カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

合図は吾の為ならず

2019-06-18 16:13:56 | 人声人語
 先日深夜に出かける事態となって、一杯引っかけていた私は運転出来ず、相方が運転をすることになった。

 一応用件が済んでの帰り道、深夜のほとんど車が走らない4車線道路の交差点で信号停車した。

 交差する道路は左右ともに1台の車も無く、対向する前方には1台だけ乗用車が止まっていた。

 信号が青に変わって、相方が車を直進でスタートさせると同時に、対向車も発進した。

 ウインカーを上げずに停車していたので、てっきり直進と思っていたのだが、そのままウインカーを上げず右折を始め、目の前を通過して行った。

 昼間だったら運転手の様子くらいは見えるだろうが、お互いに深夜でしかもライトを点けているので様子はわからない。

 出足のよい車なので、我が家の直進車より早く交差点を右折出来ると思ったのだろうが、せめてウインカーくらいは点けて欲しいと相方ともどもブツブツ。

 この頃というか、ここ数年くらい前から合図しない、或いは合図が不十分な車が特に目立つようになった気がする。

 
 

 前方と後方それに側方からも見える位置にウインカーライトは取り付けられている。

 何のためかと言えば、勿論付近の車や歩行者に対して自分の意思を伝えるためである。

 信号が変わるまで合図を上げない、右左折の動作を始めながら合図を上げるなどの、おざなりな合図が目立ち、合図が相手のためにあるという認識が希薄な感じがする。

 車で外部に対して意思を伝達する手段は、ウインカー・クラクション・ライトの点滅などである。

 この他にも、手や目による合図のようなものもあるが、最近の車は構造やウインドウの色などで運転手同士のコンタクトは取り辛い。

 この頃思うに、リアルな対人関係の希薄さも原因の一つではないかという気がする。

 隣人の名前も知らない人間関係の中で、直接利害関係もない不特定多数の人達は、所詮はネットでつながっている者同士以上に関係ない人達なのだ。

 使わなくて済むなら使いたくないウインカー操作は、ほぼ事故でも起きない限り違反しても、取り締まり以外に咎め立てされることもない。

 そう言えば「運転が示すあなたのお人柄」の標語も最近目にしないが健在なのだろうか。

 せめて、「なんのことか・・・わかんな~い」という時代が来ないことを祈りたい。

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