三月十日(火)曇り。陸軍記念日なり。
若い頃は、この日に、亡くなられた大磯の大日本殉皇会の小早川貞夫先生の主催する、「陸軍記念日奉祝神奈川県大会」が、大磯は寺坂と言う所にある八坂神社において行われ、毎年必ず出席した。今日も、神奈川県維新協議会加盟の団体の方々が、その小早川先生の運動の伝統を引き継いでいる。
午後から事務所へ。来客三名。マスコミの方お二人に、友人が一人。四時まで。関内にある友人の会社に顔を出してから帰宅。
夜は、恒例の「蜷川政経懇」を、桜木町駅のすぐ近くで、同級生が経営する「弥平」にて開催。終了後に、岩上賢先輩と、菅生勇人君を誘って、野毛の通りにある立ち飲みではあるが、「串揚げ」の店で一杯やった。この店は、野毛でも有名で、いつも賑わっている。「鯨のカツ」を辛いソースで、ヒーヒーいいながら食べてから解散。早目に自宅に戻った。
例の「週刊新潮」による、「赤報隊」デッチアゲ報道であるが、実は、こういった報道は、何も「週刊新潮」が初めてのことではない。今は休刊しているが、「噂の真相」の平成十二(2000)年五月号に、野村先生の運転手をしていた男からの「タレ込み」という形で、「赤報隊」の犯人は、「現職警察官の犯行」というセンセーショナルな記事が掲載されたことがある。
もちろんガセで、これを取り上げたのは「噂の真相」ただ一誌ということも、今回の「週刊新潮」と良く似ている。当時、私が発行していた機関誌「大悲ジャーナル」の五月号において、否定の検証記事を掲載して、この騒動は終焉した。もちろん発行責任者であった岡留氏ともお付き合いがあったので、この時は笑い話で済んだ。
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余談ではあるが、後日、共通の知人である会社社長から銀座のふぐ屋に招待された。今はフリーで活躍している、日本一アブナイ取材をする西岡研介氏も一緒だった。社長氏が馴染みの店なので、お店が、特別に、ふぐの「肝」を出してくれた。何でも、関東では、これを出すことは違反行為との事。会社社長と西岡氏は関西人と言うこともあって、それをポン酢の中に入れてアラと一緒に食べていたが、何しろ、猛毒といわれる肝である。私と岡留氏は遠慮し、お互いを指差して「威勢悪いネェー」と笑いあった。
その「噂の真相」の記事のときも、「運転手」と「出入りしていた男」の報道が、いかに根拠のないものかを検証して反論した。当時は、まだ野村先生が亡くなられてから七年ほどしか経っておらず、ほとんどの関係者とも連絡がとれたことも幸いした。
近々、私の機関誌「燃えよ祖国」誌上にて、「週刊新潮」のガセ記事特集を行うので、そこに「噂の真相」の記事と、私の反論の全文を掲載する予定でいる。
このように、これまでも「赤報隊」の真犯人と称する男が名乗り出ることは珍しいことではない。確か一橋文哉氏の原稿だと記憶しているが、真犯人らしいという、神職が登場する。その「国粋主義者で神職」が、自身の過去を振り返るときに西暦を使用して証言するくだりがある。これを読んだときに、すぐウソだと実感した。「国粋主義者で神職」が、西暦を使うことなどありえない。例えば、これを書くに際しても、私は、平成五年が、西暦の何年かとっさに思い浮かべることが出来ない。民族派が、自身の過去の事を語るときに、西暦など使用したら、馬鹿にされる。という民族派内の「空気」が読めない者の創作であることが、こんな所でばれてしまうものなのだ。
まだ証拠はないが、今回の「週刊新潮」の「赤報隊」の記事は、ほとんどが若い記者、Sの作文であるとの有力な情報を入手した。近々、必ず立証してみせる。一水会の機関紙「レコンキスタ」の最新号に「オレオレ詐欺」ならぬ、「売る売る詐欺師」と揶揄された皆さん。首を洗って待っていなさい。