きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

雨でも風でもなく体調不良?

2015-04-15 22:22:00 | 徒然に2014-2015
今日の出勤ラン16キロは2時間20分かかった。

犬の散歩の途中、急激に降り出した雨に会い3匹とともにびしょびしょになったのが始まりか。4号は寒いとだだをこね珍しく部屋に入りたがったし、儂も早朝ランをパスして朝御飯食べているうちに体が冷えてきて。出発時は、結構な向かい風で、何だか体が重いというより前に進まんなあと思いつつ走り始める。ところが気がつけば胃が重い。
3キロ過ぎのローソン、5キロ手前のファミマ、6キロ過ぎのサークルK、8キロ過ぎのローソン、11キロ手前のセブンと5回もコンビニに入ることに。完全制覇を目指した訳ではない。腹を壊したらしい。

で、賞味期限当日の豆腐一丁冷や奴仕様と、消費期限3日経ったメンチカツと、開封5日期限切れ4日の牛乳と、果たしてどれがいけなかったのか分からないが。あるいは、昨日久々の泊まり勤務で体調がイマイチだったか。昨日実家で貰って来た筍はそれほどドカ食いはしていないし。

にしても、通勤ランで、こんなに短いインターバルでトイレに駆け込んだことはない。せっかく早めに出たのに、と思ったが、よくよく考えれば早めに出てラッキーだったのかもしれない。
とにかく今日はさすがに電車に乗ろうかと思っていたが、トイレに行った関係で、目指していた電車に間に合わなくなった。体力に余裕はないがまだ時間に余裕はある。
仕方がなく前に進む。

さすがに最後のセブンで大丈夫になった、というより、時間に間に合わないと思ったため、ここからペースあげる。よって最後の5キロは25分と少し。やや向かい風が残っていたが上出来。
ちなみに11キロまでは約2時間弱。そらそうやろ。
で何事もなかったかの時刻に到着。

コンビニ5回で600円を超える。えらく高い出勤ランになった。電車にとっとと乗った方がよかったのかもしれない(普通に考えてもそうだろう)が、悪いモノが残らず体から出た感じはする(それでも基準値プラス0.5キロ)ので、結果オーライか。
ペース走もできたし、あきらめないで結果が出るとまだやれると云う気になるな(大袈裟な・・・)。
でも実はまだ胃が痛い。
昼御飯は普通に食べたが、まだ痛い。
よって、今日はワンクッション置かずに(隣駅で麦摂らずに)帰宅。
こういう日もある。

異変というくらい雨が多い

2015-04-14 19:33:00 | 徒然に2014-2015
この冬はよく雨が降った。

朝の天気チェックも、見たところで止めにしたりする訳ではないから無駄なあがきなのかもしれない。

これまでのシーズンと明らかに違うと感じるのは
1 雨の日の多さ
2 予報時点の雨マークの多さ
3 量の多さ
4 何故か愛媛だけ降る日の多さ
5 強い逆風の多さ
6 出勤ラン時間帯を狙って降ってくるヤツの多さ
だろうか。

下部の広告より雨である。こう多いと気は滅入るし腹はたつし、である。
春になってもこの状況が続いている。
何とかならんか、もう。

数日前は、早朝ランのパターン崩して雨が上がっている時間帯に一気に。

それでも最後には捕まったか。

まだまだ続きそうである。
根比べ、か。

背広で走る ~東京ちょこちょこその3・目白近辺

2015-04-13 22:55:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
といっても実際は巣鴨から目白辺りになりますが。

泊まっていたホテルが目白だったのでこの括りで。

ここはまだ巣鴨の駅前。賑やかである。

都会の渋滞。

でもどこ走っているか分かりません。

なので、護国寺と言われてもよく分からんかったのですが。

結構でかい寺でした。

この日の夜、池袋の駅で待ち合わせがあったのでとことこと。

ホテルはすぐ近くがもう新宿。

待ち合わせ場所に到着。

儂は店に入るより、この広場で缶麦呑みたかったのだが、相手はそういう趣味ではないので断念。

翌朝、昨日の道を一本外れる。

これが鬼子母神か。実在するとは知らんかった。

落ち着いた雰囲気である。

近くのお墓の傍を通る。この日は荷物が大きくてところどころ歩いた。

古くからの江戸って感じであった。







風呂に行く

2015-04-12 16:35:35 | 徒然に2014-2015
今日も仕事に行く予定だったが、諸事情で断念。
久々に風呂に行きたくなり、近場の風呂屋までラン。

