あるお宅に伺ったときのこと。
その方は80代後半の男性。
一人暮らしです。
(多少設定は変えています)
こちらの要件が終わって、
「ではお茶でも~~」とその方が
立ち上がったので、
「やりましょうか」と腰を浮かせた私に、
一緒にいった女性が、
「手は出さないでね」と、きっぱり一言。
「00さん、お年寄りと一緒に
暮らしたことないでしょう」
00さんは、わたくしの名前です。
高村光太郎の「手」という作品。
そうかも。
両親とも、病気で亡くなったので、
元気なときはともかく、
病院にいるか家で寝ているときしか
一緒にいなかった。
「~~ご自分で動けるうちは、なんでも自分で
やったほうがいいのよ」とその人。
お茶の用意、宛名書き、歩き~~。
「なんでもやってあげたほうが親切なように
思えるけど、そうじゃないの。
自分でやるほうが楽、見ているほうが
じれったい、つい手を出したくなるけど、
そこは抑えてね」
祈る手。
そうだ、子供がまだ小さいときも、
家事など、子供がやるのを見ていられなくて、
つい手を出してしまった。
そのせいで、長じてから、家事など
自分でやらない男の子になってしまって、
後悔、反省した覚えがあります。
それは子供の限ったことではないのね。
自分でやるより、じっと見守って、
本当に必要なときを判断して、
手助けするほうがずっと難しい。
手助け、そっと手を添える、お手伝い、
手を差し伸べる~~など、
「手」は人に役に立つための大切な部分。
でも、その手を出さないことが逆に
その人のためになる~~。
そなことをびしっと教えられた一言でした。
娘の手。
私自身もっと年を重ねて、
一つ一つの動きがおぼつかなくなっても、
できれば自分の手を動かし続ける、
やり続けることが大事。
手は脳の一部と言われているくらいだものね。
そして本当に手を貸して欲しいときには、
自分でちゃんと言う。
広隆寺の半跏思惟像の御手。
そんなことをこの年になって教えてもらった。
手に関係する日本語ってものすごく多い。
「手」ってものすごく
重要な意味を持っているんですね。
というわけで、たまにはこんなお話も。
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