満はない………はずだったのに。
***
あと一週間で2学期が終わる。
「今日の体育、楽しみだな!」
慶は朝からずっと機嫌がいい。今日の4時間目の体育でバスケをやるのがそうとう楽しみらしい。
「おれ、お前と同じチームでバスケ、ずっとずっとやりたかったんだよー!」
そんな嬉しいことを言ってくれている。
体育は男女別のため、2クラス合同で行われる(だから、慶が毛嫌いしている隣のクラスの上岡武史とも一緒だ)。
普段、体育は出席番号順で区切られた5人組の班で行動している。おれと慶は11、12と出席番号が続いているので同じ班だ。だから、
「いつもの練習の成果を見せつけてやろうな! おれ達ゴールデンコンビのな!」
と、張り切って言っていたのに………。
「上野先生………」
慶が気の毒なくらいガックリしている。
「どうしていつもの班じゃないんですか……」
「いつもの班だと、実力にバラツキがありすぎるだろ。そこで、おれが独断と偏見でチーム分けをした!」
得意そうな上野先生に、慶が食ってかかる。
「じゃあ、何でおれと武史を同じチームにしたんですか! おれ達仲悪いの先生だって知ってるでしょ!」
「わざとだ」
ケロリと言う上野先生。
「これをきっかけに仲直りしろ」
「そんなの無理っ」
「まあ、おれが個人的に、かつての緑中コンビを見たかったってのもあるんだけどな。お前ら中学の時、コート内では良いコンビだっただろ」
「……………」
慶と上岡武史は中学時代、同じバスケ部でプレーをしていた。でも当時からものすごく仲が悪くて、殴りあいの喧嘩を何度もしたことがあるらしい。
上岡の方は、もう仲良くしたいと思っているんだけど、慶は、上岡がいるからバスケ部に入らなかったくらい、まだまだ嫌っている。
上野先生は、バスケ部顧問をしている関係か、中学時代の二人のことを知っていた。
おれも一度だけ二人の試合を見たことがある。何も言わずに連携が取れていて、まさかプライベートではそんなに仲が悪いなんて想像もできない感じだった。
そんな二人の、2年以上ぶりの連携プレーは………
「うわっすっげー」
「かっけー!!」
歓声が上がっている。おれはもう一つのコートで審判をやっていたので、見ることができなかったんだけど、確実に慶と上岡のことだ。
見たい。のに、見れない。
今回、8チームに分けられ、4チーム1ブロックで総当たり戦をして、それぞれのブロックの1位のチーム同士が最後に試合をすることになっている。
慶のチームとおれのチームはブロックが違うので、審判や試合で慶達の試合を見れないまま総当たり戦は終了してしまった。
でも、お互いブロック優勝したので、最後に試合をすることになった。
慶、目が完全に戦闘モードに入っている。
こちらのチームの面子を見ながら、上岡と何かコソコソ話している……
(仲良いじゃん……)
なんだか複雑………
「桜井、渋谷が突っ込んできたら渋谷について」
「あ、うん………」
同じチームの斉藤に言われうなずく。そうは言っても、いまだかつて慶に勝ったためしがない。悪い予感しかしないんだけど……。
悪い予感を払拭できないまま試合ははじまった。
「すげーっ」
「渋谷はえー!」
ギャラリーはものすごく盛り上がっているけれど、試合をしているこっちはたまったもんじゃない。
慶と上岡は、バスケ部員であるおれと斉藤以外のメンバーのいる場所をとことん狙って攻めてくる。「渋谷が突っ込んできたら渋谷について」と言われていたけれど、あまりにも速くて対応しきれない。
こちらも何とか攻め返すけれども、慶と上岡の反応が速すぎてすぐに止められてしまう。
(くそ……っ)
ゴールを決める度、こちらのゴールを阻止する度、慶と上岡がハイタッチをする。慶が無表情なのがまだ救いだけど、その姿を見る度に腸が煮えくり返ってどうしようもなくなる。どうしておれじゃない? どうしてそこにいるのがおれじゃないんだ……
「残り1分!」
試合時間が短すぎる。二人の攻撃の癖を見抜く前に終わってしまう。
(あ、そうか)
でも、おれは慶の癖は知ってるじゃないか。慶の得意なシュートコースも知ってるじゃないか。
ゆっくりとドリブルをしながらどう攻めるか考えている風の上岡……
そこへ慶がサッと走りこんだ。走る先を分かっていたかのように鋭いパスを送る上岡。当然パスは繋がる。でも……っ
(ここだっ)
慶よりも先にゴール前に入りこみ、立ちふさがる。慶がシュートしようとジャンプした先に手を伸ばし……
「え……」
ニッと慶が笑った。これ、もしかして………っ
「!」
慶がおれから視線を逸らさずジャンプをしたまま、ふっと斜め後ろにパスをした。そこにはいつの間にか上岡がいて……
(やられた!)
