カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

熊本地震から4年

2020-04-16 10:53:15 | 熊本地震
 四年前の4月16日の朝は悲惨な状況だった。

 一日前に、前震の様子を聞いてきた朝のニュース番組の電話インタビューで、元気に応答した状況が一変した。

 真夜中の午前1時25分、緊急警報より遥かに早くド~ンと下から突き上げられて、布団ごと空中に浮いた感じがした。

 それから経験したこともないほどの、強い縦揺れの後は横揺れが長く続いた。

 家のきしむ音と、外で屋根瓦の落ちる音や諸々が壊れる音が続いていた。

 後で聞くと、皆さん家を飛び出したとかいう話が多いが、私は飛び出すどころか布団から起き上がることすら出来なかった。

 布団の中で揺れながら、家の軋み具合、2階から1階への移動の危険性、もし建物が崩壊した場合の倒れる方向などを頭で想定しながら、一番危害が少ない位置はこの寝ている場所ではないかと考えた。

 出てきた結論は、「このまま、布団の中で寝ながら暫く様子を伺う」だった。

 幸い相方は娘のお産の手伝いのため、先月末から他県にいて留守なので対応に関しては自分の事だけで身軽だった。

 地震の写真も多く残っているが、ここではUPは省略したい。

 4年が経過し、町も復興が進んでいる。

 
 (総合体育館)

 地震直後は落下した天井を片付けた後、一時避難所として使用され仮設住宅完成後は建て替え工事が進められた。

 完成しあと少しで供用開始となる。

 
 (復興公営住宅)

 町内に数か所、元の居住区に近い場所に分散してこうした復興住宅が整備され、ほぼ3月末で完成している。

 後は仮説やみなし仮設住宅に入居している人達の引っ越しを待っている状態である。

 
 (秋津川堤防沿いの道路)

 堤防の整備と合わせ、道路の整備も進められているが全線通行可能は少し先になる。

 町の中心部も、4車線化の工事が進められている。

 災害に強い街づくりということで、区画整理をして新しい街をつくる工事も進められているが、この進捗の具合で自宅を再建できない人や、再建そのものが困難な人がまだ沢山いて、仮設住宅の集約が進められているものの無くなる状況にはない。

 また、前回活動しなかった部分の活断層のひずみは、明日次の地震が起きてもおかしくない状態になっている。

 
 (布田川断層と日奈久断層)

 今回の地震で動いた部分と、動かなかった部分が表示され、残った部分の地震発生の確率は極めて高い。

 
 (残った断層帯に起因する地震の震度予測)

 震度7の地域とそれ以下の分布予測が色分けで表示されている。

 自分の居住場所を当てはめてみると、震度6弱以上の地域にあることがわかる。

 二度の震度7で、耐震構造も多少損耗しているはずだから、今度は震度6クラスでも危ないと思っている。

 何百年単位で活動する活断層でも、ひずみがリセットされたのは布田川断層帯と日奈久断層帯の一部である。

 残った部分のひずみは、極限に達している。

 これらの事実が、あの地震から4年を経た今日、広く報道されることには意義があった筈である。

 しかし、コロナがすべての報道機関を占領してしまった。

 明日の危険性より、目の前の危機に対処するのが急務なのだ。

 
 (地震から数日後の夕焼け)

 地震の後の町には、地震臭ともいうべき独特の匂いが漂っていた。

 土ぼこりが雨に濡れた後のような匂いで、年配の人なら分かる独特な匂いが町中を覆っていた。

 そんな匂いを嗅ぎながら、見上げた夕焼けの色は美しいというより不気味なものに見えていた。

 前回の地震で崩壊しなかった我が家のような場合も、次の地震では危険な状態になる。

 耐震診断も耐震補強もまだなのである。

 今度は、相方と共に飛び出そうかとも思っている。

 「様子見と空念仏で平和主義」・・・・しろ猫

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熊本地震・前震の後の15日、ほっとしたひと時

2020-04-15 12:59:23 | 熊本地震
 去年の朝顔が終っても、張っていたネットは、エンドウ豆のために残しておいた。

 一昨年のスイートピーのイメージで安易に考えていたらとんでもない。

 エンドウ豆の蔓は半端じゃない。

 ぐんぐん太るは伸びるし、はち切れそう。

 

