三月六日(金)雨。
午前中は事務所。毎日、様々な媒体から取材の電話が入る。それでもあまりお付き合いのない会社には本音を話さないようにしている。
夕方、ある方の誘いで、雨の中を出かけたが、行き違いですっぽかされた。、怒っても仕方ないので、笑って済ませた。
イライラしたまま、木村三浩氏と今年の群青忌の実行委員長をお願いした隠岐康氏と共に、ヨコハマに戻り、南京街の「安記」へ。いつもながらの小皿料理で紹興酒を二本。料理も美味いが、この店の「お粥」はヨコハマの誇りだ。その他、南京街には、清風楼のシュウマイ、北京飯店の「ショウロンポウ」、「菜香」の飲茶料理などは、ああヨコハマに生まれて良かった、といつも思う。
その「安記」で、木村、隠岐の両氏と飲んでいて、さあ帰ろうと言う時に、他のテーブルにいた人が、私に声をかけてきた。私は、飲むと態度と声がでかくなるので、一瞬、文句でもあるのかと、身構えたら、いきなり名刺を出して、「蜷川さんですね。私は、地元のK新聞社の者です。今回の『新潮』の問題では、蜷川さんたちを全面的に支持します。メディアの在りかたについて、いつも、何か出来ないかと、若い連中と話をしています。力不足で、誌面には毎回取り上げることは出来ませんが、どうか頑張って下さい」と、一緒にいた三人の方の名刺を頂き、握手をした。
酒の酔いもあったのかもしれないが、思わず目頭が熱くなった。見ず知らずの人たちである。恐らく私達の話が聞こえていたに違いあるまい。それでも一面識もない新聞記者からエールを送られたことに対して、感激したことは言うまでもない。本当に嬉しかった。地方紙の記者さえ、今回の「週刊新潮」ガセ記事を、マスコミ全体の「恥」としていることを認識した。
その後、お決まりのコース、「サリーズバー」へ転戦。嬉しいことに、お客さんの、政治運動などに一切関係のない人たちが、今回の「週刊新潮」のガセ記事のことを知っていて、「蜷川さん頑張ってネ」と言われて、肩をたたかれた。サリー姐さんなどは、「木村さん、あんまりマー坊(私の事です)を煽っちゃダメだよ」と木村氏に笑って話をしていた。木村代表の歌BSTの「雨を見たかい」を嫌々聞いてお開き。
ついていない雨の日だったが、ヨコハマに戻るとなぜか機嫌が良くなる。