ノーマークの上岡が楽々とシュートを決めた。
うわあああっと歓声があがる。
「うわー!なんだ今の!」
「かっこよすぎ!」
歓声の中で試合終了のホイッスルが鳴った。当然おれたちのチームの負けだ。
(あれは……)
最後のあのフェイント……中学の時に見た。あの時も慶がパスした先には上岡がいた。緑中コンビ……
「渋谷ナイスパス!」
「ナイシュー武史」
慶と上岡が両手でハイタッチしてる。そして……
「お前まだまだ現役いけるじゃん。やっぱバスケ部入れよ」
「やなこった。お前がいるから入んねーよっ」
「なんでだよー!」
上岡が慶の頭をくしゃくしゃとして……、慶……笑ってる……
「慶………」
どうしておれじゃない奴が慶の頭なでてるんだ?
どうしてそこにいるのがおれじゃないんだ?
どうしてあのパスをもらうのがおれじゃないんだ?
どうして、どうして慶、笑ってるんだよ。
どうして上岡の手を払いのけないんだよ。
どうして頭なでられたままでいるんだよ。
どうしておれ以外の奴に笑いかけてるんだよ。
どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうして……っ
嫌だ……っ 慶……っ
「くっそおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
こらえきれなくて、腹の底から出てしまった叫びに……
「あ……」
体育館の中がシーンと静まり返ってしまった……
し、しまった……っ おれ、何叫んでるんだ……っ
「うわ……びっくりしたー桜井がキレたー」
お調子者の溝部が沈黙を破ってくれたので助かった。次々に「初めてみた!」だの「そんなにムキにならんでもっ」だのみんなに口々に言われ、最後に上野先生から、
「桜井、お前は部活でもそのくらいのガッツ見せろよ。そうすりゃスタメン上がれるぞ」
と言われて、「すみませーん」と頬をかいて誤魔化す。
「そんなに悔しかったかー?」
おれの気持ちなんか知らない慶が、おれの腕をポンポンとたたいて気軽に言ってくる。
「今度は同じチームでやりてえなあ?」
「………うん」
何とか肯いて、たたかれた腕をぎゅうっと掴む。そうしないと我慢できそうになかった。
(抱きしめたい。抱きしめたい。抱きしめたい……)
今すぐに慶を抱きしめたい。痛いと悲鳴をあげさせるほど強く抱きしめたい。それから……それから……
(慶……)
おれは、どうかしている……
***
放課後、2人で写真部に顔を出した。引退したはずの橘先輩も普通に来ている。橘先輩は稼業を継ぐため進学はしないので、受験とは無縁で暇なのだそうだ。
「あのポスターも、展示自体も評判良かったから、新規の部員が増えてくれるかと思ったのに……」
「誰もこないねえ……」
橘先輩の妹の真理子ちゃんと、慶の妹の南ちゃんが、ジュースを飲みながらぼやいている。そこへ橘先輩がいつものようにカメラをいじりながら、ボソッと爆弾発言をした。
「OBの先輩方とも話したんだが……この部は今年で廃部にすべきだと思っている」
「え……」
廃部って……
「かつては人数も多くて、コンクールで金賞をとるほどの実力のあった部だ。過去の栄光が傷つく前に華やかに撤退というのもありだな、と……」
「なにそれ……」
一同、キョトンとしてしまう……
「まあ、年明けにOBの先輩方も集めて話し合いをするから、それまでに考えておいてくれ」
「考えてって……」
突然の話で言葉をなくてしてしまう。でも、確かに、橘先輩が卒業してしまったら、まったくのド素人の集団でしかなくなってしまう。顧問の中森先生はまったくあてにならないし、自分たちでどうにかしようといっても、質が落ちるのは目に見えている。それに、部員最低人数の5人を確保するために新入部員に入ってもらわなくてはならないが、入ってくれたとしてもその指導を誰がするんだ?という話も……
