白雲去来

蜷川正大の日々是口実

墓前祭に講演。忙しい一日だった。

2009-03-29 22:47:26 | インポート

三月二十八日(土)曇り。

一度、アップしたのだが、大先輩から「どこの誰だかわからない者の書き込みに、反応しても仕方がない。自分の書きたいことを書けば良い」と、お叱りを受けたので、本来の「酔狂亭日常」に戻します。

 今日は、朝から東京行き。午前十一時に、青山の花屋さんに集合して、青山墓地にある朝鮮の志士、金玉均先生の墓前祭を行う。頭山興助先生が祭主となって三年前から祭行されており、私が呼びかけ人の末席を汚している。正午、墓前にて福永武氏が斉主となって神式にて行われた。お墓の近くには見事な紅白の梅が咲いていた。玉串を捧げ金先生を偲んだ。

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「金玉均先生の概要と墓前祭開催のいきさつ」。※クリックして下さい。 

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金玉均先生の墓碑。※クリックして下さい。 

 木村三浩氏のお世話で、韓国大使館からも出席があり、日韓双方での追悼祭となった。終了後は、「藪」で直会。ここの蕎麦のファンである。一時間ほどで、終了。山浦嘉久、伊藤好雄の両先生や、若い人たちと「ライオン」に転戦。四時半に、次の会合の場所となる神保町へ移動。

 六時半より、神保町にある、「千代田プラットホーム」という会場で、宮崎学、猪野健治、二木啓孝の諸先生をコーディネーターとして「フォーラム神保町/現代深層研究会」という催しが行われる。社友の松本佳展君と合流。

 今回の新潮社の問題を、宮崎学氏の司会で、私と木村三浩氏がゲストスピーカーとなって話した。会場にはマスコミ関係者がほとんどであったが、知り合いの方も何名か来ていた。木村氏が「島村」の写真を来ている人達に見せたら、皆、驚いた様子だった。八時半に終了。

 終了後に、近くのファミレスにて、猪野先生や、お世話になっているT書房のA編集長、木村氏、松本君、一水会の若い人たちと打ち上げ。社友の隠岐康氏が錦糸町で一席設けてくれていたのだが、時間が遅いのでご辞退して松本君と共に帰宅。忙しい一日だった。  


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社友会、一門会、同志の熱い思いに、つい目頭が・・・。

2009-03-29 09:43:33 | インポート

三月二十七日(金)晴れ。

 良い天気である。朝食の後に、すぐに事務所で仕事と思ったが、パソコンの調子が悪いのと、周辺機器が消耗しているので、横浜駅の西口にあるヨドバシカメラに行った。平日だというのに横浜駅周辺は凄い人である。昼日中からこんなに人で溢れている。皆、私のような浪人なのだろうか。ヨドバシカメラに入れば、何と「中国語」「韓国語」で館内放送をしている。一昔前は、品物が安いから、韓国や台湾に行ったものだが、今は、逆になったのか。それとも日本製のOA機器が安くて良い品だから、わざわざ外国から日本に買い物に来るのだろうか。良く分からん。

 A3サイズがスキャナーできる機械を見たが、何と二十万円もする。新聞記事や、ポスターなどをハードディスクに保存するために、大型のスキャナーが必要なのだが、二十万もするのならば無理なのであきらめた。家族との待ち合わせにはまだ時間があるので、東急ハンズにも寄って、暇つぶし。ハンズや大型書店にいると時間を忘れる。ハンズでは何を買うわけではないのだが、食器や小物類の発想の転換が参考になる。デザインの美しさ、アイデア商品、見ているだけで、物を書く上でも参考になるような気がする。書店もそうだ。本の山の中に囲まれていると、それを書いた多くの人たちの「知」が私の中に「気」として入ってくるような感じがする。精神衛生上とても良い。

 夜は、久し振りに家族で食事。昨日の食事会で三本菅先生から頂いた牛肉のおみやげを皆で食した。さすがに東京でも指折のステーキ店の肉で、アット言う間になくなってしまった。本当に美味しい肉と言うものは、酒のつまみよりも、やはりご飯と一緒に食べる方が良い。父親としての株が上がった次第。恥ずかしい話だが、我が家は、こういった方たちの善意で支えられている。全国の社友会、門下生の人たちから、様々な物を頂く。これも恩師である野村先生のご加護であることは言うまでもない。感謝しながらいつも思う。私が頂いているのではなく野村先生のお名前があってこそ、こうした善意があると・・・。家族は、毎朝、私の両親と岳父、そして野村先生の遺影に手を合わせてから出かける。

 私のブログには、原則として社友や門下生からの書き込みを遠慮して頂いている。その理由は、ブログがごく身内だけのこじんまりしたものになる事を危惧しているからである。特に、何処の誰だかわからないようなハンドルネームでの書き込みは拒否しているほど。どんな誉め言葉であろうが、何処の誰だか分からないものに、歓ぶことが出来ない。そういった風潮こそ、実は諸悪の根源ではないかと思っている。前日のコメントも、皆、実名、もしくは私が誰だか分かる人たちの書き込みである事が嬉しい。そういった小さな勇気が現代社会には必要ではないのだろうか。

 たとえ社会的な地位などなくとも、貧乏であっても「卑怯な振る舞いはしない」。と言うのが、我が家の、唯一絶対の家訓である。

 若い人たちが、今回の「週刊新潮」の報道と島村なる野郎の言動に私が激怒しているとの情報が社友会の中で伝わったのだろう。新潮社からは真摯な回答を頂いたが、島村はまだ、身を隠したまま、とぼけている。だからこそ社友、一門の者は「島村・清水(島村の旧姓)」のキーワードに敏感に反応する。毎日、全国の社友、一門の人たちから電話も頂く。久し振りにコメントも沢山頂いた。感激で目頭が熱くなった。しかしくれぐれも軽挙妄動は慎むこと。一度限りの人生、たった一つの命。必ず戦いの場はある。歌の文句ではないけれど「俺の出番はきっと来る」。秋に、また全国の社友、同志とお会いできます事をたのしみにしています。久し振りに、皆さんの熱い思いに接し、感激いたしました。心から感謝申し上げます。

コメント (2)
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