三月二十八日(土)曇り。
一度、アップしたのだが、大先輩から「どこの誰だかわからない者の書き込みに、反応しても仕方がない。自分の書きたいことを書けば良い」と、お叱りを受けたので、本来の「酔狂亭日常」に戻します。
今日は、朝から東京行き。午前十一時に、青山の花屋さんに集合して、青山墓地にある朝鮮の志士、金玉均先生の墓前祭を行う。頭山興助先生が祭主となって三年前から祭行されており、私が呼びかけ人の末席を汚している。正午、墓前にて福永武氏が斉主となって神式にて行われた。お墓の近くには見事な紅白の梅が咲いていた。玉串を捧げ金先生を偲んだ。
「金玉均先生の概要と墓前祭開催のいきさつ」。※クリックして下さい。
金玉均先生の墓碑。※クリックして下さい。
木村三浩氏のお世話で、韓国大使館からも出席があり、日韓双方での追悼祭となった。終了後は、「藪」で直会。ここの蕎麦のファンである。一時間ほどで、終了。山浦嘉久、伊藤好雄の両先生や、若い人たちと「ライオン」に転戦。四時半に、次の会合の場所となる神保町へ移動。
六時半より、神保町にある、「千代田プラットホーム」という会場で、宮崎学、猪野健治、二木啓孝の諸先生をコーディネーターとして「フォーラム神保町/現代深層研究会」という催しが行われる。社友の松本佳展君と合流。
今回の新潮社の問題を、宮崎学氏の司会で、私と木村三浩氏がゲストスピーカーとなって話した。会場にはマスコミ関係者がほとんどであったが、知り合いの方も何名か来ていた。木村氏が「島村」の写真を来ている人達に見せたら、皆、驚いた様子だった。八時半に終了。
終了後に、近くのファミレスにて、猪野先生や、お世話になっているT書房のA編集長、木村氏、松本君、一水会の若い人たちと打ち上げ。社友の隠岐康氏が錦糸町で一席設けてくれていたのだが、時間が遅いのでご辞退して松本君と共に帰宅。忙しい一日だった。