着いた空いてると思ったら、まだ開いてなかった。ここより100円高いが近くの風呂屋までさらに走る。

到着は昼前。人が少なく、ラッキーだった。

頑張って約2時間弱、露天をベースにしながら歩きをいれたり、ジェットバスやらサウナやら入ったり、頑張った。1時間経たずしてばてばてだったが、何とか頑張った。

昔、子供が小さい時に何度か来たが、風呂の種類も増えて良かった。少々高いが価値あるな。また来るか。

麦も用意してあるのは良心的。値段は張るが、まあ、機会があれば。

ということで、結局、バスにも乗らず、最寄り駅まで20分歩いて麦。ウエイトは約1.5キロ減らして、目標値以下になったので、とりあえず気分良く頂く。

ネズミのバルサンたいたとヨメさんから連絡があり、さらに別のコンビニに移動して呑む。
帰ったら、一仕事せないかんな。まあいいか。
風呂もたまにはいいなあと思った次第。

久々休日出勤

2015-04-11 16:30:00 | 徒然に2014-2015
朝方はまだ寒かった。

まだそんなに目的意識持ってなかったが、ひとつ取り掛かると次々にしなければならないことが押し寄せて来る。
新年度のばたばたで頭の中が整理されてなかったのだろう。
仕事を進める上で、いろんな障壁は実際あるが、やらな進まんのだからいろんなことを無視して進めるようにする。常日頃気にしている、ベストではなくベターで、ということ。
周りから見れば疑問詞がつくのだろうが、これでも性格的にはベストを追い求めるから。
昨日は、未明まで呑み(しかも家で)、朝は頭が回らずつらいなあと思いつつ、それでも仕事場に着けばそれなりに動く。但し今日のランは5キロのみ。自分が気にし過ぎなければ充分可。

暖かい日差しの中、慰労した。いろいろなことに感謝しつつ。

暖かいというだけで些細なことを気にしないで頑張ろうかという気持ちになるなあ。

やれやれおつかれさま

2015-04-10 21:15:00 | 徒然に2014-2015
雨の中、ちゃんと走った。
仕事も、ちゃんとやった。
待ちに待ったきんようび。

ポンタで。

高い麦。つまみも豪華で千円以上する!

千円で酔っ払うには、麦では難しい。
時間が中途半端だったので。

ワンクッション置くべく隣駅。
おつかれさま。
さあ、おうちに帰って、呑むか。

本当は大好きな糖質類

2015-04-09 21:43:00 | 徒然に2014-2015
愛媛マラソン前のお楽しみが、カーボローディングだったりする。本当は甘いもん大好きだったりする。

例えば「かりんとう」が好き。

「黒棒」はマラソン前に喰う。

糖質量が高いので、エネルギー転換はいい。

昔よく食べていたロールケーキ。カロリーばかり気にしていたが糖質量のものすごいこと。

一つ食べても700カロリー超で糖質量は3ケタ。
それでも良い眺めである。

本当は御飯もんも好き。これは今年食べた恵方。普段は夜に米は喰わんのだが。

こういう感じで朝作る。

スペシャルである。

マラソン前は夜も解禁。

糖質制限しているから、幻覚見るのかな、と。
今日など脚が出ん。まあこれは制限前からあったこと。ただ、時々起こる立ちくらみとの関連は不明。

毎年思う。早くマラソン3日前にならんかな、と。至福のときかもな。
当日は嫌なんだが。
食べ過ぎて体重は増え過ぎているし、胃が持たれているし。
何より至福の時間が終わるし。
因みに、また今年もエイドの団子は頂けず。
あの時点で余裕がないのに加え、胃が持たれているのも大きい。

