白雲去来

蜷川正大の日々是口実

決戦は金曜日。

2009-03-15 23:52:30 | インポート

三月十三日(金)曇りのち雨。

 七時には起きた。今日は、新潮社側との第二回目の面談が午後一時からある。正午に、高田馬場の某所で集合して、打ち合わせの後に、新潮社に乗り込む予定となっている。いい加減な返答に終止したら、絶対に許さない、との決意を、私だけではなく、今日、面談する諸先輩の誰もが持っているに違いあるまい。

 前回同様、阿形会長、犬塚、市村、木村の諸兄に私の五名である。流行の歌ではないが、「決戦は金曜日」。わが野村一門も、今日の新潮社の回答をスタンバイして待っている。一門の若い連中を抑えることが、純粋な彼等から見れば、私が「日和見」と感じるのだろう。私の立場も辛い。昼食を取りながら打ち合わせ。回答次第では、席を蹴って、帰ろう。と意思統一。

 一時少し前に新潮社に着いた。ふざけたことに公安関係者が我々の到着を待っていた。何か、新潮社に警察OBがいて、逐一警察と連絡を取っているらしい。前回の面談の時も、新潮社の館内に警察がいたのには、チョット頭に来た。それに少し文句を言ったら、さすがに今回は建物の中に、警察は居なかった。

 その新潮社に天下った、警察OBには、笑い話があって、今回の「赤報隊報道」があったときに、先輩が質問状を編集長宛に送付したことがあった。その質問状に対して、編集長名ですぐに返事が来たのだが、OB氏は所轄の警察に、慌てて「右翼から質問状が来た」と連絡をした。しかし、所轄の警備担当者には、どんな内容の質問状であったのか、また新潮社が、どのような回答をしたのか、全く教えてもらえない。仕方ないので、その警備担当者氏は、先輩の事務所に伺って、質問状の内容と回答のコピーを貰って、平身低頭して帰ったそうだ。その所轄の担当いわく「たかがOBのくせに威張りくさって、全く頭に来ますよ。こちらには、資料を一切寄こさないくせに」と。この話を聞いて皆で大笑いした。

 新潮社の顔ぶれと、私達は前回同様である。まず、前回に、実行犯の島村の「児玉発言」に対して、児玉先生直系の行動団体である、青年思想研究会の市村清彦議長の指摘した、疑問点をデスクのK氏が答えたが、まるで答えになっていなかった。「週刊新潮」の記事では、実行犯の島村が、「ボディガードとして付き添っていた」「児玉氏の死の直前まで、児玉氏に言われて、シブヤ=アメリカ大使館と連絡を取っていた」と書かれていたにも関わらず、「児玉邸の周りを警備したことがあったので、自分はボディガードのつもりでいた」「児玉氏が亡くなったときは、自分は札幌刑務所に服役していた」と島村は話したそうだ。

 我々が和やかな雰囲気になったのは、凄い「秘密の暴露」があってからだ。実は、島村を、児玉先生に紹介した「有力者」とは、何と、「北炭の萩原吉太郎氏」であったそうだ。いやはや、このくだりに私達は、揃って爆笑してしまった。次はどんな大物の故人が出てくるのだろうか。楽しみでもある。まさに「講釈師、見てきたような嘘を言う」。昔の人はうまいことを言ったものだ。

 それでも新潮社側の、我々に対する態度はきわめて誠実であり、再度、私達の疑問点に対する回答をするという返事を貰った。さらに我々は、実行犯という島村某との会見を要求して、継続の面談を約して、一時間半にわたる面談を終了した。

 終了後に、某所で打合せを行っている私達に、五大新聞はもとより、週刊誌が四誌、月刊誌が二誌の取材申し込みがあり、驚いたことには、テレビ局のディレクターから、揃って記者会見を、という連絡があった。しかし我々はマスコミのために今回の記事の糾弾を行っているのではない。あくまで、児玉、野村両先生の名誉回復のために、新潮社と話し合いをしている。マスメディアの「正義」を問うのは、我々ではなく、むしろ、それは他のマスコミの仕事である。こちらとしては、そのお手並みも拝見したい。まあ同業者では無理、というのが私達の素直な感想である。所詮は、トップの話し合いで、ウヤムヤにしてしまうのだろう。政治の不正や権力の腐敗を正す前に、同業者の不正を正してみろって・・・。

 夜は、先日亡くなられた、防共新聞社の福田邦宏氏のご尊父である福田狂介先生の通夜式が五反田の桐ヶ谷斎場にて行われ、木村三浩氏と共に出席。終了後は、大行社の内川横浜支部長らと戸塚の中華料理屋で一献。


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