 道路にも蔓が飛び出すので、紐で引っ張り、花壇の方にのびてパンジーなどを覆い尽くすし。

 麻ひもを引っ張り回して、横の膨らみを制御することにした。

 紫色の花を咲かせていたエンドウに豆のサヤが出来た。

 白い花の従来のエンドウよりサヤは長くて少し曲がっている。

 多分豆ごはんなどにすると、赤飯みたいに色がついたりするタイプではないかと思っている。

 出来てみないと分からないが・・。

 

 白い花の、普通のエンドウは花も早かったし実が付くのも早かった。

 膨らんだ奴は収穫して、取り敢えず豆ごはんにして食べてみた。

 出来たばかりの豆なので、とても柔らかくて上手かった。

 相方の風邪?も大分良くなって、起きてきて私の炊事に文句をつけたり、自分で手出しをするまでになった。

 体が動くようになると、それに先行して口の方の回転も良くなるので要注意。

 本来なら今頃は、二人で人間ドックで喉越しの良い胃カメラを呑んでいた筈だが・・・。

 お楽しみは6月に延期になってしまった。

 その頃、コロナもある程度終息の方向に向かってくれればいいのだが・・。

 昨日は4月14日、4年前の熊本地震の前震の日。

 震度7もあれば本震のつもりだった。

 で、翌朝15日は、朝からテレビの対応から始まった。

 九州ローカル局の、朝7時のニュース番組で、被災地からの電話インタビューの対応を依頼されて、呑気に「大丈夫です、電気も電話も水道も、一応ライフラインは機能していますし、テレビも映っていますから情報は入手出来ます」等と答えたものだった。

 その後、我が家の庭に落ちて来た隣家の屋根瓦の後片付けを、両家協力で実施した時期である。

 まさか、今夜の続きの午前1時半前に、再び寝込みを震度7の本震に襲われるとは夢にも思っていなかった。

 つまり、能~天気に豆の話をしている今日のような、「いやあ凄い揺れでしたねえ」的会話が出来る雰囲気だったのだ。

 それでも震度5~6程度の余震を予測して、落ちそうなものは全て段ボールに入れ床に水平展開し、テレビもPCも全て周りに布団などの緩衝材を置いて寝たのだった。

 他県に住んでいる娘のお産の手伝いで、相方は留守だったので安全確保や避難行動などには自由度があると、むしろほっとしていた。

 地震もコロナもちょっとピークだと思った時点を過ぎ、ほっとした辺りが要注意ということだろう。

 4年が過ぎたのに、今夜あたりまた揺れたりしたら・・・などと一瞬思うことが・・。

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町の復興と個人の復興

2020-03-26 12:52:35 | 熊本地震
 近所で家が建ち始めた。

 地震によってわが班(14世帯)では6軒が全壊し、その後2軒は再建されたものの4軒は更地になっていた。

 

 4年ぶりに家が建ち始めたのだが、何だか少し様子が違う。

 建設を請け負っている会社から、近所に挨拶回りに来たのだが施主が元の持ち主の名前と違っていた。

 この敷地内には家が2軒立っていて、兄弟がそれぞれ夫婦で住んでいた。

 地震では2棟とも全壊し仮設住宅に2世帯とも移っていったのだが、同じ場所での再建を諦めたのだろうか。

 町では、数か所に分散建設されていた仮設住宅は今年中に1か所に集約されることになっている。

 既に復興公営住宅は完成し、もう直ぐ入居が始まる。

 

 こうした復興公営住宅は、元の生活の場に近いようにと町内の各所に数棟ずつ分散して建てられている。

 元の場所に戻ってこない人や、施設にそのまま入所してしまった人などで、14世帯で回していた回覧板も8世帯になってしまった。

 近くには、アパートやワンルームマンションなどが増えて、回覧板どころかゴミ置き場のルール周知も容易でない状況になっている。

 先日新聞の読者文芸欄に私が投句した「漬物が回覧板についてくる」というのが掲載され、それを呼んだ友人からコメントがメールで届いた。

 掲載されると、必ず何らかのコメントを寄せてくる相手なのだが、「回ってきた回覧板に食べこぼしか何かの漬物がくっ付いてきた」と解釈していた。

 解釈は人それぞれ自由だが、こちらとしては隣の人が回覧板と一緒に、おすそ分けの漬物を持ってきてくれた、という意味だったのだが弁解はしなかった。

 いろいろ作っては、人に配って嬉しがる人だから配るための容器の収集には我が家も協力してる。

 カレーやホルモンなど多彩だが、まさか「ホルモンが回覧板についてくる」じゃあんまりだと思ったのだ。

 ただ、残った8世帯では細々と連帯意識は持ち続けているのだ。

 