忙しかった今週も後1日。
頑張りましょう。

糖質制限について

2015-04-08 22:30:00 | 装備の話
今日は、朝の雨で早朝ランをパスした分、通勤ランは少しばかりのペース走。キロ5分半切るぐらい。久々に16キロを1時間半弱で。
帰りは、仕事が切れず、便が悪くなるギリギリで出て、ペースを上げ、運良く間に合う。
よって(何が「よって」か分からんが)、久々にセブンの糖質オフではない、通常の麦を頂いた。

ご褒美感満喫。まだ週の半ばだが。
最近、少し気になっていて糖質オフのばっかりということもあり、余計に旨い。

昨年夏。
ドラッグストアでもらったフリーペーパーには、人間の体は飢餓に対して備えるべく、血糖を上げようとするメカニズムが発達しているそうな。で最近の例えば日本の食事情とこのメカニズムは完全に合わなくなっている訳で。
血糖値が上がるということは、糖尿病のリスクが高まる。消費されない余った糖をためこむことで脂肪も増えるということらしい。
思えば、5年前の人間ドックの時は、血糖値が要注意と出た。走る距離が増えて、がつがつ食っていた時期である。しかも甘いもんを沢山。関係あるのかどうかはよく分からんが。

体に糖が「たまる」という云い方はなかなか的を射ている。本来こんなに要らんはずやでって。
で春から夏過ぎまで3ヶ月ぐらい、カロリー表示ではなく糖質量に気をつけて食っていた。その後もまだ、基本継続している。
食に関しては「区切り」が悪く、いつまでも尋常でない量を食う。だからこういうことについて気にする必要はあると思っている。食べる順番とかゆっくり目に食べるとか、そういうことも気をつけている。

儂は昔からぽっちゃりしていて、幼児体型で、高校の時は「腹」が出ていて。体重を気にするのはトラウマっぽいところもある。
1日の総カロリーの制限は、かなりストレスになるが、糖質制限なら食う内容を工夫すればいいだけなので、結構楽である。
タンパク質を摂ること、御飯は半分にすること、これだけを守り、かつ走行距離が伸びた辺りでやったので、秋口まで、見事に体脂肪率2%低下と約1キロの減量に成功した。
但し、維持できるかどうかは別である。

実を言えばリバウンドではないが秋口から体重も体脂肪も落ちにくくなった。
そして現在も、まあ、リバウンドまではいかないがそこそこのところで落ち着いている。
冬の事故以来酒量が莫迦みたいに増えたのは否定できない。まあ、一喜一憂しながらも、まだ半分ぐらいは何とか戻ってはいるが。
糖質制限を意識すると、体調は悪くはない、というか体が軽いと動きはいい。
尤も、粋すぎると体が疲れて動かない。この辺のバランスが難しかったりする。

因みに、週末の麦でむくんでいた体は、3日目の今日でようやく2キロ減。後、0.5キロで設定値に。
ただまああまり走るのは関係ないのかもしれんとも思うが。
気にし過ぎだし、実際何のために走っているのか分からんが、これぐらいは考えておかないと。実際走るのを辞めたら只のアル中でしかないし。
まあ、今年度ばガツガツやり過ぎないようにしようかとは思っているのだが。

独自のガラパゴス種

2015-04-07 21:19:08 | 徒然に2014-2015
要は「かなうち」なんである。

丁度大学で卒論書く頃にワープロが必要になり始め、特に意識せず打ち始めてからそのまんま。
ブラインドタッチとかは無理だが、多分それほど極端に遅くはないはずで。
でも、かな打ちなんです。

閑話休題。
仕事に使うPC2台、ビスタとリナックスを手放して10インチのタブレットを買う。PCの方が断然使いやすいが、最近タブレットでコト足りる(実際は機能的に今ひとつ足りないところが目につくのだが)ことしかしていない。

で、スマホ含めて3台。
スマホは、ソニーのキャリアとMVNO両方挿せる「デュアルSIМ対応」4インチ。
普段使いのタブレットは、NECの「軽量」7インチ但し「中古」。