「過去の栄光作品、見ます? 私この前整理したんですよ」
「わあ、みるみる」
真理子ちゃんの誘いに、渋谷兄妹が食いついて、ダンボールからパネルを出し始めた。
「あ、渋谷先輩、こういうの好きじゃないですか?」
「おおっ!かっこいー」
慶と真理子ちゃん、あいかわらず仲が良い……。
二人でああでもない、こうでもない、と話しながら一緒に写真を見ている……
(慶……楽しそう…)
ぼんやりと眺めながら……
腹の内側がグツグツと煮えたぎってくるのを止められない。
(慶……真理子ちゃんを抱きしめてたんだよな……)
文化祭前に見てしまった映像が甦る。あれは真理子ちゃんを慰めていただけだと言っていたけれど………
慶の真理子ちゃんをみる優しそうな目。頬を紅潮させながら慶を見上げる真理子ちゃん……
(お似合いだな……お似合い、だけど……)
慶が誰かに笑いかけるのが嫌だ。嫌だ……
(!)
心臓がぎゅうっと掴まれたようになる。
真理子ちゃんが慶の腕に触れた……
(やめろ……)
慶に触るな。慶に近づくな。慶に笑いかけるな。
(慶………)
微笑み返さないで。おれ以外の人間にそんな顔見せないで。
おれのことは避けるくせに、他の人には触らせるのはどうして? 慶、おれのことが嫌? キスなんかしたから? だから避けるの?
慶……慶……っ
「……え?」
突然、真横でシャッター音がした。
橘先輩が、カメラを構えて立っている。
今、おれを撮った……?
「先輩、今……」
「いい顔してるな、お前」
「え」
きょとんとしたおれに、橘先輩がボソボソとつぶやくように言った。
「今の写真に題名をつけるなら……『嫉妬』」
「……」
嫉妬……
「今の写真なら、あの文化祭のポスターに載せられたな」
「え?」
文化祭のポスターとは、『恋せよ写真部』と煽り文句のついた2枚の写真のことだ。一枚は慶が微笑んでいる写真。もう一枚は真理子ちゃんが泣いている写真。
橘先輩は淡々と、おれだけに聞こえるような小さな声で続ける。
「あれは恋愛の『喜怒哀楽』を表現しようとしたものだからな。渋谷の写真が『喜』、真理子の写真が『哀』。今のお前の写真なら『怒』として載せられた」
「怒……?」
恋愛の……怒……?
「お前、今、嫉妬に怒り狂った恋する男の顔をしてるぞ?」
「え………」
恋する男……?
誰が……誰に……?
「カメラはウソをつかないからな」
橘先輩はそれだけいうと、暗室に入っていってしまった。
その姿を目で追っていき、再び慶と真理子ちゃんの姿が視界に入ってしまう……
「…………」
心臓が痛い。耐えられなくて胸のあたりをぎゅうっと掴む。
(慶………)
おれは……おれは………
(慶………)
あなたに触れたい。
これは……この思いは……
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お読みくださりありがとうございました!
次回は、以前公開していて今は非公開にしている2014年12月10日に書いた読みきりを加筆修正します。
いらっしゃらないとは思うのですが、前にそれ読んだよ!という方いらっしゃいましたらスミマセン……。
続きは明後日。どうぞよろしくお願いいたします。
クリックしてくださった方、本当にありがとうございます!ものすごく励まされています!次回もどうぞよろしくお願いいたします。ご新規の方もどうぞよろしくお願いいたします!
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