 地震の際には避難所にもなった総合体育館も、ほぼ建て替えた完了し供用の時を待っている。

 直ぐそばを流れる秋津川の河川にも、桜が6分咲きくらいで見頃である。

 ただ眺めていたのは、東屋と近くの橋の袂からそれぞれ一人ずつと私の三人だけだった。

 これから1週間ほど雨模様の日が続くようだが、晴れた頃は散っているなんてことにならないように願いたい。

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ミニ「野生の王国」

2020-03-25 11:47:54 | 熊本地震
 今日は気温もあがり、3月とは思えないような陽気。

 庭の鉢に水やりでもしようかと、表に出るとニャンが鎮座していた。

 

 カメラを向けると目線をずらす。

 ただ妙に何かを訴えるような態度なので猫の行動を見続ける。

 植え込みの脇で何か小さいものを舐めている。

 ゲロでも吐いたのかと近寄ってみると、なんと小さなネズミが一匹。

 

 猫は、戦果報告の一つとして、持ってきたのだろうがあまり嬉しくはない。

 何処で捕まえたのかと聞いても、猫かぶりでさっぱり。

 昔の猫なら戦果報告が済むと、さっさとムシャムシャやったものだが、最近は猫も飽食の時代。

 形ばかり舐めたりしていたが、やがて放置したまま私が水やりで準備していたジョウロの水を飲んだ後、何処かに出かけてしまった。

 実は、先日は地面に落としたキンカンを、地面でつついて食べていたヒヨが猫に捕まった。

 木の上で安心して食べていたヒヨも、まさか猫がすぐ近くに潜んでいるとは知らず油断したのだろう。

 かくて、我が家の庭で「野生の王国」ミニチュア版が展開されたのだった。

 だが、後始末にはまったく無頓着な猫なので、鳥もネズミも土葬の儀式はこちらが施行する羽目になってしまった。

 

 今日は、ポカポカと日中は暑いくらいの陽気。

 隣家の猫も、我が家の庭でごろごろすることが多くなった。

 カマキリやバッタ、それにトカゲなどがこれからどんどん顔を見せてくる季節が到来する。

 庭の雑草が熱帯雨林にならないよう、せめてサバンナくらいにでも除草しなければ。

 「野生の王国」もそれなりに管理はつかれる。

 猫が手を貸してくれればいいのだが・・・。

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故郷の山々

2020-03-13 19:34:09 | 熊本地震
 故郷から遠く離れて生活していて久々帰省した場合、あるいは出かけていて帰り着いたやれやれ、と実感できる風景というのは確かにある。

 その対象は、最初に目につく山である場合が特に多い。

 今の住居に住むようになって26年目になる。

 
 (飯田山・船野山)
 
 南を見ると我が家にとって一番近い「飯田山」や「船野山」が見える。

 無意識でも26年も住めばこの山が見えると我が家に帰り着いた気分になる。
 
 
 (阿蘇と南外輪山一帯)

 東を見ると、阿蘇山系が見える。

 風向きによっては、噴煙の状況により火山灰が降ってくることもあるが、概ね家に近づいたことを感じる。

 
 (鞍岳)

 北を見ると阿蘇の北外輪山の一角に鞍岳が見える。

 この山の麓で生まれ育ったので、本当の故郷の山なのだが、子供の頃から見慣れた頂上部分の「馬の鞍」に似た鞍部は現在の住居の方からは見えない。

 同じ山でも見る方向で、馴染みのない形に見えるが、慣れてくると段々違和感が無くなってくる。

 
 (金峰山と遠方に雲仙普賢岳)