今回仕事用に購入したのは、NECの「ビジネス用」10インチ。
どれもかなりのお値打ちだが、だからこそ使いこなしが鍵。
それぞれ癖がある。まあそれも含めてメジャーな機種ではない、ある意味ガラパゴス的。
タブレットは、キーボードがない。

今回の10インチの奴は、ATOKが入っているのでお値打ち感倍増だったが、よくよく調べてみると。
どっちにしても、アンドロイドには、かな打ちのキーボードがない、ということらしい。
せっかくブルートゥースでPCのキーボードからとばせる端子を買ったのに、同期に時間がかかるわ、設定弄ってやっとできたと思ったら、これである。
アンドロイド使えん、というより使えんのは儂か。

やがて、ATOK限定だが、「できるよ」の情報を得る。

かな打ちには肩身の狭い世の中になったなあ。10年前は職場にもかな打ちしている人が何人かいたんだが。
これからますます「かな打ち」人には肩身の狭い世の中になるなあ。

模擬株主優待

2015-04-06 22:40:00 | 徒然に2014-2015
ポンタが貯まる。

これ4ヶ月ぐらい前か。
で、ドカンと使わずに、日々、ローソンで「お試し」麦と引き換えた結果。

よく減った。
麦に換えるのは理由がある。第三なら60ポイントでいいよ、と言ってくれるのだから。
もちろん、目当てのモノがない店もあるが、かなり優秀。サンクスも似たようなのがあるが、お一人様一回限りだから、こちらの方が優秀。

で先日の神戸。まずはサークルKサンクスにてスポドリを50ポイントで。

そして、セブンイレブンでキャンペーンでもらったチケットを引き替え。

そして。

使ったポイントは半分以下である。
その上。

KIXカードで土産も少しばかり割り引いてもらう。

気分は株主優待。テレビに出てくる何とかさんは、もっと豪快に優待を受けているんだろう。
まあ、儂はローリスクローリターンが基本なので充分。

ただ今日は、ローソンに第三がなくて、いつものスーパーでポイント利用せずだったのだが。

良く良く考えれば、本物の麦が100ポイントで呑めるのだから、積極的に利用すべきだったかもと。
やはり基本貧乏性だなあと、つくづく思う。

後、ポイントとか電子マネーは、小銭が溜まらなくて楽だが、カードの枚数が増えて何とも、なあ、と思ったりする。

案外あっけなく

2015-04-05 10:00:00 | 徒然に2014-2015
死ぬ。

分かってはいる。
9月と1月の事故以来、やはりその辺りが頭の隅に残っている。ケガは大したことがなかったが1月にやられた時は、かなりきつかった(正直今も)。
本当に、死ぬときはあっけない。
事故前からたまたま始めていた「断捨離」に拍車がかかっている。
それでも。
理解していることと、同意していることは大きな乖離がある、ということはいえる。
分かってはいるけれど、納得はしていない。

昨日は、一昨日の歓迎会に起因していると思われる二日酔いもあり、朝から動きが鈍いのでランオフにし、モノの片付けとおひなさまの片付けで午前中を費やし、その後、正午前から呑み始める。

高い麦酒は本当に旨かった。満足である。
2本目からは、安い第三を瓶に移して呑む。
美味く感じる。

事実と感覚は異なる。

ようやく(というより奇跡的に)体重が戻ったのにな。
で、呑みながらいつものようにPCと向き合いネットを眺める。

よくみていた「デイリーポータルZ」のライターの方が亡くなったという記事を目にする。

その方は最近まで執筆をされていて、その記事を見ると自分の好みに合致しているというか、結構いい感じの記事を書かれている。
やはり2回事故で気付かされたのは「案外あっけなく」ということ。
でも、分かってはいるけど、認めたくないというのも本心である。

