ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

楓(スピッツ)

2023-11-11 14:00:15 | 歌詞

忘れはしないよ 時が流れても

いたずらなやりとりや

心のトゲさえも君が笑えばもう

小さく丸くなっていたこと

かわるがわるのぞいた穴から

何を見てたかなぁ

一人きりじゃ叶えられない

夢もあったけれど

さよなら 君の声を抱いて歩いていく

ああ僕のままで

どこまで届くだろう 

 

探していたのさ君と会う日まで

今じゃ懐かしい言葉

ガラスの向こうには水玉の雲が

散らかってたあの日まで

風が吹いて飛ばされそうな

軽いタマシイで

他人と同じような幸せを

信じていたのに

これから傷ついたり誰か傷つけても

ああ 僕のままでどこまで届くだろう

 

瞬きするほど長い季節が来て

呼び合う名前がこだまし始める

聞こえる?

 

作詞・作曲は草野正宗。1998年7月発売。

谷村新司さんが草野正宗さんを絶賛しているYouTubeの動画があります。谷村さんは「草野正宗君の歌詞は唯一無二。その世界を誰も侵すことはできない」と話しています。例に挙げていたのが「楓」でした。

 

「忘れはしないよ、時が流れても~小さく丸くなっていたこと」

この冒頭部分に歌詞全体の輪郭が描かれている気がします。まず、これは過去の話であると。そして君の笑顔で主人公の僕は優しい気持ちになれた。仮に君の名前を楓さんとします。

「さよなら。君の声を~どこまで届くだろう」

少なくとも、今現在、楓さんは僕の近くにはいない。せめて声を心に留めて、これから生きていくといった意味にとれます。

 

「ガラスの向こうには水玉の雲が、散らかってたあの日まで」

草野さんの言葉が美しい。もうそれだけでいい。この一文は意味など考えることが無意味な気がします。

「風が吹いて飛ばされそうな~信じていたのに」

軽いタマシイは社会に根づけないで、夢ばかり見ている印象を受けます。それでも人並みの幸せを信じていた。でも、そうはいかなかった無念さを感じます。

 

「瞬きするほど~聞こえる?」

ここの解釈は難しい。ただ、楓さんと付き合っていた時期は瞬きほどに短く、その後に彼女がいなくなった長い季節が来たのだと思います。もっと言えば、楓さんが生きているのかすら分からなくなります。

 

なぜ私が楓を「僕」の恋人だと推測したかと言えば、歌詞全体を見渡すと秋を思わせる言葉がほとんど見つかりません。「楓」は実は秋の曲ではないのかもしれない。でも私はこの時期になると「楓」をよく聴くようになります。一般的にも秋の名曲として定着しています。

私たちは草野さんの魔法に酔っているだけなのかもしれない。その幸福な魔法に。彼の真意は藤井聡太にも読み解けない。解っているのは草野正宗だけ。だから、谷村さんは「彼の世界は誰にも侵すことができない」という表現をしたのではないでしょうか。

 

 

コメント
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