白雲去来

蜷川正大の日々是口実

忙中閑あり。

2009-03-03 10:04:53 | インポート

三月二日(月)晴れ。

 昨夜、早く寝たためか六時過ぎには目が覚めた。朝食後に事務所へ。私の原稿が掲載されている「実話ナックルズ」の四月号と「インテリジェンス・レポート」が届いていた。

 「ナックルズ」は、お世話になったH氏が久し振りに編集長として戻ってきた。そのカムバック第一号に、原稿を掲載させて頂くことは光栄である。昨年末に獄死した、元警視庁警部で死刑囚のS氏について書いた。私は、貧乏性のせいか物が捨てられない。頂いた手紙に限らず送られてきた機関誌・紙などもほとんどとってある。しかし機関誌・紙類などは結局は、置く所がなくなって、何部か残して廃棄する。これが私にとっては中々切ない作業なのだ。

0442 ※クリックすると大きくなります。 

 まあ自慢話になるが、昨年、一水会の機関紙「レコンキスタ」の縮刷第二版を出版する際に、木村代表から「どうしても二号分が見つからずに困っている」と連絡を頂いたので、探したら、運よく手許にあった。「レコン」の縮刷版は、私がいなかったならば、出来なかったかもしれないのだ。

 特に、左右を問わず獄中者からの手紙は、大切にしてある。今は亡き、見沢知廉氏、三浦和義氏や澤地和夫氏のものなどは、スクラップブックに保存してある。でも最近は、お会いしたことのない獄中者からの手紙などは、申し訳ないが、ダンボールに入れて一まとめにしてある。監獄法の改正により、交通権が緩やかになって以来、かなりの数の手紙が届くので対処できずにいる。

 澤地氏は、控訴中に、当時の後藤田法務大臣の死刑執行に抗議して、控訴を自ら取り下げてしまう。その折に澤地氏から頂いた手紙があるが、達筆な氏には珍しく字が乱れていたのが印象的である。

 近くの「清水苑」のオヤジが入院しているとのことで、夕方、病院に行ったが、何と、昨日、退院してしまったとのこと。なぁーんだと思ったが、元気になればそれでいい。自宅に戻ってから、家族で夕食。酒を抜こうかと思ったが、大行社の三本菅先生から頂いた、「越の寒梅」を冷蔵庫にひやしてあるので、うふふと一人笑いをしながら飲んだ。「大吼」の校正がひと段落したので、通販で買った、「東映時代劇コレクション」の第五集、美空ひばりの「花笠若衆」という映画を見た。昭和三十三年封切りの映画だが、東映の時代劇全盛時代の映画だけに、良く出来ている。早い話が、時代劇のミュージカルのようなものだ。楽しめた。

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 ※「『保守』の現状を憂うー民族派からの批判」というテーマで書かせてもらいました。


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一門会を開催。

2009-03-03 08:58:05 | インポート

三月一日(日)晴れ。

 十一時に、志村馨、松本佳展の両君に迎えに来てもらう。今日は、午後一時より、昨年の「群青忌」の実行委員長であった隠岐康の会社の会議室を借りて、今回の「週刊新潮」の報道を巡る報告を兼ねて「一門会」を開催した。責任者のみの出席である。ゲストは、マスコミから「カオリ」と疑われた、ユカリちゃん。相変わらずの坊主頭で、まったく年をとらないのには、いつも驚かされる。

 まず、私が、一連の報道について解説。もちろん門下生の誰もが、あの報道が「嘘報」と信じて疑わないので、「新潮」に掲載された野村先生に関するものを、一つずつ検証し、論破して行った。さらに金曜日に札幌にて、かつて島村氏が所属していた無名塾の塾長や、坪岡氏との会談の詳細も報告。そして、伊藤塾長から頂いた写真を全員に配った。

 次の会合は、二月の二十六日に、阿形充規先生らと新潮社に行った折の回答を待ってから開催する、との確認と、回答次第では、編集長などを相手にせず、社長である佐藤隆信氏一人に抗議の矛先を向けることを全員一致で確認した。

 二時間ほどで終了。その後、夏井辰徳氏が来月のイベントについて報告と、打ち合わせ。その折に、夏井氏と同行した方から、かつてその方がお書きになった「野村秋介の生き様に学ぶ」という文章の掲載された新聞を頂いた。帰宅後に読んでみたが、お会いしたこともないのに、こんな素晴らしいものを野村先生のために書いて頂いた。感謝する次第。

 終了後に、有志と駒形「どぜう」へ行く。全く下戸が五人に、のんベェが三人。せっかくの「どぜう」で、酒が飲めないのは可愛そうな話だが、私は、遠慮せずに江戸以来の「どぜう」で一杯やった。その後、歴史的なスタンドバー「ねも」に転戦して帰宅。


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