特に意識することなく、生きているということを前提として、なお模索している。

新入社員への話

2015-04-04 13:34:49 | 別に除けておきたいこと
3年前か。
機会があって、こういう話をした。

 時間を頂いて話をすることになりました。依頼されたテーマには「伝えたいこと」とありました。それを見て思いました。「伝える=コミュニケーション」これは実のところ相互の関係です。例えば、私が伝えたいと思っても、受け手が聞きたくないと思う場合、関係は成立しません。一方で、こういう場面で、ですが寝ていたから聞くことができなかったという場合も関係は成立しません。ただこれらは、どちらも相互の関係以前の問題があります。今回の場合、この時間、皆さんは聞くことが仕事になります。
 もちろん、受け手の側できこえないからきくことができなかった(声が小さくて聞き取れなかったみたいなことです)というのは次元が違う問題で、依頼する企画する側が解決すべき問題です(難聴である私は以前はこういう時に放っておかれることが少なからずありました)。
 で、ききたくなくてもきかなければならないみなさんに「聞け」というほどの話ができるかといえばそうではないです。私も強制されるのは嫌いです。ただ与えられた仕事として、最低限、みなさんが受け取った上で解釈を加えていただける材料を提供する必要はあります。
 私は、仕事を始めて22年目になります。もうすぐ大学卒業までと卒業してからの年数が同じになります。この職種で採用され、ほとんどこの「畑」で仕事をしてきました。そもそもこの職種は希望ではなく、いろいろな偶然やらタイミングやらもあって現在に至っていると思います。話をきく場合、講師が何を云うかよりも、講師がどんな人かの方が断然興味を持つものです。まだ、振り返る年齢ではないですが、やはり振り返りながら、自分の考えを述べさせていただくのがいいかと思っています。自分の中で結論が出ていない話もあります。後は受け手である皆さんに委ねます。

 私がこの分野の仕事を志向したのは、大学3年の「インターンシップ」の時に、部署内で他の方がやり取りしている声が聞こえなかったことについて、担当者に「それではこの仕事は無理である」と云われたことがきっかけです。この音声でのやり取りの必要性が比較的少ない分野での仕事を探し、現在のポジションにたどり着きました。今なら「きこえんのが無理とかいうの、そんなんおまえに言われたない(決められたくない)わ」とはっきりいえるんですが、当時はそこで妙に納得してしまいました。
 小さい頃から自身の「聞こえなさ(きこえなくさ)」を自覚していながらも、気付かれることはとても嫌でした。そして、不安でした。気付かれても決してそれを認めませんでした。当時は、きこえにくいという「障害」のある人が今ほど自由に大学に行ったり仕事を決めたりできる環境にはなかったわけです(本当です)。認めてしまうとアウトなので、必死でごまかしていました。難聴者のカテゴリーに入りたくない、ということまでは思ってなかったのですが、可能性を限定されるのはとても苦痛でした。聞こえにくいことは言わなくても言っても損、みたいな気持ちは今でもあります。誤解も多いです。
 補聴器をするようになったのは、採用後1年が過ぎてからです。学生でいる時は、自分が損するだけでも、仕事になると周囲に迷惑がかかるなあと感じるようになったからです(ということを一応理由にしています)。でも本当は、1年の「条件付き雇用」が終了し、かんたんにクビになることはなくなった、ということです(それぐらい、難聴であることの不利益は大きかったです)。

 私が、仕事を通して一貫して持ち続けたのは、自分がしたいとかしたくないという仕事の中身は別にして「仕事としてしなければならないこと」をまじめに取り組むこと、その時その時の与えられた役割をきちんと果たすということです。これは、よく聞かれる「クライエントを第一に」というフレーズのより以前の段階で、社会人として基本中の基本です。 一つ一つのことを丁寧に取り組むことが結果として微々たるものではあっても、その積み重ねが当事者であるクライエントに還元されるのかなあと最近思います。
 クライエントへの直接的な対応は、どちらかといえば苦手意識があり、器械を相手にしている方が何時間でもできるというのが正直なところです。ただ、若いときは、そういう部署には当然のことながら配属されず、10年ほどは、直接クライエントに対応する部署で仕事に励みました。 そのクライエントへの対応では、自分の至らなさを感じることが多かったです。相手にしてみれば、大学出たての兄ちゃんに何が分かる、みたいな感じだったのだろうと思います。いろいろなことばの使い方や、コミュニケーションのすれ違いなどがたまったのでしょうか、ある日あるクライエントから「もう結構です」と殴り書きのメモを突きつけられました。その日は、それこそ生まれて初めてショックで食事ができなかったことを覚えています。それは、単に反省ではなく、どうして、という気持ちでした。
 当時は、残念ながらそれが見えませんでした。
 それを一つ一つ理由を説明しても届かない。それは違うことだと私が言っても頑として受け入れない。それぞれものごとの理由があり関係があり背景があるのだと言うことを説明しようとするのですが、なかなか納得してもらえない。クライエントと信頼関係を作るというのは、なかなか難しいです。正直に言えば、この年になっても答えは未だにはっきりしません。スキルとかマニュアル的なものでは解決しない気もします。とはいえ、この年にいろいろな難しさを経験できたことで、以後の実践のベースができた気はしています。

