忘れはしないよ 時が流れても
いたずらなやりとりや
心のトゲさえも君が笑えばもう
小さく丸くなっていたこと
かわるがわるのぞいた穴から
何を見てたかなぁ
一人きりじゃ叶えられない
夢もあったけれど
さよなら 君の声を抱いて歩いていく
ああ僕のままで
どこまで届くだろう
探していたのさ君と会う日まで
今じゃ懐かしい言葉
ガラスの向こうには水玉の雲が
散らかってたあの日まで
風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに
これから傷ついたり誰か傷つけても
ああ 僕のままでどこまで届くだろう
瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める
聞こえる?
作詞・作曲は草野正宗。1998年7月発売。
谷村新司さんが草野正宗さんを絶賛しているYouTubeの動画があります。谷村さんは「草野正宗君の歌詞は唯一無二。その世界を誰も侵すことはできない」と話しています。例に挙げていたのが「楓」でした。
「忘れはしないよ、時が流れても~小さく丸くなっていたこと」
この冒頭部分に歌詞全体の輪郭が描かれている気がします。まず、これは過去の話であると。そして君の笑顔で主人公の僕は優しい気持ちになれた。仮に君の名前を楓さんとします。
「さよなら。君の声を~どこまで届くだろう」
少なくとも、今現在、楓さんは僕の近くにはいない。せめて声を心に留めて、これから生きていくといった意味にとれます。
「ガラスの向こうには水玉の雲が、散らかってたあの日まで」
草野さんの言葉が美しい。もうそれだけでいい。この一文は意味など考えることが無意味な気がします。
「風が吹いて飛ばされそうな~信じていたのに」
軽いタマシイは社会に根づけないで、夢ばかり見ている印象を受けます。それでも人並みの幸せを信じていた。でも、そうはいかなかった無念さを感じます。
「瞬きするほど~聞こえる?」
ここの解釈は難しい。ただ、楓さんと付き合っていた時期は瞬きほどに短く、その後に彼女がいなくなった長い季節が来たのだと思います。もっと言えば、楓さんが生きているのかすら分からなくなります。
なぜ私が楓を「僕」の恋人だと推測したかと言えば、歌詞全体を見渡すと秋を思わせる言葉がほとんど見つかりません。「楓」は実は秋の曲ではないのかもしれない。でも私はこの時期になると「楓」をよく聴くようになります。一般的にも秋の名曲として定着しています。
私たちは草野さんの魔法に酔っているだけなのかもしれない。その幸福な魔法に。彼の真意は藤井聡太にも読み解けない。解っているのは草野正宗だけ。だから、谷村さんは「彼の世界は誰にも侵すことができない」という表現をしたのではないでしょうか。