 西には熊本市の中心部を挟んで金峰山が見え、その左側には有明海を隔てて長崎の雲仙普賢岳も望める。

 さすがにどんなにハッキリ見えても、島原半島の雲仙普賢岳は他所の山だが。

 少し歩いて家々のない場所まで行けば、これら東西南北の代表的山々が一望に見えてしまう。

 「阿蘇と雲仙」という二つの国立公園が見えるというのも、私の密かな自慢。

 ちょっとした山に登れば、一望で二つの国立公園を見ることが珍しくはないだろうが、平地では珍しい部類に入るだろう。

 なにこれ珍百景には程遠いが・・・。

 田舎では、不便さと風景が唯一の自慢なのだ。

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地震から復興にむけて3年9か月

2020-01-09 09:49:37 | 熊本地震
 新年を迎え、熊本地震から3年9か月が経過したことになる。

 しばらく前の埃っぽさは無くなったような気がする。

 わが町に限って言えば、むき出しの更地に雑草が生えて土埃が立ちにくくなったのと、取り敢えずの道路補修でばら撒かれていた土砂が無くなったからだ。

 句会で市内に出ると熊本城も、石垣の痛ましさが見えない遠景ならば、往年の姿に戻りつつあるように見える。

 
 (新春の熊本城)

 ただ、工事用のクレーンが現実を見せつけてくれている。

 中心部では復旧と復興それに新しい建設も進んでいるようだ。

 わが益城町についても、それなりに進捗はしているのだろうが、全般計画の中では緒に就いたというところか。

 
 (四車線化工事)

 用地取得や、工事の難易等によって数か所に分散して行われているが、完成は当分先になる。

 できれば元気に自分の足で歩いて、完成を見たいものである。

 
 (復興公営住宅の一つ)

 町内の数か所に分散して建設中である。

 町内の仮設住宅や、町外も含めたみなし仮設などで生活している人はまだ大勢いる。

 道路の拡張・町の再開発・その他個人の事情などで自宅を建設できない人達も多いので、早期の完成・供用が待たれるところである。

 
 (体育館と交流情報センター)

 体育館は解体されて新しく建設中であるが、交流情報センターは使用しながら建物の基礎部分の補強工事が進められている。

 
 (文化会館)

 これは使用を中止して、建物の基礎部分と周りの擁壁の工事が進められている。

 当初説明より1年ほど工事期間が延びる見通しのようだ。

 
 (橋梁工事)

 木山川・秋津川などの河川に架かる橋はほとんど架け替えの対象になっている。

 この橋は新しく架ける工事をしているが、元の橋を横に移動させ橋脚・橋台部分を作り直した後に、運んで上に乗せるという工法がとられているのも多い。

 同時期に工事を始めると交通への影響が大きくなるので、通行重量制限などの処置をしつつ逐次に工事を進めている。

 道路の工事予告や、町の広報などをよく確認しないと状況によってはめまぐるしく通行要領が変わる。

 
 (町役場の工事現場)

 町役場は、現在仮設の庁舎で運営されているが、元の場所で再建されることになって工事が始められている。

 ただ、遺跡ということで発掘調査なども事前に行われているので、完成は当分先になるだろう。

 
 (サンジの像)

 地域を盛り上げようと、熊本出身のアニメ作家の好意によって各所にワンピースの登場人物たちの像が建てられている。

 益城町は、コックの「サンジ」を希望し、昨年交流情報センターの東側に陸上競技場を背に建てられた。

 住宅や施設など、ほとんどが元あった物の建て替え・再建であるのだが、このサンジだけは純粋に無かったものが出現したことになる。

 子供連れの町民などが訪れてカメラを向けている姿をよく見かける。

 希望・諦め・喧騒・静寂・・・復興への道のりは結構ながい。

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埋蔵文化財

2019-12-17 11:14:38 | 熊本地震
 熊本地震からの復旧・復興の事業は、進められている。

 道路拡張や、新しい災害に強い街づくり等の過程で用地交渉や、建設予定地域での遺跡の発掘調査などの影響が、全般の進捗に影響を及ぼすこともある。

 