 研修についてはそれなりに課題意識を持って取り組みました。自分の興味関心に関係なく、その時に担当していることをテーマにして、掘り下げて考えました。その時に、自分の興味がある分野を切り口として、少し違った視点から仮説を立て、研究レポートにまとめました。この時は、単にレポートを書くために研修をするのではなく、この機会をとらえて資料にあたり、仮説を立て、実践し、振り返り、再び実践するというプロセスを経て、自分のものにすることができたと考えています。その他の研修にしても、私の場合、既存の書式や様式ではなく、自分自身が考えた様式でレポートを書き、それを含めて批評してしてもらいました。
 既存のフォーマットから逸脱していたこともあり、こんなのレポートじゃないと職場の先輩に怒られることもありました。

 初任地から転勤後、少し経って、希望する補聴器調整等々を中心とした今の部署に配属されることになりました。といっても、今まで全くしたことがないので、毎日遅くまで測定器と向き合いました。今、同僚から「教えて」と言われる立場になっていますが、そのたびに「どこまでこの人は自分でやったんだろう」と思いながら話に応じています。自分に必要なことは、聞いてすませるだけではダメです。最低限、問題点を具体的に持っていないと人は教えてくれません。問題点を具体的にするということは、自分である程度は勉強しておかなければ話ができないし聞けないということであると思います。また、この時に、ST(言語聴覚士)の資格をとり、これとは別に合格率10数%という難関の資格試験にも合格しました。私は、大学受験より採用試験より、この時の試験勉強が人生で一番勉強した気がします。資格という目に見えるものを加えて、とりあえず相談にやってくるクライエントに安心される存在でありたいと思いました。

 私の好きなことばの一つに「質より量」というフレーズがあります。「量より質」ではありません。とりあえず量をこなして質に近づけるしかないなというのが現実ではないかと思います。

 13年後、一旦専門外の別の分野の職場に転勤になりました。ここに来られるクライエントの困り感、想いは、これまで担当していた方々のものとは違うと思いました。再び、直接クライエントと向き合うポジションに入り、試行錯誤しながら取り組みました。後で人づてに、そのときのクライエントが、これまでしてもらえなかったことをしてくれてありがたい、感謝していると言っていたことを聞きました。その内容は、私が専門でやってきた分野の延長で考えた内容で、その分野では的はずれなことなのかもしれないなと思っていたことだったのですが、クライエントの言葉から、結果として、それはそれで十分アリなんだろうと思いました。今までの蓄積も、いくつかは専門外の所でも、活かさせるのかなと思ったりもしました。

 4年前、再び今の職場に戻り、これまでより高い年齢層をクライエントに持つことになりました。自分自身の「きこえにくさに折り合いを付ける過程」を思い出しながら、向き合いました。話を聞いてくれるクライエント、拒否して絶対に目を合わせないクライエント、いろいろでした。それはそれでいいと思いました。直接の担当を離れてからようやく話しかけてくれるようになった方もいました。
 見えにくい難聴という障害は特にそうだと思うのですが、改善というのは正常化、つまり治るということではなく、あくまでQOLの改善です。ですから、聞こえないことと一生つきあう以上、どこかでその状態と折り合いを付け、周囲にも見えるものにしていく必要があるのは確かです。しかし、自身の経験からすれば、障害を周囲にカミングアウトするには環境が整っていないと孤立するのは変わりません。不利益を受けるだけと言うことも多いです。これらのことが、今、うまく説明できないかと四苦八苦しています。ここ数年、いろいろなところで聴覚障害についての話をする機会をいただくようになりましたが、まだまだうまく説明できないでいます。分かると言うことと説明できることのギャップを感じます。

