カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

熊本地震から一年に思うこと

2017-04-15 13:23:38 | 熊本地震
 4月16日は一年前に熊本で二度目の震度7が発生した日である。

 本震より強い揺れの余震もあるまいと思っていたら、今度のが本震で前回の震度7は前震だったという前代未聞の発表があって、妙に感心したり首を捻ったりしたものだった。

 16日といっても、深夜の1時25分だから14日の地震に引き続く二日連夜の地震というイメージが強烈である。

 「よく逃げずに家で寝ていられましたね」と後で人に言われるが、二階の部屋で仰向けに寝たまま寝具ごとドンドンと縦に突き上げられ、しかも延々と続くので起き上がる事も出来なかったのだ。

 幸い家具などは余震対策で、全部床に平面展開していたので物が倒れる音などはしなかった。

 いろいろあって、取り敢えず自宅で生活できるようになったのは水道が完成した33日後だった。

 先日、「川柳句集 熊本地震の記憶」という熊本県川柳協会編纂の句集を頂いた。

 
 「噴煙吟社」という川柳の同人になっており、吟社が熊本県川柳協会の構成員になっているという繋がりである。

 あの地震からそれ以降の日々を、新聞あるいは同人誌などに発表されたものを集約編集したもののようだ。

 地震当日から数日後の句などを見ると、遭遇した場所あるいは経過した日数によって句の内容が随分違うなと感じる。

 例えば数日後に「熊本城」をみて詠んだ句がかなりあったが、多分益城町では上を見上げる、ましてや熊本城を見上げたり思いを致す等ということは思いつきもしなかった筈だ。

 みんな下を、足元を見ながらトボトボと歩いていた。

 避難所や車中泊から水やパンなどを求めて一日数往復していたのだから・・・。

 この句集には私の作品も6句が掲載されている。

 すべて地震からかなり経過して投句したもので、直後のものは内容が激しすぎてまったく採用されなかった。

 落ち着きを取り戻し、心の内を一般化して表現できるようになって初めて掲載されるようになった。

 どんなに言いたい事があっても、人に伝わる表現法を用いないと駄目だということなのだ。

 でも、もの凄い駄作なのだが、あの頃の心境を忘れないようにノートにはキッチリ記録して肝に銘じている。

 一年が経過して、まったく使われなかった町民グラウンドに野球の練習をする子供達の声が響いていた。

 
 ナイター施設が全部倒壊し、荒れ放題だったグラウンドが、一角だけ整備されて使用可能になっていた。

 なんの励ましの言葉より、この子供達の元気な声が一番の励みになることを今回は特に痛感した。

 何処を復興のスタートラインとするのか知らないが、倒壊家屋を更地にしてそこからの再建をもってスタートとするならまだまだスタートラインに立っていない人ばかりだ。

 都市マラソンなどで、何万人と走るランナーの殆どはスタートの合図があっても、足踏みするだけで当分前には進めない事態を体験する。

 その足踏みさえ出来ない人が大部分なのが現況である。

 
 更地の真ん中に傾いた地蔵堂が建っている。

 益城町教育委員会が定めた「益城三十三箇所めぐり」の一つにもなっている。

 見るだけで誰も手を付けられない、不思議な空間である。

 守ってきた地域の人達の大多数が仮設やみなし仮設に移転して生活している。

 流れる時間、被害状況・程度、そして置かれた立場で句集の「句の内容・表現」も変わるし、再建の槌音の響き具合も異なっていくのだろう。

 もう1年も経ってしまったのか、まだ1年しか経っていないのか私には分からない。

 「もうとまだ人それぞれの震災後」

 
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