今日は4月16日、熊本地震の本震から7年が経過した。
当日はライフラインが全て絶たれ、連絡手段は携帯電話のみだった。
電池の消費を抑えるため、掛かってきた電話に対応するのみで、発信は子供達への安否報告のみ。
地震の実態は自分の足で確認した。
10日くらい経つと、次第に情報自体が落ち着いたものになり、受け手の方も落ち着いてきた。
(地表面の偏移図)
活断層が町の南側に、東西に走っていたので地表の偏移も東西に1.5mほどずれている。
南北は0.5m程度で比較的小さい。
時間と揺れた方向が記録され、地震から7年後の今も情報交流センターの展示コーナーの床に貼り付けてある。
(活断層)
阿蘇方向から伸びた布田川断層は、我が町を通って宇土半島方向へ伸びている。
我が町で分岐した日奈久断層は八代市(日奈久町)から海へ伸びている。
今回の地震で動いたのは、益城町付近の布田川断層の一部と、分岐した日奈久断層の一部である。
本来の活断層のほとんどは、今回の地震では動いていないことを認識すべきである。
(我が町の活断層)
町の南部を通っている筈の布田川断層の系列で今回新たに3本の活断層の支線が見つかった。
我が家は②の断層の破線の途切れたあたりに建っている。
家の位置の微妙な違いや、比較的新しい建築基準法による建屋であったため倒壊を免れたようだ。
あれから7年、町の復興は進んではいるが早いとは思えない。
(4車線化工事の開通区間)
先月末に開通した部分は、隣の熊本市の境界から800mだけである。
全線開通は、5年後くらいになる予定。
(内水排水施設)
地面の地盤沈下もあって、堤防より低い地域の雨水等排水設備の整備が急がれた。
ほぼ完成し、今年の降雨期には稼働可能になるだろう。
(完成した木山橋)
ほとんどの橋が被災したので、架け替え工事が進められ、この木山橋が最後になる。
ただ道路の拡幅工事が完成していないので、通行が可能になるのは当分先になる。
(総合体育館)
総合体育館は、町の施設としては一番早く再建された。
(町役場)
仮設のプレハブ庁舎で7年間頑張ってきたが、今年の3月に新築が完成した。
まだ入居はしておらず、5月のゴールデンウイーク明けくらいに移転予定。
公的な建物や、インフラの復興は進んでいるが住民の復興は当分先になる。
区画整理事業や、道路拡幅工事が終わらないと家の新築も、新しい店舗も開けない。
転出者も続出した。
当面の生活のために、10年も先の完成を待っていられない人々が沢山居たのだ。
基本計画の10年が、3年後にやってくるが今の状況をみると・・・さて。
ただ、完成は見届けたいものだ。
「どうせなら明るい未来夢にみる」・・・しろ猫
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