 元の場所で建て替えが予定されている役場も、現在発掘調査現場になっている。

 これまで役場の駐車場として使用されていた場所なので、遺跡があることが予想されていたのに役場として使用されていたことに少し驚く。

 

 各所で復興公営住宅が建設中だが、その建設の前には発掘調査が行われている箇所が何か所かある。

 縄文時代から弥生時代にかけて、現在の町よりやや高台の位置に生活の場所をもっていた先人はやはり、自然との共存が上手だったことが分かる。

 今回の地震でも被害の少なかった地域であるし、水害常襲地帯である川沿いの低地より安全なゆるやかな台地上の居住地は何千年もの生活体験から導き出されたものなのだろう。

 今では全国的に、埋め立て造成やウオーターフロント開発などが行われ、水際と超高層の生活が豊かさの象徴にさえなっている。

 現代の技術偏重の危うさは、ここ数年の地震・津波・大水害と次々に襲ってくる天災の前に、その無力さが如実に現われて来つつある。

 町では、文化資産の修復や建設現場での埋蔵文化発掘調査など、地震の復旧・復興の過程で出てきた文化財の企画展を開催している。

 

 弥生時代のものが多いが、縄文時代や石器時代のものも今回の調査で沢山発見されているようだ。

 こうした文化財・埋蔵文化財調の成果報告会も催されるが、成果報告にとどまらずその課題も明らかにしてほしい。

 開発場所からは、次々と遺跡が発見され基礎資料を収集後は埋め戻されて、上部には施設が次々と出来ていくのが現状である。

 この企画展の「のこされたもの、のこしたいもの、伝えたいこと」の重要性を考えたいと思う。

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ワンピースの「サンジ」が町にやって来た!

2019-12-07 13:58:28 | 熊本地震
 朝からちょっとした用件で町の交流情報センターへ行った。

 体育館の駐車場も、総合グラウンドの駐車場もすべて満車になっていて、誘導員から予備の第二駐車場へ誘導された。

 かなりな距離をあるいて交流情報センターに着くと、ちゃんと利用者のための最低限の駐車スペースは確保されていた。

 誘導員は行く目的の施設も聞かずに、多分満車になるほどの賑わいを見せているイベントの客と思ったのだろう。

 

 駐車場には、スクールバスも停まっていてなにやら賑やかな若い女性の声がスピーカーから流れてくる。

 用件の方はサッサと終えて、賑やかな方を覗いて見ることにした。

 

 沢山の人だかりが出来ていて、集まっているのは子供たちばかりではない。

 何でも写真に写るためには、順番があるのだという声が聞こえ、列も出来ていた。

 

 頭一つ出た感じで、黄金色の像が建っていて記念写真の撮影の最中である。

 アニメのワンピースの登場人物の像が、地震からの復興に向かっている各市町村、特に被災地域の自治体の希望で建立されることになっていた。

 

 益城町は、その海賊「麦わらの一味」のリーダーであるルフィーの4番目の仲間である「サンジ」を希望し、希望通り建てられたわけだ。

 「サンジ」はコックだから、きっと町の特産品を使った料理などを考えてくれることだろう。

 除幕式を迎えた像の前には、胸に大きなリボンをつけた偉い方たちが並んで盛んにフラッシュを浴びていたが、その偉い方たちが映り込まないように努めた。

 この方達の長い撮影タイムが終ると、いよいよ子供たちの順が回ってくるとアナウンスされていた。

 

 いつもは幼児・児童の遊戯スペース脇にある東屋に、ワンピースのパネルが貼ってあった。

 主人公のルフィーの像は、すでに県庁のプロムナードに建てられている。

 ちょっとした名所になっていて、像をバックにカメラに収まる人の姿が絶えない。

 地震の際は、長期に亘って大勢の被災者でごったがえした体育館や、車中泊の車が埋め尽くした駐車場やグラウンドを望む一角に「サンジ」の像は建っている。

 長い間、非常食に甘んじた町民にとっては、ある意味コックの「サンジ」は本音の希望だったのかもしれない。

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先人が残し伝えてくれたもの

2019-11-27 11:53:42 | 熊本地震
 益城町の交流情報センター(ミナテラス)の展示スペースで「企画展、のこされたもの、のこしたいもの、えたいこと」が催されている。