 まとめです。私が考えるのは、すべてのことは単に仕事であるということです。目の前のことをやるだけです。言葉足らずな点がありますが、ここから先は受け手に委ねます。発信者である私もまた今日のことを自分に還しつつ反省しつつ前に進みます。ありがとうごさいました。

で。

まだ満開前の桜。先がまだあるこれぐらいの状態で頑張ろうと思ったりする。

背広で走る ~東京ちょこちょこその2・大塚近辺

2015-04-02 20:59:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
この街には、学生時代、実習で3週間通った。

都電が通るこの駅から来たのは最初の2、3日で、後は1つ向こうの「おばあちゃんの原宿」側から歩いていた。

駅前にあるこの店は、実習の最終日かその1日前かに担当の方にここに連れてきてもらった。

懐かしい。都電の傍。

めっちゃ奮発した、なあ。久々の拉麺。想像というか記憶していたよりスープはあっさりめ。
わざわざ、立ち寄りたくなったというのは、云いたくはないが、歳かな、と。というより本当のところは事故の影響かなぁ、と。死ぬ前にもう一回見ておきたいとか味わっておきたいとか。本来、面倒だからこういうのはしない方が多いはずなのだが。

腹がいっぱいになったので、とことこと走る。背広なので汗をかかない程度に。

都電のそばをとことん。

風呂屋の煙突。こういうのが残っているのか。

さらに進む。

それでもそんなに距離は走っていない。走り始めて確か二つめの駅。

電車が入ってくる。

駅は「甘味処」で、なかなか風情がある。立ち寄りはしないが、見るだけで充分。

この先で右折。

実習で通った懐かしの道が見える。充実していたのは確かだが、正直、睡眠不足で本当にグロッキー気味の日々だった。でも貴重な経験だった。

実習の時は1回も覗いたことはなかったのだが。

立ち寄ることにする。

ほお。
で、目的地へ。

東京に出てきても、目に付くのはこれだったりする。かわいい。

用が終わり、今回のコーディネートをしてくださった方(大学の先輩です本当に何から何までありがとうございました)に、寺近くの通りから少し離れた台湾のお店に連れて行ってもらう。

店の名前はそのまんま。料理を選んでいる時に、台湾人の「おかみさん」がいろいろと解説してくれた。
硬い硬い卵。「鉄玉子」一個150円。

以下、先輩のごちそうになる(土産の分まで大量にすみませんありがとうございました)。

角煮拉麺は無理と思い止めたが、これでもボリューム満点。美味いっす。

ここ、普通の御飯屋さんみたいな外見のお店。穴場です。ごちそうさまでした。

はるかなるさくら

2015-04-01 18:58:00 | 徒然に2014-2015
昨日の「標高差約七百メートル一気降り」で脚がいかん。
結構ハイペースで降りたらしい。時間の制約があって真剣に飛ばしたのは確かだが、かなり脚にきた。今日は雨もあって早朝ランはパス。でも、泥酔する程に呑んだ割には体重は前日比で3キロダウン(一寸ホッとした)。フル走った時よりものすごい落ち方をしているから、納得。
そう。
神戸М君、正解です、流石。

週末にかけての気温の高さと天気の崩れで今週末はもう見頃を過ぎるとか。
短いなあ。一年掛けてもそんなもんだと桜は云う(もっと凄いのは蝉なんだろうが)。

土曜日に行った公園の桜が、駅から見ても華やかになっているのが分かる。
今日は天気も今ひとつだし、昨日家人に我儘を云って遠出をしたので、駅のベンチで遠くから愛でながら、缶麦ショート1本のみ。

明日、余裕があるだろうか。
気分ははるかなるさくら、である。