生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り
気がつきゃみんな年取って
同じどこに行くのだから
生きてることが辛いなら
悲しみをとくと見るがいい
悲しみはいつか一片の
お花みたいに咲くという
そっと伸ばした両の手で
摘み取るんじゃなく守るといい
何にもないとこから
何にもないとこへと
何にもなかったかのように
巡る命だから
生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ
作詞 御徒町凧・作曲 森山直太朗。2008年8月発売。
森山直太朗の曲と言えば、作詞は友人の御徒町さんと直太朗さんの共作が多いのですが、「生きてることが辛いなら」は過去に御徒町さんが詩として書いたものを、後に直太朗さんが作曲したものです。
曲がテレビで流れると、賛否の反響が多くありました。一部のコンビニでは放送禁止になりました。
僕はこの曲の歌詞が好きですが、不特定多数の人が出入りする場所で、放送禁止にしたのは正解だと思います。
問題の部分は冒頭です。
「生きてることが辛いなら、いっそ小さく死ねばいい」
ここだけを切り取ってしまうと、自殺を助長していると取られても仕方ないのかもしれません。
そしてさらに「恋人と親は悲しむが、三日と経てば元通り」と続きます。御徒町さんも元通りにならないことは百も承知だったでしょう。しかし、遺族も食べず、寝ずでは体が持ちません。深い悲しみと普段のルーティンが混じり合うことになります。
また多少の知り合い程度なら、三日で元通りになりそうです。
「生きてることが辛いなら、悲しみをとくと見るがいい~摘み取るんじゃなく守るといい」。
この部分、好きですね。悲しみを捨てるのではなく、抱えて生きることによって、人生はより深くなると言い表しています。
「生きてることが辛いなら、嫌になるまで生きるがいい~くたばる喜びとっておけ」
一理あると思うんですよ。辛い人生ほどくたばった時の喜びは大きいのかもしれません。
「生きてることが辛いなら」は最後まで歌詞を読めば、間接的な人生の応援歌であることに気付かされます。