 11月26日から12月22日までである。

 先の熊本地震により町内に所在する文化財も甚大な被害を受けたが、その修復・復旧も逐次進捗し往時の姿を取り戻しつつある。

 復旧した文化財の現状もパネル写真等で紹介されている。

 そのなかで特に目立つのはケース等に入れられた古代の土器などの展示物である。

 

 遺跡発掘の出土品が多く展示されている。

 その発掘の経緯は、地震による復旧・復興に伴う開発事業を行う場所が遺跡との関連があり先行して発掘調査が行われることになったもの。

 

 パンフレットには、発掘調査を実施中の写真が掲載されている。

 見晴らしのいい高台で、南側には益城の町や田園地帯が一望できる。

 先人は水害などの心配がなく、比較的恵まれた地形を選定して生活していたことが伺える。

 その調査も一応終わって、記録を残し開発に着手したということだろう。

 

 災害公営住宅として、計画された期限内には完成し仮設住宅などで暮らす人々に供用されることになる。

 ただし、少なくともこうした遺跡は再び日の目を見ることはなく、記録として残されるだけである。

 

 すぐその北側には比較的最近開通した町道が通っている。

 この町道も、遺跡発掘調査のためかなりの期間工事を中止したことがある。

 この辺り一帯は、かなりの広さで遺跡や埋没した土器などが分布しているのではないかと思う。

 遺跡の重要度の判定はどのようになされるのかは知らないが、全国各地で開発の前に次々と姿を消していることだろう。

 今度の企画展のキャッチフレーズが「のこされたもの、のこしたいもの、伝えたいこと」というのが、何とも切ない心持にさせてしまう。

 甕棺や人骨などは出土しないということで、墓ではなく生活の場所そのものだったということだろうか。

 考えてみれば、先人が選んで居を構えた場所は一番安全な場所であった筈である。

 先人が現地・現物をもって「のこされたもの」「のこしたいもの」「伝えたいこと」だったのかも知れない。

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断層帯付近の秋

2019-11-07 09:43:44 | 熊本地震
 町の南側の里山沿いに「そうめん滝」と呼ばれる、水源がある。

 昔からの集落の飲用水であり、田畑を潤す水源池でもある。

 今でも立派にその両方の役目を果たしているが、稲刈りも終わった今は、出口の水量調整も自然の流れに任せたままである。

 

 水面から50センチばかり上部の地層から湧水が、富士の裾野の白糸の滝の超小型版のように湧き出している。

 滝と呼ぶにはあまりに小さいいので、「そうめん滝」と名付けたのではと私は勝手に解釈している。

 そのそうめん滝の一角に、小さな人工的な穴が見える。

 

 長い歴史の中には、水が枯れそうな時期もあったのだろうか、人工的に穴を掘ってみる必要性があったのだろうか、などと想像する。

 いつもは暗く内部は見えないが、たまたま訪れた時は太陽の光線が水面に反射し内部の天井にまで、光が揺らめいていた。

 

 しばらく眺めていると、何という名の鳥かは知らないが、数羽の鳥が羽ばたきながら出たり入ったりを繰り返している。

 こうした岩穴などで営巣する種類の鳥なのだろうかとも思ったが、鳥の営巣の時期にはあまりに違い過ぎる。

 たまたま太陽の光線の加減で、普通は気付きもしなかった穴と鳥の不思議な行動を目にすることが出来た。

 

 木山川沿いに少し上ると、先般の熊本地震での断層のズレが地表面に現れた畑があるが、ズレはそのままの状態でキッチリ保存されていた。

 数枚の畑が横並びで、同じ方向に畔が屈折した状態のまま残されている。

 以前は無かったが、見学者の為に近くの空き地の部分に駐車場が準備され表示が建てられていた。

 近くの潮井神社にも断層が地表に現れていて、これらは震災遺構として保存される
 
 

 こうした断層が目につかなければ、もうここはいつもと変わらない秋が訪れた静かな集落に見える。

 避難生活を続けている人たちも、元の集落でもとの生活に戻ることを決心した人が多く、その為の準備が進められている。

 ただ放置された柿は、当分の間ただ自然に落ちるにまかされることになる。

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