4年前のこの日に、突然、立てなくなった。朝はいつも通り16キロ走って仕事に行った(寝違えたのかなというぐらい首やら肩やらが痛かったのは覚えている)。でも昼には階段を下りるのに難儀して、帰りはとうとう初めて職場までヨメさんに迎えに来てもらい。
で、夜の12時前に完全に足が動かなくなって救急車を呼んだ。あっという間。そして。
せきそんになって退院して2年位はやたらとあちこち行っていた。今考えると、本当に義務のように行っていた。
せきそんになってできなくなったものを取り戻すべく、なんだろう。去年のこの日のブログにはひたすら悔しい気持ちがある。それは今もある。
ただ、丁度コロナが流行り始めたときに、ヤフオクで三輪車レーサーを入手し、競技用の面白さに気付いた(「コロナ給付金を活用させていただきました」ご参照ください)。それが少し転機にはなった。
カーボンレーサーに乗るようになってからは、その難しさに手を焼きつつも毎週末チャレンジできている。
いつの間にか、あちこち行きたいという気持ちが(あるにはあるが)以前ほどではないことに気付く。
カーボンレーサーに乗ることだけでなく、退院して2年でいろいろやってみて、例えば思いついて即途中下車ができないとか、駅や空港では昇降の依頼をするので時間がかかるとか酒が呑めないとか制約はあるが、一応、車椅子でもそれなりに移動はできるということで気持ちが落ち着いたのは大きい。
そして、カーボンの存在ということになる。ここは健常者にはできない自分だけしかできない場所だということが物凄く大きい。
実際、障がい者になって見ることができる景色は少なくなっている。階段はおろか坂の傾斜が急なだけで行けないこともある。
実際、いつも通っている自転車道の川も、河原に降りることはできない。向こうに渡るには橋を使えばいい、でも河原を降りて行ってみる冒険は、車椅子には選択ができない。
健常者には微妙な差なのかもしれないが、障がい者には結構な差である。
だから、健常者ならいつでも見ることができる景色でも自分のような立場なら結構貴重な景色になる。
そして、健常者には感じることのできない景色なのだと思う。
そのうえで、まだまだいろんなところにいきたいとおもう。
で、夜の12時前に完全に足が動かなくなって救急車を呼んだ。あっという間。そして。
せきそんになって退院して2年位はやたらとあちこち行っていた。今考えると、本当に義務のように行っていた。
せきそんになってできなくなったものを取り戻すべく、なんだろう。去年のこの日のブログにはひたすら悔しい気持ちがある。それは今もある。
ただ、丁度コロナが流行り始めたときに、ヤフオクで三輪車レーサーを入手し、競技用の面白さに気付いた(「コロナ給付金を活用させていただきました」ご参照ください)。それが少し転機にはなった。
カーボンレーサーに乗るようになってからは、その難しさに手を焼きつつも毎週末チャレンジできている。
いつの間にか、あちこち行きたいという気持ちが(あるにはあるが)以前ほどではないことに気付く。
カーボンレーサーに乗ることだけでなく、退院して2年でいろいろやってみて、例えば思いついて即途中下車ができないとか、駅や空港では昇降の依頼をするので時間がかかるとか酒が呑めないとか制約はあるが、一応、車椅子でもそれなりに移動はできるということで気持ちが落ち着いたのは大きい。
そして、カーボンの存在ということになる。ここは健常者にはできない自分だけしかできない場所だということが物凄く大きい。
実際、障がい者になって見ることができる景色は少なくなっている。階段はおろか坂の傾斜が急なだけで行けないこともある。
実際、いつも通っている自転車道の川も、河原に降りることはできない。向こうに渡るには橋を使えばいい、でも河原を降りて行ってみる冒険は、車椅子には選択ができない。
健常者には微妙な差なのかもしれないが、障がい者には結構な差である。
だから、健常者ならいつでも見ることができる景色でも自分のような立場なら結構貴重な景色になる。
そして、健常者には感じることのできない景色なのだと思う。
そのうえで、まだまだいろんなところにいきたいとおもう。